夏の陽炎

 その教室は普通の授業を受ける部屋より広く、 学生たちが利用している机も普通のそれよりも大きく無骨ぶこつなものだった。 部屋の隅には工具がしまわれている棚や、ごつごつとした作業用の機械がえつけられている。 早い話、いわゆる美術室なのである。
 夏真っ盛りという時節柄、外からはセミの鳴き声がわずらわしいぐらいに聞こえてくる。 室内には直射日光が差し込まないし、適度に風が通り抜けていくからマシであるものの、季節に見合った暑さであることには変わりはない。
 そんな教室には席の六割がふさがる程の生徒たちがいた。 小声でお喋りをしていたり、職人になったかのような目つきで作業台とにらめっこをしたりと、 それぞれの人なりに即した時間を過ごしている。

「お、終わった〜ぁ」
 とうつるを編んで作られた かごを目の前にしてソナーレ・ミセッドは机に突っ伏した。 彼女の作成物は素人臭さが抜けないながらも、それらしい形になっている。
「何言ってんの、まだ端っこの処理が終わってないじゃん」
 彼女の隣で同様に作業にいそしんでいた級友が、すかさず指摘してきた。 付き合いが長いだけに容赦のないツッコミである。
「それは午後からでも充分間に合うの。それにリオちゃんには言われたくないっ」
「はっはっはー、確かにそうだわね」
 隣の席の友人――リオはうへぇと言わんばかりの顔をした。
 ソナーレの籠は本人の申告どおり、あと数十分もあれば完成するだろう。 しかしリオの籠はまだ一時間以上かかりそうなのは明白なくらいの完成度であった。
「うぅ、あたしは図画工作との相性が悪いのよ……ってコラ、どこへ行く気?」
 よよよ、と舞台女優のように大げさな身振りで悲哀ひあいを表していたリオが、 ソナーレの様子を見て咎めるような声を出した。
「えっ? ああ……もう昼休みだからお弁当を持っていこうと思って」
 ソナーレは机の横に置いてあった手提げ袋を持つと席から立とうとしていたところだった。
「ちっ、弁当二つ分の大きさ。いいもーん、男を前にすると女同士の友情なんてもろいもんだわ」
 リオがわざとらしく恨みごとを言ってみせるがこれはいつものこと。単にからかっているだけなのだ。
「あたしはこの籠ちゃんと格闘しながら昼ご飯食べてるから、このクソ暑いのにさらに熱くなりたい人はどっか行っちゃえ〜」
「もぉぉぉ、そんなんじゃないってばっ!」
 頬を赤らめてソナーレは抗議するのだか、リオは聞く耳持たずという態度。 籐籠を片手に腹話術のように一人で会話している。「あのおねーちゃん、こわいね」とか何とか、ぼそぼそと。
「はぅぅ〜っ」
 ソナーレががっくりとうなだれていると、コツコツと頭をつつかれた。
「ヤツは腹をすかせて待ってるよ、早くいってあげなよー」
 微妙な高音で籐籠――リオ――が喋る。彼女の顔を見ると、いってらっしゃいと言う代わりの笑顔。
 胸のうちがぽかぽかと温もった。
 ソナーレは手提げ袋を握りなおすと、その笑顔に見送られるようにして教室の入り口へと向かった。

 今は夏休みに入って間もない頃。 何故そんな時期に彼女たちが学校へ来ているかというと、それは地域が主催している夏期講習に参加しているからだ。 もっとも夏期講習といっても学習塾で行われるようなものではない。 夏休みを無為むいに過ごし、非行などの学生にあるまじき行為に走られたら困る、 そう考えた地域の学校連盟が主催しているイベントなのである。 プログラムはかなりの種類があり、彼女たちが参加している手工芸‐03もその仲の一つ。 他には園芸ガーデニング運動スポーツなどいったものもある。 遊び感覚で行え、なおかつ無事に終了させれば夏休みの課題の一つとして認定されるので、それなりに好評なイベントであった。
 期間はコースにもよるがおおむね数日ほど。 午前九時半に始まり、間に昼食休憩をはさんで午後三時頃に一日の日程が終了する。 ソナーレの籠作りも後数時間で終了を迎えるのだ。
 会場の一つとして使われている、自分たちが普段通っている高校の廊下を手提げを抱えて彼女は歩いていた。 まずは自販機が置いてあるスペースまで行き、お茶を二つ購入する。 そのまま手提げに入れると缶についた水滴で袋が濡れてしまうから、これは手で持っていくことにした。
 目当ての人はどこにいるのだろう?  相手が参加しているプログラムの内容は知っているけれど、今日使っているらしい教室は食事をするのに快適という場所ではないだろう。 どこか別の場所にいるはず……。
 ソナーレは軽く瞑目めいもくして考える。 昔から知り合いを探すのは得意な方で、何となくこちらではないかと思う方に歩いて行くと結構な確率で出会うことができた。 今日もそのつもりで探ってみた。
 ふらふらと自分の感覚に頼って歩みを進める。 階段を下りて1階へ、それから廊下を少し歩いて下駄箱へ。外履きに履き替えて校舎を出ると、建物の周りに沿うように進んだ。
 外は青い空が広がっているが端の方に雲が湧いていた。
『あ……夕立になったらヤだな。涼しくなるのはいいんだけど、傘を持ってきてないから家につくまでは待っててね』
 空に向かってそんなことを言っても仕方が無いのだが、これは気分の問題である。
 強烈な陽射しが夏という季節をふんだんに実感させたが、 この辺りまで歩いてくるとたくさん植えられた木々がそれをさえぎってくれた。 さわさわと枝が揺れる音、葉をかして入ってくる緑の陽光、 心なしか先程までいた美術室よりも涼しく感じられた。
 校舎の外壁の根元、建物の基礎部分が埋まっているのだろうか中途半端にでっぱった部分がある。 彼女の腰くらいの高さがあるコンクリート製の小さなステージとでもいうのだろうか。 ――事実、演劇部や漫才同好会が練習に使用していたりもする場所である。
 そこに背中をぺったりとつけて横になっている男性が一人。 白いワイシャツから伸びたしなやかな腕、彼女のそれよりもずっと長い脚、そして校内でも目立つ青い髪。
 間違いない、彼だ。目当ての人を見つけたことと、純粋に会えたこととでの二重の嬉しさが湧き上がる。 知らず知らず口元が綻んでしまったのも無理のないことだろう。
『……あれ? でも、何か変だよね』
 声をかけようと思ったが様子がおかしい。 普段なら武術をたしなんでいるあちらの方が、先にこちらの存在に気がつくのに少しも反応がない。
『寝ているの、かな?』
 よくよく考えてみれば寝転がっているのだからその可能性は大きい。 ただ学校という場で彼が眠っているというのが珍しく、どこか体調でも悪くしたのかと心配になった。
 足早に近づくと、コンクリート製の舞台によじ登り、手提げとお茶の缶を横に置いた。 彼の顔を覗きんでみると寝息は正常だし、顔色も悪くない。
 ――単に寝ているだけ、それも思いっきり。
『はぁ……でも良かった。てっきり栄養失調か何かで倒れたのかと思ったし』
 安堵の溜息をつくと、ソナーレは宇宙暦794年の地球ではいささかありえない理由をかなり本気で心配した。 というのも、この人はそれくらい家事のスキルが低いから。
 改めて相手の顔を注視した。
 ちょっと長めでサラサラの髪に、女の子の自分でも羨ましくなるような整った顔立ち。 いつもはキリリとした硬質な雰囲気も、眠っている今はすごく柔和にゅうわなものに感じられた。
 じっと彼の見入っている自分に気がついて、ソナーレは顔が熱くなるのを自覚する。
 トクン、と自分の心臓の音が聞こえるような気がした。
 いつの頃からだろう、この人のそばにいるとこんな気持ちになったのは。 リオが言ったように、この人を一人の男性として見ている――恋してるってことなのだろうか。
 目の前にいる人は眠ったまま。周囲の様子を確かめるように首を左右に巡らした。もちろん、こんな場所には誰もいない。
 もう一度、目の前の人が眠っていることを確かめると、彼女は自分の髪を手で抑えてそっと顔を近づけた。 何かに魅入られたかのようなぎこちない動きで身体を屈めると、次第に二人の間の距離がゼロになった。

 触れ合ったのはほんの一瞬、それだけの間のこと――。

『やだっ、わたしったら何やってるんだろ』
 夢からめたように慌てて身を離すと、顔の熱を冷ますように手でぱたぱたと仰いだ。 そして身体を動かした拍子にさっき買ってきておいたお茶の缶をひっくり返してしまった。
 ガツン、という缶と缶がぶつかり合う音に寝ていた人が身じろぎした。 そのまま目を明けると、ぼうっとしたまま空を見ていた。 が、すぐにかたわらの人間の存在に気がついたようだ。 欠伸あくびをかみ殺しながら身を起こすと、すまないという代わりに軽く頭を下げた。
「お、おはよ。めず、珍しいよねクレールが学校で寝るなんてっ」
「ここのところ熱帯夜が続いただろ、僕は寝るときに冷房を使わない主義だからそれで不眠気味だったんだ」
 先程の動揺がいまだに抜けていないソナーレの様子に気付いているのか、いないのか。クレールは律儀に事情を説明した。
「午前中にやるべき内容が早めに終わって時間ができた。 ここは家より涼しげな感じだから、休み時間中にゆっくりするつもりできたんだ」
 そうしたら眠ってしまって、と付け加えた。
「ふうん……確か調理を選択してたよね。今日は何をやったの?」
「今日は朝からずっと実習。バナナケーキとあとは……冷たい菓子とか、甘いものばかりだったな」
「女の子の方が多いもんね、調理だと。それで上手くいきそう?」
「同じ班にレクスがいるからな。今だって作りかけのものを放置できないと、調理室に残ってるし」
 ソナーレとも知り合いである赤毛の男性の名を出して、クレールは苦笑した。 彼は菓子作りなどほとんどやったことがないが、 レクスは彼と違って料理を含む家事全般をたくみにこなしているのだ。
「そっか、それなら安心だね。あ、お弁当持ってきたんだけど……食べれそう? 寝不足だと食欲なかったりするかなぁ?」
「いや、頂戴するよ。ここ数日では貴重な美味しい食事だし」
 食糧危機にでもおちいったかのようなアヤシゲな発言である。
「リョウコおばさまはうちのお祖母さんたちと慰安旅行中だし、 トルシュは野外宿泊キャンプを選択したから明日まで留守……フォルサちゃんみたいに、私の家に泊まりにきた方がいいんじゃない?」
「トルシュはいたって家事の役には立たないさ。大雑把というかいい加減なとこがある奴だし」
 保護者である祖母と彼の双子の片割れは留守。 その間残された二人をミセッド家で預かるという話は前にも出ていたのだが、 クレールはこれを機会に少しは家事に挑戦しようと妹だけを預かってもらうことにしたのだ。 その間――といってもまだ数日しか経過していないのだが――ラインゴッド家の中で何が繰り広げられていたのか、あまり考えたくはない。 ソナーレは心の健康のために、ちゃんと食べているのかとか具体的に聞くのは止めようと思った。
 そんなとりとめのない話をして食事をしていると、いつの間にか先程のドキドキはおさまっていた。 ヘタに思い出したりするとまた発作がぶり返すだろうから、一連の記憶は強引に頭から追い出した。
 のどを伝うお茶の冷たさがひどく気持ちよく感じられる。 二人はジージーとうるさいセミの声と、木々の枝が揺れる音を耳にしながらお弁当を食べ終えた。
「ご馳走様ちそうさま、美味しかったよ」
「あ、うん。よかった」
「これは洗って返すよ。幸いにも使ってる教室は調理室だから、帰宅時間にはきれいにして返せる」
「作ったお菓子を入れてくれると嬉しいな」
「了解。そろそろ時間だし戻るか」
 借りた弁当箱とソナーレの手提げと空き缶を手にするとクレールは立ち上がった。 そしてソナーレの手をとると、ひょいっと彼女を立たせた。これはコンクリート製の舞台を降りる時も一緒。
 そういうところが彼らしい、とソナーレは思う。 でも今日ばっかりはそんな感慨かんがいいだく暇もない。 自分がこっそりしたことがフラッシュバックして、妙にカクカクした動きになってしまった。
「大丈夫か?」
 怪訝けげんそうな顔でクレールが気遣ってくれた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶっ。さ、戻ろっ」
「ならいいんだが……」
 ずんずん歩き始めたソナーレを追って彼も校舎の入り口に向かって歩き始めた。
 二人の脚の長さやら、歩く速度に差があるものだから彼はすぐに追いついてしまう。 並んで歩く二人を夏の太陽が照らし、熱い風が髪を揺らす。
 クレールが空を仰ぐと、視界に発達した雲が入ってきた。
「これは……ひと雨くるか?」
「今夜はよく眠れそうだね」
「ああ、そうだといいな」

 二人はまだ知らない、これからどんな出来事が訪れるのか。
 それは夏の雷雨のように突然で、激しく――。


− Fin −


※この小説にはEROい続きがあるため、ビミョーな引きです。続きは恥ずかしいのでここには載せられませんw



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