初めて出会った時、なんて綺麗な人だろうと思った。 単に容姿がっていうわけじゃなくて――もちろん、中性的な美貌はわたしが今まで見たことないくらい素敵だったけど―― 出会った瞬間に彼から受けた印象がとても綺麗だと感じさせたの。
 彼はその時、村の酒場で美しいセレナーデを演奏していたっけ。 いつもは騒がしい酒場も、その日ばかりはしんと静まり返っていた。 誰もが美貌の吟遊詩人が爪弾くリュートの音色に聴き入っていたわ。 友達に誘われて、たまたま夕食を食べに行ったわたしもその一人。





第六章 青色睡蓮の見た夢



 わたしには魔術を極めると称して旅に出ていた父しか家族がいなかったから、夜の酒場に行くことを誰かに咎められることもなかった。 だから、その後も何度となく彼の歌を聴くために酒場へ行ったの。 彼は村にしばらく滞在していたから、昼間も顔を合わせることがあった。
 意を決して話しかけたのはいつことだったかしら?  話しかけてみると、彼はとても気さくで、でもちょっと不思議なところがある人だった。 ダムシアンの方から来たらしく、都の様子や遠い異国の話をたくさん聞かせてくれた。 わたしも父から聞いた昔話や、この村のことを色々話したと思う。 自分の中にこんなに言葉があるんだって、その時に初めて知った。
 彼と話をする度に、どんどん彼に惹かれていく自分に気がついた。 そして――この村を去り、別の場所へ行くという彼に想いを打ち明けたの。 あの時はすっごくドキドキした。心臓はバクバクいうし、熱でも出てるんじゃないかってほどに顔が熱くなって……。 夜の砂漠は涼しいはずなのに、わたしだけが灼熱の太陽に晒されているんじゃないかって思ったくらい。
 わたしの話を聴いてくれた彼は、自分の事情を説明してくれた。 それはもう、すっごく驚いたけど、言われてみれば食事をする時のしぐさや、言葉遣いが洗練されてるなぁって思ったっけ。 でもでも、彼の本当の名前や身分を聞いたくらいで、わたしの気持ちはゆらいだりしなかった。 そりゃあ、自分が未知の世界に入っていくことになるんだから、そういう意味はでは不安もたくさんあった。 けど、この人と一緒なら大丈夫――そう思わせる暖かさが彼にはあった。
 それで、わたしは彼と一緒にダムシアンに行くことになった。 父親は不在だったから丁度良いって思った。お父さんったら、絶対に反対するもん。 昔っからそうなのよね、わたしのすることに対して、危ないとか、お前はまだ未熟だからってケチつけてばっかり。 自分は魔術の研究と称して、旅をしてばかりなくせに。 魔術だって便利なばっかりじゃないってこと、わたしだって知ってる。 強い魔術にはそれだけ危険が伴うし、過ぎた力が身を滅ぼすってことは初等魔術の教本にだって書いてあるし……。 それにお母さんが亡くなった時だって……いやいや、それは別の話よね。
 彼の国へ行って、ご両親――国王夫妻にお会いして、そこで結婚を許していただくことができた。 わたしみたいな平民が嫁ぐなんてこと、反対されるんじゃないかって思っていたけど、そうならなくて良かった。 何でもダムシアン王家の先祖は一介の商人から身を立てた人だったとかで、周辺の王国に比べて身分というものの壁が薄いらしい。 もちろん、彼の妻として相応しい女性になるべく、王妃様から色々と習わなくてはいけなかったけど。
 少しして、彼が言ったの。きちんと君のお父上にお許しをいただかないとって。 いつ帰ってくるかも判らない人だから気にしなくて良いって言ったけど、まあ、仕方ないわよね。 あれでも二人きりの家族なんだし。
 そんな話をしていた時だった、見たことも無い空飛ぶ船がやってきたのは。



*  ・  *  ・  *



「ア、アンナァァァァッ!! 貴様、貴様がアンナを!」
 テラは娘に取り縋っていた青年の服を掴むと、ぐいと引っ張り自分の方を向かせた。
「よくもワシの娘を!」
「ち、違う。違うんです、これは――」
 テラの凄まじいまでの剣幕に対し、青年は消え入りそうな声を出した。
「何が違うというのだ!」
「お願いです、私の話を聞いてください」
 悲しみと苦悩に満ちた表情で、青年は哀願した。
「ええい、黙れ! 貴様が娘を連れ出したりしなければ、こんな事にはっ!」
 テラは普段の彼からは信じられないくらいの力で、目の前にいる青年を強く揺さぶった。 今にも暴力を振るわんばかりの様子である。
 そこに居たのはいつもの穏やかな老賢者ではなかった。大切な肉親を喪い、悲しみと怒りによって激昂する父親である。 怒りに肩を震わせ、険しい目つきで青年を睨んでいるが、その瞳の奥には突然の出来事に対する驚愕があるように思われた。 突然、胸中に湧き上がった渦巻く感情をどう扱えば良いのか、きっと本人も解っていないのだろう。 だからこそ、目の前の青年にむき出しの感情をぶつけるしかなかった。
 ぶるぶると震える手が拳を作り、振り上げられた。
「だ、だめだよ、おじいちゃん……!」
 小さな白い手が伸ばされ、テラの反対側の手をぎゅっと握り締めた。
「……!」
 何かに憑かれたようなぎこちない動作で彼が横を向くと、極上の翡翠色をした瞳が彼を見つめていた。 今にも涙がこぼれそうな揺れた瞳は、幼いないだけに真摯な想いを湛えている。
「嬢ちゃん、すまん! ワシは、ワシはどうしても奴を!」
 テラは何かを断ち切るように一瞬目を閉じる。 かすかにかぶりを振ると、リディアの手をそっと離した。 そしてセシルの方へ幼い少女を押しやった。
 この時、リディアは何か言葉をかけたくてたまらなかった。 このまま放っておいてはいけない、そう思うのだが何をどう言えば良いのか全く解らない。 口からは言葉にならないもやもやがこぼれるだけである。 無力さと切なさで胸が張り裂けそうだ。
 彼女は傍らのセシルを見上げるのだが、彼も辛そうな様子で佇んでいるだけだった。 きっと自分には何もいう資格が無い、そう思っているのだろうか?  リディアの肩に置かれた手のひらから、彼の深い悲哀が伝わってくるようだと彼女は感じた。
「娘の痛み、貴様にも――」
「待って、お父さん」
 振り上げられたテラの拳を止めたのは、弱々しい女性の哀願だった。
「「アンナ!?」」
 期せずして対立していた二人の声が揃う。二人の声音には驚きと喜びの感情が備わっていた。
「生きていてくれたのだな。今、治癒の魔法を」
 だが、アンナと呼ばれた女性は力なく首を振る。 もう残された時間も気力もほとんどないということを、本人が一番理解しているのだろう。 これだけは伝えたいという真剣さで父親を黙らせると、搾り出すように言葉を紡いだ。
「きっと、もうわたしは半分くらい死んでいると思う。ただ、どうしても伝えたくて。 お父さんにもわたしたちのこと、きちんと知って欲しくて…… 深い眠りに落ちるような感覚の中、お父さんの声が聞こえたから、それだけを頼りに」
 彼女のまぶたはうっすらと開けられているが、もはや何も見えていないようだった。 意識が溶けゆく中、聞こえた声と感じる何かを頼りにしているのだろう。
「彼――ギルバートはダムシアンの王子。お父さんがいない間に、カイポの村で出会ったの。 その時は王子様だなんて知らなかった。彼は身分を隠して吟遊詩人として旅をしていたから……。 ああ、とっても綺麗な歌声をお父さんにも聞かせてあげたいな」
 切れ切れに、けれども全てを慈しむような優しい声で彼女は続ける。
「だからね、わたしは彼の身分や財産に惹かれたんじゃない。彼自身に惹かれたんだって胸を張って言える。 彼のご両親に挨拶をして、彼ともよく話し合って、わたしのお父さんにもちゃんと挨拶しようってことになったの。 大好きなお父さんだから、わたしたちのことを認めて欲しいって思ってる。 いつもケンカばっかりだけど、でもずっと家族だったものね」
「そしてカイポに行こうとしたら、バロンの赤い翼が……」
 青年――ギルバートが沈痛な面持ちで、赤い翼による襲撃のことを説明した。
「ゴルベーザと名乗る男がクリスタルを奪い、クリスタルを守ろうとした私の両親や臣民を殺し……」
「ギルバートや国王様はわたしを隠し通路から逃がしてくれたけど、どうしても彼のことが気になって戻ってきたの。 そうしたら、お城の人をかばう彼に弓が向けられているのを見つけて……後はもう夢中で走り出していたわ」
 だから彼のせいじゃないのよ、お父さん――そう伝える代わりに、アンナはかすかに口元を綻ばせた。
「そんなにまでこの男のことを」
「うん」
 テラは受け入れがたい事実を目の当たりにし、どうして良いのか判らない様子だった。 こんな状況でなく、子どもだと思っていた娘が一人前になったのだということを素直に喜べたら、どんなに良かっただろう。
「だから許してね。勝手にいなくなったこと、お父さんを独りにしちゃうこと。 ギルバート、わたしあなたに会えて本当に良かった。この魂が朽ちても、ずっ……と、愛……してる!」
 アンナは万感を込めて想いを告げると、安心したかのような穏やかさで意識を手放した。 そして次第に身体から熱も鼓動もなくなり、彼岸へと旅立っていった。
 最愛の人たちと理解し合えた女性の表情は、安らぎに満ちていて美しかった。

 惨劇が起きた城の空気は石のように重たかった。生き延びた僅かな人々のすすり泣きの他は、ひそとの音もしない。 アンナが息を引き取ってから、ほんの僅かな時間しか経過していなかったが、無限の時間が過ぎたかのように錯覚させられる。
 沈黙を破ったのは老賢者だった。
「ゴルベーザとは一体何者じゃ?」
 暗い顔をしたテラは、娘の仇についてギルバートに問う。
「私も詳しくは知らないのです。商人達の噂で聞いたところでは、最近、バロン王国に現れたかと思うと、 瞬く間に王の信任を得たそうです。そしてクリスタル収奪の役を任されただけでなく、王国軍をも掌握している様子。 軍備を拡張して赤い翼だけでなく、人ならざる力を持つものを配下に従えているとか……。 ああ、そこの貴方は何も知らないのですか?」
 ギルバートはセシルを――彼の着ている暗黒騎士の鎧をじっと見た。
「すまない、僕は国を出奔した身。今のバロンについては何も……」
 セシルは顔を歪めた。自分が仕えていた国であるだけに、何も答えられないことが情けなかった。
「まあよい。アンナを死に追いやったのがヤツであるということだけで十分じゃ。 ワシはバロンへ赴き、ゴルベーザとやらを討つ! 命に代えてもな!」
「テラ、ゴルベーザという男は得体が知れない。それにバロン軍をも相手にすることになるから、一人では無茶です。 ゴルベーザはいずれ相見えなければならない相手。せめて機を得てからに」
「そうだよ、テラおじいちゃん。セシルおにいちゃんや、あたしも一緒じゃなきゃ!」
 セシルとリディアは口を揃えて反対する。 それはテラの無謀を止めるというより、彼が復讐の囚われ人になることを防ぎたいという想いからだった。
「助けなぞ不要じゃ! 確かにワシの肉体は年老いているが、魔法という力がある。空をも断ち切る星の刃がな」
「ですが!」
「止めてくれるな。短い間じゃったが、世話になったの。さらばじゃ」
 テラは二人に背を向けると、つかつかと部屋の出口に向かって歩いていく。
 その後姿は人を寄せ付けない雰囲気を纏っていたが、表情は違っていた。
将来さきのある若者を私怨に巻き込むわけにはいかんからのう……)


「殿下、死者の弔いをせねばなりません」
 気遣わしげな表情で、家臣の一人がギルバートに声をかけた。
 彼自身も含め、家臣たちは皆、憔悴しきった顔をしているが、いつまでもこうしている訳にはいかないのだろう。 縋るように今や唯一人の主君となったギルバートの指示を求めたのだ。
「あ、ああ……」
 ギルバートは幽霊のように儚い動作で身を起こすと、ぽつりぽつりと指示を出していく。 死者の弔い、負傷者の手当て、当座の生活空間の確保、城下の被害の確認……と、やらねばならいないことは山ほどある。
 命を受けた家臣たちが下がっていくのを見届けると、ギルバートはマントを脱いでアンナの遺体を包んだ。 クリスタルルームで命を落とした両親の遺体は、地下の墓所に葬る手はずになっている。 彼女の亡骸もそうせねばならないのだが……。
「アンナ……」
 物言わぬ恋人の隣に腰掛けると、吐息とともにその名を呟く。
 このまま一緒に死んでしまおうかとも思う。 自分も王族の端くれ、いざという時のための毒も、喉をかき切るには十分な小剣も持っている。 白い小さな丸薬を飲むだけで、刃を首に走らせるだけで、永劫に続く悲しみと苦しみから逃れることができるのだ。
 戦いは嫌いだった。剣による争いも、権力による争いも。 意見の異なる人々を上手くまとめ、時には厳しい決断をしなければならないのが王だった。 父王が立派に国を治めていただけに、自分はああも立派な王になれないと自覚していた。
 だが、いずれ王位を継がねばならないことは解っていた。 それまでの間――と、愛用のリュート一つ手にして旅に出た。 その先で出会ったのがアンナだった。
 旅で得たものは色々あった。見聞を広めたというのもあるし、音楽に対して良いインスピレーションを得たというのもある。 何よりも良かったのは、自分そのものを見てくれる人と出会ったことだった。 旅先では、自分はただの吟遊詩人。出会う人たちは皆、自分の肩書きに左右されずに音楽そのものを聴いてくれた。 音色に併せて王族としてでない、自分の素直な心を太陽の下にさらすことができた。 その心地よい気持ちは決して忘れることのできないもの。
 力だけが世界を変えるのではない、音楽だって人の心を繋ぐことができると語ったら、 アンナは「とっても素敵だわ」と優しい笑顔で頷いてくれた。 それなのに、彼女を国と国との争いに巻き込み、死なせてしまった……。
 彼女の穏やかな死顔を見ていると、熱いものがこみ上げてきた。 誰に遠慮することも無いと思い、目から透明な雫がこぼれ落ちるのを止めようとはしない。 彼女の父親が去っていった今、自分一人くらい涙を流し続けても良いはずだから。
「あ、あの……」
 ギルバートは唐突に話しかけられた。声の主はすっかり存在を忘れていた二人の旅人のうちの一人、小さい女の子だった。
「おにいちゃん、“砂漠の光”って知ってる? あたしたち、それが必要なの」
 小さな女の子は遠慮がちに自らの目的を伝えた。
「……君は?」
「あたし、リディア。ローザおねえさんを助けるのに、“砂漠の光”がいるの。この国の人なら知ってるって教えられて来たの」
「ああ、高熱病ですね」
 ギルバートは納得すると、近寄ってきたセシルの方を伺う。
「名乗るのが遅れて申し訳ありません。僕はセシル・ハーヴィと申します。僕の友人が高熱病に罹り、カイポの村で伏せっています。 僕はどうしても彼女を助けたい。貴方が“砂漠の光”についてご存知なら、教えていただきたいのです」
「……知っていますよ、ただ手に入るかどうか。 あれはアントリオンという砂漠の生き物が出す分泌物なんです。 最近は砂漠の生き物の様子がおかしくなったせいで、商業路から外れた場所に入るのが難しくなりました。 その影響で巣に近づくのが難しくなり、市場に出回ることがほとんど無くなってしまったのです」
「そんなぁ!」
 リディアは顔を曇らせる。
「大丈夫、私達タムシアン王家の者はアントリオンの巣を一ヵ所知っていますから。そこまでの道筋をお教えしましょう」
「ありがとうございます」
「ありがとう、おにいさん!」
 セシルとリディアは揃って頭を下げた。
 希望に輝いた二人の表情とは対照的に、ギルバートの表情は寂しげだった。


 出立を明日に控えたリディアとセシルは、ギルバートに連れられて城の裏庭にやってきた。 そこには四角く池が造られており、丸い大きな葉を付けた睡蓮が生えていた。 池の周囲にはこの地方特有の庭木が植えられており、薄闇の中、白い花が幻想的な姿で咲き誇っている。
「亡くなった人たちの手向けに花をと思いましたので。一緒に摘んでくれますか?」
「うん!」
 リディアはこくりと頷くと、初めて見る花たちを目掛けて走っていった。 大人たちはゆっくりとした足取りで花の方へ近づいていく。
 しばらく三人とも無言で花を摘んでいた。 手にした籠が溢れるくらい花が集まると、休憩とばかりに池のほとりに座った。 いつの間にか空は菫色に染まり、幾千もの星々が瞬いていた。
「池のお花は蕾ばっかりなんだね」
 リディアはひょろりとした茎の先についている、丸い塊を見ながら残念そうに言った。 ミストの村には池の上に咲く花は無かった。せっかくなら、この花が咲いているところも見てみたいと思ったのだ。
「この花はティナと言う名前。ティナは朝から夕方まで咲いて、夜の間は蕾が閉じます。 そうやって数日、咲いたり閉じたりを繰り返して、次第に花弁が落ちるんですよ。 明日の朝になったら、ここに来てごらん。素敵な青紫色の花が見れますから」
「本当!? じゃあ、明日は早起きするね!」
 リディアは顔をにこにこと輝かせた。
 そして、手元の籠の中身をごそごそと弄りだす。どうやら集めた花を選り分けているようだ。
「リディア、花をどうするのかい?」
 こう目の前にあっても、花は全て同じに見えてしまうセシルは、興味深そうに少女に尋ねた。
「えっとね、これはテラおじいちゃんの代わりにって集めた分、こっちはローザおねえさんが早く良くなりますようにって集めた分。 それからこっちはおかあさんたちの分。わたし、まだおかあさんにお花をお供えしてなかったから」
「そうか……」
 セシルは視線を落とした。 ミストでの出来事を振り返ると、埋葬さえすることもできなかったのだと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ごめんなさい。おにいちゃんのことを怒ってるんじゃないよ。 ギルバートさんがお花をって言ったのを聞いて、あたしもそうしたいって思った。だからなの」
 二人のやり取りを見てギルバートが怪訝そうな顔をしたので、セシルは自分たちのことを話した。 火のクリスタルのこともあるし、バロン王国のことも含めて話さねばならないことがたくさんあった。
「そんなことが……。それでもなお、貴方達は前に進むことを止めなかったのですね」
 一通りの話を聞いたギルバートは嘆息した。
「僕は彼女と約束しましたから。それにこんなことになってもバロンが好きです。だからこそ、真実を探り、非道を止めたい」
 セシルは真っ直ぐ前を向いて言った。この約束だけは放棄するわけにはいかない。
「私はあの時、死んでしまいたいと思いました。リディア、貴女は辛くなかったのですか?」
「……今でもおかあさんに会いたいって思うよ。泣いちゃう時もあるよ。でも……」
「でも?」
「泣いてるだけじゃ何にもならないもン。だから、おにいちゃんと一緒に行くの。悪い人をやっつけに」
 リディアは手にしていた花を置き、両手をきゅと握りしめた。
「貴方達の強さが羨ましいです」
 ギルバートは相手が年端も行かない少女だということも忘れ、真剣にそう考えた。
「ギルバートさんは弱虫なの?」
「……えっ?」
「こ、こら。リディア!」
 セシルは慌ててリディアの口をふさいだが、もう遅い。
「そうですね。私は弱虫だと思いますよ。この先もずっと……」
 ギルバートは怒るでもなく、穏やかに微笑んだ。
「あのね、あたしも最初はずっと泣いてるだけしかできないと思ったの。ただの弱虫だったの。 でもね、そのままじゃなかった。 悲しい気持ちはなくならないけど、大好きだった人たちのために何かしたいって気持ちも一緒に持てるよ!  ギルバートさんも、アンナさんやおとうさんたちに何かしたいって思うよね?」
「アンナのため、皆のため……私にできること」
 彼は一つ一つの言葉を反芻するように、ゆっくりと呟いた。
「今の僕達には貴方の力が必要です。 貴方自身もこの国も辛い時期だと存じますが、どうか力を貸してください」
「ローザという人のためですか?」
「はい」
「その人は貴方にとってとても大切な方のようですね。もう、誰も愛する人を喪ってはいけない……!  私も共に参りましょう。アントリオンの巣に行くために、良い移動手段がありますから。 一刻も早く、その女性を助けるために」
 そう口にした彼の瞳は、もう悲しみだけがあるのではなかった。 歌と国民を愛する彼らしい優さが兆していた。
(愛する人を喪い、悲しむ人を増やしてはいけない。 私は少しも強くはないけれど、せめて今はこの人たちの強さに倣うことにしましょうか)
 ギルバートは立ち上がると、二人を促し歩き出した。
「まずはこの花を皆のところへ持って行きましょう。そして明日に備えて支度を」
「うん」
 リディアはこくりと頷いた。その表情はいつもより大人びて見える。
(おかあさん、あたしにも誰かを助けることってできるよね? 今、この人にそうしたように。 あたし、いっぱい、いーっぱい頑張るから、お空から見ていてね――)




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