うたかたの夢 −雨は告げる−

 私が生まれてからひと月程の時間が過ぎ、季節は春から夏へと移り変わろうとしている。ランティス博士の広大な研究所がある場所は、雨の多い時期に入った。この雨降りの時期が終われば湿度は下がり、またこの場所は高原でもあるため、都市部に比べれば涼しく快適な夏が訪れるらしい。私の身体はまだ夏を知らぬ為、それを想像する事しかできず、なんとも歯痒はがゆい。
 目覚めて以来、私は大半の時間をこの近辺で過ごしている。というのも完成したての私は、何かと不具合を起こしたりする事がある為、博士と研究所の側を離れる事ができないのである。他の十賢者シリーズ達は仕事で遠方に出たりもするが、博士から私に与えられた指令は二つ。
 一つ、博士の令嬢のフィリアの話し相手、及び護衛。
 一つ、世間慣れする事。
 博士程の科学者ともなれば、その家族を含めてテロの対象とされ得るので、最初の指令は納得がいく。しかし、次の指令は一体何だというのだろう。私には予め各種のデータがインプットされているのだから、今更何を何をしろというのだ? 私がその疑問を口にすると、相手は苦笑するか、諦めたような顔で溜息をつくかをする。ミカエルに至っては、さも愉快そうな表情で大爆笑である。
 ――――ますます解らない。

 そんなある雨降りの日、私はフィリアと共に近くの街まで出かけた。カウルという街で商業が発展しており、大型商店や様々な店が詰まった建物が無数に立ち並んでいる。
 中心部やそこから東西南北に伸びているメインストリートには、有名であったり高額所得者が利用する様な高級商店がある。そこから外れるにつれ様々な店がひしめいており、治安が良くないとされる地域では非合法の商品を扱う店もあるという。「そろわぬものは何も無い」の売り言葉と共に商業都市カウルと呼ばれるのも納得がいくが、背の高い建物が多いため空が狭く感じて、私には少し息苦しい街だ。
 往々にして女性には買い物好きが多いとデータにあるが、彼女にもそれが当てはまるようだ。午前中から飽きる事なく店を巡っていて、私の両手にはすでに荷物がぶら下がっている。午後になってから雨が止み、傘を差さずにいられるのが幸いだった。
 そんな事を考えているうちに、今度は街の南のメインストリートに面している洋服屋に入っていった。
 彼女はズンズンと店の中を歩き回る。急に立ち止まった彼女は並べられている洋服の1着を取り出し、私に押し付けた。
「これどうかしら? ツヤのある黒い生地が、あなたの髪の色によくえると思うのよ。ちょっと試着してみてくれる?」
「これを……私がですか?」
「そうよ。さぁ、早く着てみてちょうだい」
 フィリアの小柄な身体の何処から湧いてでてくるのか、彼女は凄い勢いで私を試着室へと押し込んだ。

 試着室の狭いスペースの中で、私は手の中の服を改めて検分けんぶんしてみる。それは光沢のある黒い生地でできており、よく見ると所々に同色の黒い糸で刺繍ししゅうが施してあるものだった。全体のデザインも良く、縫製ほうせいもしっかりしている。
 もともと着ていた白いローブを脱ぎ、袖を通す。サラサラとした肌触りが気持ち良い。不思議と大きさも私の身体にぴったりとあった。まるで私の為にあつらえたかの如くである。
「ガブリエルー、もう着れた? 開けるわよ?」
 と言いながらも、フィリアは私の返事も待たずに試着室のカーテンを開けた。
「あらあら、よく似合っているじゃない! じっくり選んだ甲斐かいがあるってものねえ」
 ――――じっくり選んだ、だと? 確か彼女はもの凄い速さで決断していたはずだ。それとも、あれは彼女にとっては熟慮じゅくりょしたというのだろうか。それなら、もっと思考に時間を費やすという事を教えてやった方がよいかもしれない。
 よくお似合いですよ、などと店員が微笑しながら言っている。それはまあ、そうだろう。自分でいうのも何だが、試着室の鏡に映った私はその服をしっかり着こなしているように思う。
「今、自分でも似合ってるって思ったでしょう?」
 私の顔を覗き込みながらフィリアが訊いてくる。
「何の事ですか……フィリア様」
 彼女に気取られてたまるかと思ったので、しらばっくれてみたのだが、彼女は私の本心を見透かしたかのように、得意げな表情でくすりと笑う。
「ガブリエルって可愛いわねえ、お姉さん嬉しいわ。あ、すみせんけれどこの服包んでくれます?」
「承りました」
 そう言った店員はこちらに視線を送ってくる。フィリアもだ。
「な、何なのですか」
 フィリアはふぅーっと溜息をついた後、私に告げた。
「ガブリエル、その服脱がないと包めないわよ」
 …………!
「わ、わかってますよっ」
 私は慌てて試着室へと逃げ込んだ。
 言われるまで思い至らなかったとは、この先ずっと誰にも言うまい……。
 店員が魔法めいた手捌きで綺麗に梱包こんぽうしてくれている間、私はふと考えた。
 私の着る服である純白のローブは研究所に何着か替えがある。別に新たに服を買う必要など無いのだ。いくらランティス博士とフィリアが裕福に生活しているとはいえ、無駄遣いはよくないだろう。ましてや我々十賢者シリーズは、ファッションを楽しむ為に作られたのではないのだから。
 そのことをフィリアに告げようと思ったときだ。
 地の底から突き上げるような衝撃が――!!


 ドンッ、ズズ――ン!!
 私がフィリアをかばうように抱きしめながら身を伏せるのと、音と振動が走るのはほとんど同時だった。
 彼女は私の腕の中で身体を動かすが、私はそれには頓着とんちゃくせずに揺れが収まるのを待った。
 すぐに静かになったので身を起こす。そしてフィリアを立たせつつ、周囲の様子を確認する。カウンターに隠れるようにしていた店員は無事だが、先程までは丁寧に陳列ちんれつされていた服はぐちゃぐちゃになり床に落ちていた。
 今度は外の様子を窺う為、店の入り口から首を出す。通りには衝撃に耐えかね、座り込んでしまったと思われる通行人達が何人もいる。中には怪我をしている者もいるようだ。怪我人には手当てが必要であろう、などと考えていると、通行人の1人が街の中心の方を指さし悲鳴をあげた――。
 それもそのはず、指さされた方向からは大量のほこりがもうもうと舞い上がり、破片も巻き込みながら壁の様になりながら押し寄せてきていたのである。
 危険状況であると判断し、その辺にいる人間達に近くの建物に逃げ込むように指示を出す。それが聞こえた者達は、おぼつかない足取りで避難を始める。私も手近な所にいる通行人を何人かつかみ、フィリアのいる洋服屋に飛び込む。ドアを閉めると、外の様子を知ったであろう店員がクラフトテープを渡してくれたので、それを使いドアの枠に合わせて目張りをした。これで隙間すきまから埃が入ってくるのを防げるだろう。
 そうこうしている間に、眼前を津波と化した粉塵ふんじん怒涛どとうの勢いで通過し始める。先程の揺れで送電システムが壊れてしまったらしく、店内の照明は消えていた為、昼間だというのに夜の様な暗さに包まれた。店内にいる者達は非常灯の薄ぼんやりとした光の中、誰も何も言わずにただ窓の外を眺めるのみであった。
 どのくらいの間こうしていただろうか。実際には数分と経っていないはずだが、とても長い時が流れていった様に感じられる。
 粉塵の津波が過ぎ去り、部屋に明るさが戻ってきた。それと同時に店内にいる者達も忘我ぼうが状態から立ち直り始めた。
「爆発――、爆発音がしたのよ。街の中心の方から聞こえてきて……そしたら今度はすごい揺れがっ。もぉ、何があったっていうのよぉ……」
 私が連れてきた女性がヒステリックに喋る。緊張がとけたのか目に涙が溢れていた。
「そこの姉さん、落ち着きなよ。とりあえず無事だったんだからな……。そっちの赤い髪の兄さん、ありがとな。あんたが冷静な声で指示を出してくんなきゃ、オレもぼさーっと突っ立てたよ」
 自力でこの店に避難した40歳くらいの男性が、私に向かって頭を下げてくる。それを見ていた先程の女性も、慌てて私に礼を言ってきたので、私も2人に向かって軽く会釈えしゃくを返した。
「あら……? 小父さま、足のところ……怪我をしていらっしゃいますわ」
 先程まで私が助けた他の人間達――親子連れらしい――の怪我をていたフィリアがこちらにやってくる。男性の足を見ると、ズボンに血が滲んでいた。
「ああ、こりゃあ治りかけの傷だったんだが……、さっきよろけた時に開いちまったみてえだな」
「こんな時ですから、私に治させてくださいな」
 男性は大した事ではないとばかりに言うが、フィリアはそれに構わず治癒の呪紋を唱えた。
「我の創りし光球よ、癒しの力となりて彼の者をやわらかに包み込め。キュアライト!」
 足の痛みが消え去ったの感じて、男性がズボンのすそをまくり上げる。そして目を丸くした。
「こりゃあ驚いた。傷跡が残りそうな怪我だったんだが、見事に治っちまってるな。ありがとう、嬢ちゃん名前は?」
「わたしはフィリア――フィリア・ランティスと申します。こちらはガブリエルですわ」
 フィリアは訊かれてもいないのに、私の名前まで告げていた。初対面の人間に、こうもあっさり個人情報を漏らすのは、あまりにも不用心ではなかろうか。彼女に忠告でもしてやろうかと思ったが、2人は私の事などそっちのけで話し込んでいた……。
 フィリアと男性――ジェットという名だそうだ――の話を総合すると、以下の事が判った。
 街の中心にあるハイランドビルで爆発があり、その後ビルが崩れたらしいという事。そして、そこにはオフィスと商店が入っている為、大勢の人間がいたであろうという事も。
 ハイランドビルは、通りに出ればここからでも見る事のできた建物だ。ジェットはそれが崩れゆく様子を目の当たりにしたのだろう。それは気持ちの良いものではないだろうと思う。
 そんな感慨かんがいはさておき、近くにいるのだから救援に向かわねばならない。私には「有事の際に多角的な支援活動をする」という条項があるのだから。瓦礫がれきを取り除くなり、怪我人を搬送はんそうするなり役に立てるだろう。
 外からも救助用車両のサイレンが聞こえてきたりと、にわかに騒がしくなってきた。
「フィリア様、私は行かねばなりませんが……私が離れている間、こちらで大人しくなさっていて下さい。こちらにいれば騒動に巻き込まれる事もないでしょうから」
「何言ってるのよ! 怪我をしている人達がいるかもしれないのよ。治癒術師を目指す人間としては放っておけないわ」
 聞き分けのない彼女に苛立いらだちつつも、はっきりと告げる。
「それならば、施療院せりょういんの方に行けばよろしいでしょう。負傷者はそちらに運ばれるはずです。それとも私が救援に向かうのを邪魔するおつもりですか? 私は貴女の安全を守る様に言いつかっております。貴女が無謀な行動をなさるのであれば、それに付き合わねばなりません」
 ――少し卑怯な言い方であったろうか。
 少々気の毒な感じもするが、今は呑気のんきな事を言っている場合ではない。ぐっと言葉に詰まった彼女をその場に残し、私は屋外に出た。
「お兄ちゃん、頑張って――!」
 先程フィリアが看ていた少年――親子連れの子どもの方――の声を背に受けながら、ハイランドビルのあった方を指して疾走しっそうする――。


 空はどんよりと曇っている。午後になって上がった雨がまた降り出してきそうだ。
 爆発があったとされるハイランドビルに近づくにつれ、都市警察やら救急隊員の姿が見えてきた。職務熱心なのか、ただの恐いもの知らずなのか判らないが、報道関係者の姿もある。彼らの声や、サイレンの音で辺りは喧騒けんそうに包まれている。
 野生のチーターにも負けず劣らずの速度で走る私は、その人波をふわりと飛び越え、すぐに目指す場所へと辿たどり着く。現場であれこれと指示を出している男に向かって身分証を見せつつ、こちらの用件を伝えた。十賢者シリーズの存在をこの男が知っていた為、それはすぐに受理され、私は救助に邪魔な瓦礫がれきを取り除く事となった。
 いくらか原型をとどめている部分もあるが、ほとんどは瓦礫の山へと姿を変えてしまったビルへと近づく。すると、カラカラと上から破片が1つ落ちてきた。ぞくり、とした感覚が危険を告げる。
 ――その瞬間、反射的に飛びのいた私の足元に、オレンジ色の光球が襲いかかる。
 光球は地面に触れたとたん、炎と風を撒き散らして爆発する。それは極めて小規模なもので、飛び退いた私には何の害も及ぼさなかった。しかし、周囲の人間達が気付くには十分な大きさで、辺りは一瞬静まるがすぐに騒々しくなった。悲鳴をあげて逃げる者、犯人を確保するべく武器を手にする者など様々だ。
 脆弱ぜいじゃくな人間達にうろつかれては、戦闘行動の邪魔であるからして、私はこの場から離れる様にと彼らに向かって言い放つ。
 そう、戦うべき相手がいるのだ。飛び退いた時に瓦礫の山の頂上にチラリと見えた人影――、私がここに来た時にはいなかったはずである。ひと言ふた言話をしている間、私に気取られぬ様に潜んでおり、ついでに私に悟られる事なく現れた、という事になる。
 ――迂闊うかつであった。犯人はすでにこの場を離れているものだと考えていた。あるいは最初から遠くで見物をしているか、である。爆破事件など起こせば、すぐに警戒態勢がとられてこの街から出るのは難しくなるから、混乱が続いている間に立ち去るのが最良である。そうしないという事は、余程の愚か者か、逃げおおせるだけの実力がある者かのどちらかだ。
 考えの至らない自分を戒めつつ、地面を蹴り一息で瓦礫の山を登りつめる。頂上は突き出た柱の残骸ざんがいや深い亀裂きれつが無数にあり、足場は良くないがかなりの広さがあった。そこには先程の人影――顔や体格を見ると男らしい――が、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて待っていた。
 赤毛を逆立てた頭の悪そうな男が口を開く。
「よう、待っていたぜェ。ここにいりゃあ、オレさまに喧嘩売ってくるお馬鹿ちゃんに会えるらしいからよォ。……おっとォ、自己紹介がまだだったなァ。オレさまはよ、バン・ウェルナーだぜい」
 偽名か本名か知らんが、わざわざ名乗りを挙げるとは……。「頭の悪そうな男」ではなく、「頭の悪い男」に訂正する必要がありそうだ。それはさておき、おおよそ間違いは無いと思うが一応確認を取らねばなるまい。
「ウェルナーとやら、お前がこのビルを爆破したのか?」
「違う、違う、違――うッ! ウェルナーじゃなくって、バンの兄貴って呼んでくれヨ♪」
 …………殺るか。
「そぉ怖いカオしなさんなよ、兄ちゃん。ちょいとからかっただけじゃねえか。このビルを吹っ飛ばしてやったのはオレさまだよ、安心しなよォ。ついでに高らかに宣言してやるぜェ」
 そこでウェルナーは一息入れ、声を大きくして再び喋り始める。
「アズィーザ教の真の教えを説くは我らが一派。此度こたびの行いは、その聖説を世に知らしめるための御戦みいくさ狼煙のろしである。……それを努めるのがァ、オレさまってぇワケよ」
 アズィーザ教というのは、トライア神の姫宮の1柱であるアズィーザ女神を奉じる教団の事である。生命を司る優しき女神という事で、広く一般の人々に慕われている。女神のその性格からして、信者の人間は破壊活動とは無縁である。
 ウェルナーの「我らが一派」という言葉からして、大半の信徒とは別の集団、それもこいつの属する一派というのは異端派であると考えられる。それも凶悪かつ過激な…。
「儀式によってオレさまが得た力はよォ、激デンジャラスだぜェ。持ち運びには困らねぇし、威力も爆発する時間まで調節できるスグレモノよ。たっぷりと味わいなァ――!」
 ウェルナーはオレンジ色の光球を手のひらに作り出し、こちらに向かって投げつけてくる。先程のものより大きく、速度も速い。威力もあるとみて間違いないだろう。避ける事もできるが、流れ弾に周囲を破壊されるのは上手くない。
 私は精神を集中して紋章力を使う。一瞬にして構築されたエネルギーの塊をウェルナーの光球目掛けて投じる。
 ぶつかり合った二つの力は激しく大気を震わせ、辺りに熱をもたらす。こんなモノを周囲にばら撒かれて上手くないので、ウェルナー目掛けて一瞬にして距離を詰める。
「はっ、速ッ!」
 驚愕きょうがくした顔のウェルナーには頓着とんちゃくせず、鳩尾みぞおちひざ蹴りを加える。かはっと息を吐きバランスを崩した身体の右腕を掴み、後ろにまわり込む。そのままうつ伏せになる様に地面に押しつけ、身動きができぬ様に押さえ込む。
「投降するか――? それならこれ以上は手荒な真似はしないが」
「ハイ、助ケテクダサイ……なんてオレさまが言うかよォォ!! 懐に入れば爆発は起こせネェとでも思ったのかァ。ンなわきゃねーだろッ」
 オレンジ色の光球が掌に現れる。
はぁ……。思わず溜息がつきたくなる。言っただけでは理解してもらえないらしい。仕方がないので私は力を行使した――。


「…………あれ? 爆発しねぇぞ」
 ウェルナーが気まずそうにつぶやく。
 当然である。ウェルナーの光球を包むように私は力を使った。爆発は一応起こっているのだが、それはこの小さなシールドの中での話である。
「…………」
「…………」
「じゃあ、そういう事でオレさま帰るわ」
 ウェルナーは何事もなかった様な表情でぼそりと言った。
 ……誰が逃がすか。返事をする代わりにウェルナーの両腕を抑えている手に力を込める。
「痛いだろーがッ! もっと優しくできねぇのかよォ」
 ……さらに力を込めた。
「スンマセーン、オレさまが悪かったですゥ。知っている事アレコレ話しますから離してくださぁい、エヘッ♪」
「……事情聴取は都市警察のすることだ」
 生理的嫌悪感から一瞬手を離したくなったがこらえて、ウェルナーに告げてやった。
「チキショー、話が違うぜェ……」
 がくりと肩を落としたウェルナーがボソボソと呟いている。そう言えばこいつの前口上からすると、背後に組織があるのは間違いないのだろうな……などと考えていると、ポツリと水滴が顔を打つ。それは1つ2つと数を増していき、またたく間に雨へと変じていった。
 静かになったからか瓦礫がれきの山の下の方で人間達が集まり始めた。ウェルナーを意識のあるまま渡すのは危険であろうから、頭部に打撃を与えるなりして気絶させた方が良いかもしれない。私はそれを実行し、気絶したウェルナーを抱えて人間達のいる場所へと降りていった。
 私がここへ来た時に話をした男性――都市警察の者らしい――が近寄ってくる。
「君! 怪我はないか? そいつが……そいつが犯人なのか?」
「ええ、本人がそう言っていますし、こいつ自身が爆弾のようなものです」
 意識があると危険なのでこのままにしておいた方が良い、とも付け加えておいた。男性は頷き、同僚に睡眠薬を準備させるように指示を出した。
 これだけの事をした犯人であるし、それと相対あいたいした私も一緒に事情聴取をされる事になりそうだ。そうなると拘束時間は長いだろうから、1度フィリアを連れて来なくてはなるまいな……。彼女の性格からして、さっき置いてきぼりにされた事で相当むくれているだろう。だが、ここに連れて来なかった事は正しい判断であった。
 フィリアを迎えに行こうとしたが、断らずにいなくなってしまう訳にはいくまい。警察の男性にその事を伝えようと近づいた。が、私の行動は穏やかな声音に止められてしまった。
「困りますね、この様な幕引きは。役者は定められている通りに動かなくてはいけません」
 黒のシルクハットに同色の夜会服という、現状においてはかなり場違いな服装の男性が、腰まである海色の髪を揺らめかしながらやってくる。この雨の中、傘も差さずにいるのに濡れている様子はない。今もまるで雨の方が男性を避けているかのごとくである。
 不審者である事は間違いないのに身体が動かない――。何をされている訳でもないのに、この男性の存在感にのまれているような気分だ。
「ウェルナー君、起きなさい」
 男性がパチンと指を鳴らすと、うめき声をもらしながらウェルナーが目覚める。
「あ、あんたは……」
「困りますよ、シナリオ通りに立ち回ってくれなくては……。私の書いた台本がこの様なものだと思われるのは頂けないのでね。端役とはいえ貴方のフォローをしに来て差し上げた」
「話が違う! 話が違うじゃねーかッ! オレさまに立ち向かってくるヤツは、クズみてぇに弱っちいヤツだと。そう聞いて――――」
 ウェルナーは最後まで言葉を紡ぐ事ができなかった。
 ドサリとその身体が倒れる。血が流れているという訳ではないが、私の目にも生体活動が停止しているのが判った。
 黒衣の男性は今度は私の方に向き直る。
「この者の死を悲しむ必要はありません。ビルを破壊して大勢の人間を殺したのは彼なのですから……」
 悲しむつもりは毛先程もないが、この男性に言われると釈然しゃくぜんとしないものがある。
 この男性がウェルナーに向かって軽く手をかざした、その瞬間にウェルナーは死んでいた。如何なる方法をもってしたものか見当もつかない。戸惑う私をよそにさらに語り続ける。
「愚かな人間です。他者に与えられた力を己が力と勘違いした挙句あげく、できる事は弱者をいたぶるだけ。小者は小者らしく振舞っていれば良いものを。おや……? なにやら不満ありげな表情ですね、ガブリエル様」
「何故…ウェルナーを殺した。訊く事が山ほどあったというのに……」
「貴方がいけないのですよ、ウェルナー君はここで貴方に倒される筋書きでしたのに。十賢者シリーズの最新型ともあろう方の振る舞いとは思えませんね。貴方に流れる血は何も申しませんでしたか?」
 ――何を言い出すのだこの男は。私の名を知っているという事はあっても不思議ではないが、「血が何かを言う」とはどういう事なのだろう。気にはなるが今はそんな事を考えている場合ではない。現実から離れていく思考を元に戻さなくては。
 黒衣の男は私の様子を楽しそうに眺めていたが、ふいに何かを思い出した様に口を開く。
「そうそう、申し遅れましたが私の名はジェラール・ローゼンハイムと申します。〈蒼流師そうりゅうし〉とも呼ばれておりますがね。今日は芝居が無事行われたかを見届けに来たのですが……、不手際があったものの貴方にお目にかかれて光栄ですよ。貴方のお優しい気性……甘いとも言えますがね、それが元で失態を演じる事が無いようにと進言いたしますよ」
 今度は衆人に聞かせるかの様にはっきりと告げる。
「幕は上がりました。混乱という名の物語が始まるでしょう。くれぐれも御用心を……」
 蒼流師はそう宣告すると私に近寄りそっとささやく。
「この先に貴方とお会いできる事を楽しみしていますよ。貴方の疑問もやがて解けていくでしょう。銀の髪のお嬢さんにもよろしくお伝え下さいね」
 そう囁くとするりと雨の中へと歩きだす。その姿は水に溶けるかの様に一瞬で消えてしまった――。

 雨水を含んだ髪がべっとりとまとわりつく。あの〈蒼流師〉とかいう男を連想させて不快な気分になる……。フィリアを迎えに行こうと歩き出したら、向こうから本人がやって来た。
「遅いから…迎えにきたのよ。心配かけちゃダメじゃないの……」
 何故勝手に来たのだと言ってやろうと思ったが、彼女の今にも泣き出しそうな表情を見たら何も言えなくなってしまった。
 どうして彼女はこんな顔をするのだろう? 自分が悪い事をしたかのような気分にさせられる。

「あの服屋にいたの……。そうしたら青い髪の人が来て、あなたが戦っていると言うから、とても心配になってしまったの」
「私の心配は無用です、ご覧の通り無事ですから」
「わかってる。ガブリエルはとても強いわ、それは知っているつもり。それでも戦いって何だか怖いのよ」
 フィリアは私の手を握りながら話す。雨に濡れていた私には、彼女の体温がはっきりと感じられた。
 都市警察の職員がうながすので、私たちはその指示に従い歩きだす。これから色々と事情を説明する事になるのだろう。
 歩きながら私は考えてみた。
 ウェルナーという男が実行犯だが、黒幕は別にいる。アズィーザ教内の過激派であろうか。
 私にウェルナーが殺される予定だったというのは、口封じのためだろうか。しかし、それならウェルナーは早急にこの場から立ち去れば良いのだから納得がいかない。この件に関しては保留しておく。
 〈蒼流師〉のいう事が正しければ――否定する気にはなれないのだが――この先さらに何かしらの事件が起きるのでないかと考えられる。ビルの爆破事件で世間の目を集め、さらなる事件を起こすのかもしれない。
 歩きながら崩れたビルの方を見ていたフィリアが、この雨って空が泣いているようね、と呟いた。確かにこれだけの惨状であるのだから、その様な印象を受けるのも納得がいく。
 しかし、私にはこの雨は〈蒼流師〉を連想させてならない。あの男が宣告したように、雨が何かを告げている様に感じるのだ――。



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