優しかったあの人
笑顔が素敵だったあの人
わたしが初めて好きになった特別な人

あの人に逢いたい
もう一度 もう一度だけでいいから

その切ない想いは形となり そして――



そは青き光のごとく


 神の十賢者、そう呼ばれる者達が起こした騒乱から数年。さらに惑星エディフィスを舞台にした戦いがあった。 そこでの出来事は僕だけでなく、あの時間を共有した全ての仲間達に影響をもたらしたと思う。 一番何かを考えさせられたであろう人物は、やはりレオンだろうか。 初めて会った時は賢すぎる故に背伸びをせざるをえない子どもだった彼も今では心身ともに一人前の大人だ。
 彼は現在、地球にいるそうだ。僕は門外漢でさっぱり解らないけれど紋章術や科学の研究をしているらしい。 チサトさん経由でメール――僕はいまだに機械の扱いが不得手だから――をくれるから近況を知ることができているんだ。
 地球にいるのは彼一人ではない。プリシス・F・ノイマン、彼女もその惑星にいた。 こちらからはこれといった連絡がない。レオンからのメールで多少は様子を知ることはできるけれど……。
 便りが無いのは元気な証拠とも言うし……でもなぁ。うーん、やはりそういう風に思われている、ということなのだろうか?
 すなわち、連絡をする程の相手ではないと――。

 ざわざわと活気に満ちた街並み。それもそのはず、ここはラクール大陸の政治と商業の中心地である王都なのだ。 市場には様々な品物が並べられているし、それを目当てにやってくる人の姿も多い。
 街中を無目的にぶらついていると、道行く人々の話し声が風にのって僕の耳までやってきた。
 それはもっぱら噂話で、近々開催される武具大会の優勝候補者の名前だの、どこそこに幽霊が出るだの、 ラクール大学に泥棒が入って倉庫が荒らされただの、そんな他愛のないものばかりだった。 最近になってようやく定着してきた新聞が情報の広がりに拍車をかけているのだろう。
「あの……アシュトンさん、ですか?」
 僕がそんなことを考えながら城下街を歩いていたら背後から突然声をかけられた。
 振り向くとそこには小柄な女の子がいた。年の頃は……そう、初めて会った時のプリシスぐらい。 僕が記憶喪失にでもなっていない限り僕の知り合いではないはずだ。
 そんなことを考えていると、待ちきれないといった態で再び彼女が声をかけてきた。
「アシュトンさんですよね?」
「そうだけど……君は?」
 目の前の女の子が探している相手がアシュトン・アンカースなら、それは間違いなく僕である。 僕の返答にぐいぐいっと身を乗り出してきた彼女は嬉しそうな表情で自らの自己紹介を始めた。
「わたしのこと、覚えていませんか? ……あ、でも無理ないですよね、ずっと前のことなんだもの」
「ご、ごめんなさい」
 彼女の顔がしょんぼりとしたものになる。その残念そうな様子に、事情が判らないまま僕は反射的に謝ってしまった。 よく周りの人に腰が低いだのユルいだの言われたものだが、そういう性分なのだから仕方が無い――いや、少しは気にしてるけどさ。
 僕がそうやって一人でモヤモヤ感に捕われていると、少女がぽつりと一言。
「……エラノール」
「えっ?」
「わたし、エラノールです。ハーリーの街に住んでいて、あなたに助けてもらった……」
 ハーリーの街、エラノール。その二つの言葉を聞いて僕の中に何年か前の記憶がふつふつと蘇ってきた。

 あれはクロードたちと一緒にクロス王国内を旅していた頃の話だ。 クロス王国のあるクロス大陸からラクール大陸まで海を渡る必要があった。 それで船に乗るために港があるハーリーの街に立ち寄ったのだ。
 そこで僕は不治の病にかかっている少女と知り合った。 はた目にも判るくらいに痩せた顔は小柄な少女の身体を余計に小さく感じさせた。 何とかしてやりたいと思った僕はレナに相談した。仲間の一人であるレナは治癒呪紋の使い手で、 彼女なら治せるかもしれないと考え呪紋で癒してくれるよう頼んだのだ。 だが、それでは上手くいかなかった。もちろんレナが術士としてダメだったというのではなく、それほどまでに重い病気だったのだ。
 そこで今度は幻の薬草メトークスを探すことになった。 「どんな病でも治る」というのはいかにも胡散臭うさんくさい印象を与えるが、 目の前の幼い少女を見捨てることは僕やレナにもできなかった。 藁にもすがる思いで薬草があるというラスガス山脈まで行った。 幸いなことにラスガス山脈は以前にも訪れたことがあったので多少は山道にも慣れていた。 僕たちは山中を探索してやっとのことでメトークスを発見した。
 急いでハーリーまで戻った僕たちはさっそくメトークスの精製液エッセンスを少女に飲ませた。 幸いなことにこの薬はよく効いてくれて、少女の容態は快方に向かった。 メトークスは幻の薬草に恥じない効果を発揮してくれたのである。
 僕たちはラクール大陸へと行かなければならなかったので早々にハーリーから立ち去った。 少女の母親に見送られつつ、僕らが乗った船はラクールを目指して旅立った。あれ以来、少女や母親とは会っていなかった――。
 その少女というのが目の前の彼女、ハーリーの街のエラノールである。

「……あ。あぁ〜、思い出したっ!」
 ちゃんと思い出せてほっとした。久しぶりにあった人間に自分のことを忘れられているというのは切ないものである ――僕はよくそういうことがあるけど。
「お久しぶりです、アシュトンさん」
「久しぶり……って君、身体は? こんな所まで出歩いていいのかいっ?」
 思わず彼女に詰め寄って聞いてしまった。突然大きな声を出したものだからすっかり周囲の人目を引いてしまう。
 ……は、恥ずかしい。
 エラノールはくすくすと笑いながらそんな僕を見ていた。
「あれから何年過ぎたと思っているんですか。今はもう、わたし大人になっているんですよ」
「それもそうだね、すまなかった。何だか今でもあの時のままな気がして……」
 改めて彼女を見てみると、かつての面影は残しているものの、咲き初めた花のような美しい女性になっていた。 身長だって僕の胸くらいまであるし、胸元やら腰の線……って何を見ているんだ僕は。
 あれ? でもエラノールってこれぐらい――見たところ十六、七歳といった感じ――の年齢だったっけ?  ……いやいや、女性というものは子ども時代を脱すると劇的に変化するというし、 久しぶりに会ったのだからぐっと大人びて見えるのだろう。
 それに、前に会った時はずっとベッドの中だった。立ち上がった時の身長なんて知らない。 だから僕が彼女を本当の年齢よりも幼く考えていたんだろう。
「何だか恥ずかしい……」
「えっ!?」
「アシュトンさんがじっと見つめるんだもの」
「あ〜、いや、うん。別に変な意味じゃないよ。ホント、見違えるくらいに大人になったなぁって」
 幼い頃を知る身としては感慨深いものがある。断じていやらしい視線で見ていた訳ではない、ないと言ったらないのである。
「アシュトンさん、お時間ありますか? どこかでゆっくりお話したいんです。 わたし、あの時のお礼だって満足に言えてないんだもの」
 ね、いいですよね? と言わんばかりに彼女は僕の腕をとった。
 さて、どうしたものか……と思案していると、背後――というより頭の両側――から声が。
「ようよう、アシュトン。ここで断ったら男がすたるってモンだぜ」
「そうですよ、女性を悲しませるのはいけません」
 えーっと、最初に喋った方がギョロと言う名前で、二番目に喋ったのはウルルンという名前。 二匹は双頭竜というやたらと立派な名前を持つ魔物である。色々な経緯があって僕の両肩あたりに住みついているんだ。 何かと頼りになるし、気のいいやつらである。
 普段はギョロの過激な発言をウルルンがたしなめるというのが彼らのスタイル。 だけど、たまに二人で連携して軽口を叩くのだ。当然、二対一になるから僕の方が不利。
 とは言え、久しぶりに知った顔に会うのは嬉しいものだし、僕自身も彼女の誘いを受けるつもりだったのだ。
 エラノールは二匹に挨拶している。そういえば初めて会った時も彼女に二匹と遊ばさせてくれとせがまれたっけ。 今も二匹と戯れている彼女は本当に楽しそうだった。


 窓からはやわらかな午後の陽射しが注ぎ込んでいた。店主の趣味らしく、各テーブルには花を生けた小ぶりな酒杯が置かれている。 そんな穏やかな雰囲気の喫茶店だ。
 先ほどの道端から場所を移し、僕たち二匹と一人はエラノールに誘われるままこの店に入った。
 店内の一角に陣取り、僕たちは思い出話に興じていた。互いに今までのことを話しているといつまでも話題が尽きない。
「それにしてもよく僕のことが判ったね。あれから結構な時間が過ぎているのに」
「判りますよ、アシュトンさんなら。あの頃の雰囲気がちっとも変わっていないんですもの」
「うーん、そういうものなのかな」
 苦笑しながら頷くと、僕は紅茶を一口すすった。目の前には心地よい芳香を放つ茶碗が二つと、 焼き菓子が載っている皿が四つ置かれている。お茶は人間の人数分、菓子は人間と魔物の数の分を注文した結果である。
 ……と、それはともかく。
彼女が言うように、僕ってやっぱり昔から変わってないのだろうか? より正確に言うと「成長していない」のだろうか……。
 だからプリシスも? うわぁぁぁ、最悪だ。僕って魅力無いのかもしれない。
「……で、お母さんが良い布を買ってきてくれて、わたしにドレスを作ってくれたんです」
「ドレス?」
 僕が葛藤している間にも話が進んでいたらしい。いくら個人的モヤモヤがあるとしても、 真剣に話してくれている相手を放ったらかしにするのは失礼だ。 僕はモヤモヤを頭から振り払うと取って付けたような質問だが、かろうじて耳に残っていた単語に関して質問をしてみた。
「ええ、ドレスです。マーズ村でしか作っていない染料を使って染めた綺麗な青い布なんですよ。 白いレースもたっぷり使って……あ、男の人に服の話は退屈ですよね。わたしったら気が利かなくて……」
 急にすまさなさそうな表情になったので、僕は慌てて謝る彼女を止めた。
「気にすることないって。まぁ、確かに僕は衣装のことはあまり詳しくはないけど。 それでもエラノールがそのドレスをとても気に入ってることは伝わってくる。 君のお母さんは素敵なドレスを作ってくれたんだ……きっと君によく似合うんだろうね」
「嬉しい。アシュトンさんにそう言ってもらえるなんて! お母さんもよく似合うって言ってくれたんですけど、 感動したのか目に涙がにじんでて……。もう、こっちが恥ずかしくなっちゃって」
 エラノールの表情がぱぁっと輝いた。大したことはいっていないのに、えらく感激されてしまった。 やっぱり女の子は衣服のことを褒められると嬉しいものなのかな。
「ところで……その、参考までに聞きたいんだけど。先ほど君は僕が昔会った時と全然変わってないって言ったよね」
「ええ」
「僕ってさ、本っ当に変化ない? 成長の欠片カケラも見受けられないで、相変わらずぽやーんとしたまま?」
 突然の問いに、ぽかんとした顔でエラノールは僕を見ていた。いきなり意味不明な質問を浴びせかけられたらそうなるよね……。
 彼女は少し考えると、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「変わってないってさっき言ったのは、良いところが無くなっていないという意味です。 あの時の優しい雰囲気がそのままだった。だからわたし嬉しかったんです、わたしの知ってるアシュトンさんだったから」
「……そっか」
「変わったところだって見つけているんですよ」
 そう言うと彼女は僕の手を取った。
 細く白い指が僕の手に絡められる。
「手、たくましくなりましたよね。わたしはあんまり戦いのことは解らないけど、前にわたしの頭を撫でてくれた手とは全然違う」
 僕の手は剣を振るい続けていただけあって剣ダコができている。 それに自分で言うのも何だが、これでも戦いをくぐり抜けてきたのだからたくましくもなろうというものだ。 ただ彼女に言われるまで改めて自分の手を見ることはしなかった。 エラノールの砂糖菓子のように繊細な手と比べると、僕の手はたくましいというより野蛮な印象を受ける。
 褒められているはずなのに優雅さとは無縁のこの手が無性に恥ずかしくなって僕は手を離そうとした。 が、彼女は離そうとしない。慈しむような優しい動きで僕の手そっと包み込んだ。
「さっきアシュトンさんが話してくれたようにたくさん戦ってきたんですよね。大切な人や大切なものたちを守りながら……」
「僕だけが頑張ったわけじゃないよ。皆がいてくれたらからさ。 一人だったら先の見えない戦いから逃げ出してしまっていたかもしれない……」
 それは間違いなく僕の本心だ。
「仲間、いるんですよね。わたしの知らないアシュトンさんを知っている人たちが」
「…………」
 ――何と言ったら良いのだろうか。
 前に彼女の母親から聞いた話だが、エラノールは三つくらいの頃から病気がちで家にいることが多かったそうだ。 だからだと思う、きっと気のおけない友人が少なかったのだろう。 メトークスのおかげで病気が治った後であっても、すでに出来上がっている子どものグループに入るのは難しい。 子どもの作る徒党チームというのは案外と排他的なものだから。
 そんな彼女にとって「仲間」という言葉は冷たい印象を与える敬遠しがちなものなのかもしれない。 僕は僕なりに寂しそうな顔をした彼女の心の様子を考えてみたのだけれど――何だか襟元がもさもさする。
「すまねぇ」
 ギョロが僕に謝る。どういうことなのだろう。
「あなたの襟元に焼き菓子をこぼしたんですよ、この粗忽者そこつものは」
 ウルルンがさらっと解説してくれた。
 あぁぁぁ、もうっ。あれほど日頃から僕の肩に食べ物をこぼすなと言ってあったのにぃぃぃ。 まったくギョロは……。しかも当の本人は知らぬ風で狸寝入りをきめ込んでいる。
 何とかして襟元の菓子くずを取ろうとするのだけど、僕の意に反して焼き菓子は取ろうとすればするだけボロボロと崩れていく。 ああ、何だか服の奥の方まで入ってしまったようだ。このままではラチがあかないので、僕は一度退席することにした。

 喫茶店の手洗い場に入って上着を脱いではたいたら、ぽろぽろと菓子の破片が落ちていく。それをしばらく繰り返していると、やっと服が元に戻った。
「まったく、勘弁してくれよ。ギョロはしばらく焼き菓子禁止だからね」
「何言ってんだい。気まずいこと限りない雰囲気だったじゃねえか」
「それはそうだけど……じゃあ何さ、ギョロは気を利かせて僕の襟に菓子をこぼしたっていうのかよ」
おそれ入ったか、アシュトン」
 ……それでも服の中に菓子くずが入るのはイヤだ。
「気遣いには感謝するけどそれとこれとは別。しばらくはこぼれやすい食べ物はだめ」
「酷でぇ話だな。しかも焼き菓子禁止からこぼれやすいもの禁止に変更されてるじゃないか」
「自業自得ですよ」
 ウルルンに容赦のないツッコミを入れられたギョロが、「ギャ、ギャ、ギャフーン」と唸っている。まぁ、これもいつものことだ。
 ギョロが主張するように、彼に助けられたのは事実である。 あの場でどうエラノールに声をかけたものか、僕には全く見当がつかなかったのだから。 だけどいつまでもこうしている訳にはいかない。
 ――そうだ! かなり今さらな気がするけれど快気祝いと称して何かプレゼントでも買ってあげよう。 何がしたいのかはっきりしてくると、自然と足取りが軽くなる。実に結構なことだ。

「やあ、待たせたね」
 エラノールはいいえ、と軽く首を振った。テーブルの上を見るとエラノールの分のお茶と菓子が手付かずのまま残っている。 一人では食べずに律儀に待っていてくれたらしい。
 彼女はギョロの方を見てこう言った。
「ギョロくん、アシュトンさんを困らせちゃダメよ」
「エラノールお前もか……」
 この様子を見て僕とウルルンは吹き出してしまった。わざとらしいくらいに大げさにギョロがうなだれるものだから、 ますます可笑おかしい。
 そんな僕たちの様子を不思議そうに見ていたエラノールも、次第に僕らにつられたのか笑顔になってくれた。
 僕はイスに腰掛けて、すっかり冷めてしまったお茶をぐいっと飲み干した。
「これから買い物に行かない? すっごく遅くなってしまったけれど、君の快気祝いの贈り物をしようとおもんだ」
「えっ、本当ですか! どうしよう、嬉しくて困っちゃう。あ、でも……」
「うん? ああ、急な話だと困ってしまうよね。遅くまで連れ回すとおばさんも心配するだろうし……」
「いいえ、それは平気です。ここへは一人で来ていますから」
「じゃあ、決まり」
「はい」
 僕は会計を済ませようとして再び席を立った――はずなんだけど、 ギョロがひょいと首を伸ばしてエラノールの前にあった手付かずの焼き菓子を綺麗に食べてしまった。
 さっき言ったばかりなのにお前と言うやつは……。まあ、エラノール本人が怒っていないから良しとしよう。

 店の外に出た僕たちは市場のある方を目指した。プレゼントには何がいいかな?  もちろん本人の希望を聞くつもりだけど女の子ならアクセサリーだろうか。
 あまり皆には教えていないことなんだけど、実は僕、アクセサリー集めが好きなのである。 しかし好きだということとセンスがあるということは別問題なようで……。 前にレナとチサトさんに微妙な表情をされたことがあるんだ。 何でも二人が目にした僕のペンダントのセンスがイケてないものだったらしい。 それ以来は誰かに言ったり、収集物を見せたりするのは止めている。
 その一件を教訓というべきなのかは判然としないが、エラノールが欲しがるものがアクセサリーなら彼女に選んでもらおうと心に誓った。
「エラノールは何が欲しい?」
「アシュトンさんが選んでくれるものなら何でも……」
 それじゃあ困る。すごく困る。な、何とかせねばっ。
 ああ、何故だろう。考えがまとまらない。気のせいかな、心なしか視界がぼんやりしてきたような……。昨日は寝不足だったっけ?
「僕は……ふわぁ。ごめん、急に眠気が。僕は君にアクセサリーを贈ろうと思うんだけど、選ぶのは手伝ってくれる……か……な」
 だめだ、すごく眠い。
 ちょっと待て、こんな急に眠くなるなんて変だ。まるでモンスターの毒にやられた時や、薬でも盛られた時のようだ。 僕はモンスターにやられていない……じゃあ、薬? でも薬なんていつ……。 誰かに毒針などを打ち込まれていないのは確かだ。そんなのに気付かないようでは僕はとっくに命を落としていただろう。
 僕は今日、遅い朝食を口にした以外は何も食べていない。ああ、さっきお菓子とお茶を飲み食いしたっけ。 ということは喫茶店の店長が犯人なのか?  いや、それならギョロとウルルンが気付くはず……はっ、まさか一皿だけ薬が盛ってあって運が悪い僕のところにそれが来た?  でも何のために?
 急にフラフラし始めた僕をエラノールが心配そうな表情で見ている……あれ、見ていない。 いや、見てはいるのだけれど表情がおかしい。すまなさそうな顔をしているのだ。彼女が薬を飲ませたわけでもないのに……。
「すまない、さっきの喫茶店で一服盛られたみたいなんらぁ」
 言葉までおかしくなってきた。
「ごめんなさい……」
 途切れそうになる意識。朦朧もうろうとする頭でエラノールの謝罪の言葉を聞いた。 何故? と思ったが疑問を口にすることなく、僕の意識はそこでぷつりと途切れた。


 随分と寝心地の良い場所だ。ちゃんと陽の光で干した布団なんだろうな。野宿にも慣れているけれど、 どうしたってちゃんとした布団が恋しくなるものだ。
 …………。
 …………。
 ……布団?
 昼間の記憶が急速に戻ってきた。僕は街で倒れたのだ、何だって上等なベッドの上で横になっているんだ!  誰かが助けてくれたにしろ、胡散臭い旅の者にこんな厚遇はしないだろう。まずはとにかく現状を把握しないと……。
 外はすでに夜になっているのだろう、カーテン越しにわずかに外からの明りが入ってくるが、部屋の様子をさぐるのには全然足りない。 僕は上体を起こすと、我々の中の照明担当者に明りを要求した。
「ギョロ、暗いから灯りをちょうだい」
 ちょろちょろとギョロの口から炎が伸びてランプを灯してくれた。ちなみに二匹は魔物だから暗くても不自由しない。
 ――で、僕が何を見たかと言うと。
「うわあぁぁぁぁっ! な、何でこんなことに」
 僕は下着姿だった。しかもその隣には同じような格好のエラノールがぐっすりと眠っていたのである。
 いや、僕だって二十歳を過ぎているし、健康な男なんだし、こんな状況があってもおかしくないことはない。 だけど、だけど今の状況はどう考えてもヘンだ。っていうかアブナイ。
 僕は……その、事に及んでしまったんだろうか。僕も彼女も下着を見に付けているのだから、何も無かったとも考えられる。 だけど薬の効果が眠くなるだけでなく、何というか……性格を変えてしまうような作用もあったりしたらっ。
 あぁぁぁっ、僕にはプリシスという人がありながら……じゃなくて、いやそれも大事だけど嫁入り前の娘に手を出すなんて……。
 いやいや、うだうだ悩む前に事実を確認せねば。
「ギョロ、ウルルン、正直に答えてくれ。僕が路上で倒れてから何があった?」
「別に何もなかったぞ。ただ寝てただけ」
「エラノールがあなたをここまで連れてきて、寝かせてくれたんですよ」
 それは――少し変だ。
「エラノールが僕を運んだだって? 彼女の細腕で僕を運ぶのはかなり無理だろう」
「無理じゃねえよ。あのがお前の中に入って、身体を動かしたんじゃないか」
「はぁぁぁぁっ?」
 ギョロの言ってることがさっぱり理解できない。
「アシュトン、あなた気がついてなかったのですか?」
「気がつくって……何を?」
「彼女が幽霊であることに」
「えっ! 何だよそれ」
 僕たちがもめていると――だからかもしれない、すやすやと眠っていたはずのエラノールが目を開いた。
「……バレちゃいましたね」
「エラノール、君は……」
「わたし、ホントはもう……」
 彼女は悲しそうに微笑むと、僕に事情を聞かせてくれた。

 今から四年近く前、僕たちが探してきたメトークスの効果で彼女は健康を取り戻した……かに見えた。本当はそうではなかったのだ。
 もちろん薬草が効果を出さなかった訳ではない。あの時、彼女が抱えていた症状はことごとく良くなったそうだ。 数年は健康な身体と言っていい状態だったらしい。だがその一方で病気の根は確実に勢力を増していた。 医術士の話では、メトークスの効果で完治したかと思われていたのに、ほんのわずかに残っていた病巣が再び勢力を盛り返した、とのこと。 何でも彼女の生来の体質も関係しているとか……。
 彼女たちは当然メトークスを求めたけれど稀少な薬草ゆえに入手することができなかったそうだ。 色々と治療のための努力がなされたけれど、それは全て徒労に終わったらしい。 そして彼女は今から三ヵ月前にその短い生涯に幕を閉じた。
 ――その時、彼女は十二歳だった。

「わたし、アシュトンさんに会いたかった。わたしのために危険を冒してまで薬草を取ってきてくれたあなたに。 だから……あなたのもとへ」
 亡くなった後、彼女はふと気がつけば宙を漂っていたらしい。それも幽霊となって。
「でも……どうして。生きているのと何も変わらない感じなのに」
 僕が見る限り、目の前にいるエラノールは生きている人間と同じだ。触れることもできるし体温だって感じられる。
 僕の疑問に答えてくれたのはウルルンだった。
「それは私たちと似たようなものなんですよ。私たちのような一部の魔物は実体があるようで無いようなものですから。 人間だってまだまだ不可解な存在なのですよ、それくらいのこともあるのでしょう」
 そうでないとあなたの身体に仮住まいできないでしょう? と付け加えた。
 それなら納得できなくもない。彼らは僕の肩口からひょっこり生えてきていているが、時々見えなくなったりすることもある。
「でもどうして彼女のこと気付いていたのに僕に黙っていたんだよ?」
「彼女が霊体だと気がつく手がかりはあったはずですよ。彼女は私たちと違って食事はいらないようですからね、 先ほどの喫茶店では一口も食べていなかったじゃないですか」
 他にも街の噂話がそうらしい。幽霊が出る、というのは確かに聞いた覚えがある。
「ラクール大学に入った泥棒もわたしです」
「泥棒って……。君は何だって泥棒なんかを」
「アシュトンさんに会ったら少しでも長く一緒にいたかった。だから……眠り薬をもらったんです」
 彼女も勝手に持ってきたことは気にしているんだろう、すまなさそうな表情になる。
「でもあれは失敗でした。おかげでアシュトンさんとのお買い物ができなくなってしまったんだもの」
 ……え、それってまさか。
「オマエもまだまだ修行が足りねぇな、アシュトン」
「ふむ、それは言えますね。自分の茶碗に薬が入っているのに気が付かないなんて未熟な証拠です」
 ギョロとウルルンは言いたい放題だ。なんでも僕が途中で席を立った間に入れたらしい。 ああ、それにしても僕に一服盛ったのがエラノールだったなんて。しかもそれに全く気が付かなかった僕って……。
 ドレスを作ってくれた彼女のお母さんが泣いていたのもそういことなのだろう。 残された時間が少ない娘に一つでも多くの思い出を作ってあげたい、、 本来なら年頃になった娘に着せるようなドレスを作ってあげたかったのだろう。 だからこそ、ドレスを身につけた娘を見て涙がこみあげてきた……。
「アシュトンさん、騙すようなことをしてごめんなさいっ。でも、でも……わたし、あなたにどうしても会いたかった。 初めて会った時からずっと好きだったんだもの」
 彼女はそこまで一気に言うと、ぽろぽろと涙をこぼした。
 突然の告白。どうしたらいいんだろう。こんなに真剣になっているのだから適当なことを言って誤魔化すのは論外だ。
 彼女を見るとかすかに震えている。僕はぎこちない手つきで彼女を抱き寄せると、そのまま抱きしめた。 感覚としては怖い夢を見て怯えている子どもをあやすようなものだったけれど……。

 彼女が落ち着くまでそうしていた。僕の腕の中で震えていた彼女がぽつりと声をもらした。
「プリシスという人が羨ましいです、アシュトンさんの一番だから」
 ごふっ。いきなり鳩尾を殴られたかのような衝撃だ。でも問い返さずにはいられない。
「なっ、ななな何でそれをっ」
「お話を聴いていれば判ります。わたし、歳はまだ十二だけれど、これでも女の子なんですよ」
 まあ、女の子は恋愛事には男よりも聡いと言うけれど。
「わたしはアシュトンさんに会えたから、もう長くはここにいられない。 よく解らないけれど、死んだ人間の決まり事みたいです。だから……あと少しだけ、今晩だけは一緒にいさせてください」
 僕は――ただ頷くことしかできなかった。添い寝をするくらいならどうということもないだろうし。 僕にとって一番の人は変えられないけれど、少しでも彼女が望むようにしてあげたいと思う。そう思うのだけど――
「と、ところでエラノール」
「はい?」
「なんで十二歳じゃなくて、もっと年上の姿をしているんだい?」
「そういうコト聞くかなぁ。あなたが大人だったから、それだけですよ。わたしだってそれに釣り合う格好をしたかったんです。 それに……子どもだとあなたの恋愛の対象に入らないだろうし……」
 少し頬を赤らめてそうい言った彼女は歳相応のあどけない顔をしていた。だけどなぁ……彼女は幽霊だけど触れられるし、 体温も感じられる。生きている人間と何ら変わりがないのである。
 えーと、何が言いたいのかというとですね、その…… 衝撃的な出来事の連続ですっかり忘れていたけれど僕と彼女は裸同然の下着姿なのである。 いや、僕の格好はどうでもいいんだけど、エラノールは年頃の女性の姿形をしている訳でして……。
 彼女は本当なら十二歳。こんな格好で密着していることに対して危険性というものを感じないのだろうか。 頼む、少しでいいから感じてくれ、っていうか服を着てくれぇぇぇ。
 そんな僕の悩みっぷりを知ってか知らずか、彼女は子ども特有の無邪気な質問を僕にしてきた。 無邪気なだけなんだよ、他意はないんだ、うん……。
「アシュトンさん、夫婦の契りって何をするんですか?」
「は、はい?」
「隣のおばさんが言っていたんですけど、よく解らなくて。夜通し二人で何かするみたいなんですけど……。 せっかくアシュトンさんと二人きりなれたんだからお嫁さんごっこもしたいです」
 ――何を言い出すんだこの子は。
「あー、それはだね。知らなくていいことなんだよ。大人になれば解るし」
「大人になれないから聞いてるんじゃないですか〜」
 うっ、確かに。だが、いくらなんでも十二歳の娘に正解を教えるのは憚られる。
「エラノールが知らなくても男の人が知ってるから大丈夫だよ……」
 我ながら無茶苦茶な回答である……。

 その晩、僕は夢を見た。夢の中でエラノールは笑っていた。海辺の丘で楽しそうにはしゃいでいる、彼女本来の子どもの姿で。
 母親の手作りだというドレスはとても良く似合っていた。光を受けてきらきらと輝いている。光は膨れ上がり、そして――

 次の日の朝、僕が目覚めたらエラノールの姿はなかった。彼女が言っていたようにその時がきたのだろう。 そして赴くべき場所へと行ったのだ。
 僕が彼女にしてあげられたことは一緒にお茶をして、とりとめのない話をしながら添い寝をしただけだ。 それが良いことなのか悪いことなのかは判らない。
「これで良かったのかな……」
「良かったんじゃないか?」
 さっぱりした顔つきでギョロがギャフギャフと鳴いた。
 何だか胸にぽっかりと穴が空いたようで、言いようのない虚無感に捕われた。
「悲しいよ、すごく」
 暖かい液体がこみ上げてきて視界がぼやけた。
「ならばお泣きなさい、彼女のことを想いながら。それが我々にできることなのですから……」
 ウルルンのひと言に、せきが切れたかのように涙が溢れてきた。
 それから僕はたっぷりと泣いた。もう一生分の涙を使いきったんじゃないかと思うくらいに。


 ――それからしばらく後のこと。
僕はハーリーに行き、彼女の墓前にラクールで買ったアクセサリーを供えた。 あの青いドレスに似合うものを探したつもりだけれど、僕が選んだからセンスがずれているかもしれない。  でも、いいよね? 僕が彼女に贈りたいと思ったものなんだから。
「さて、と……」
 パンパンと服の裾を払って立ち上がった。
 海からの風が僕の髪をかき上げていく。ここに来て判ったのだがエラノールが夢で遊んでいた場所は彼女の故郷の姿だったのだ。 一時期とはいえ体調が回復した彼女はよく海辺の丘で遊んでいたそうだ。
「よう、アシュトン。これからどうするんだ?」
ギョロが首を伸ばして聞いてきた。
 どうするかはもう決めてある。
「うん……地球に行ってみようと思うんだ」
「地球?」
「レオンやプリシスがいる場所だよ」
「やっと決めやがったな」
 ギョロはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「地球とやらにはどうやって行くんです?」
 ウルルンが興味深いといった様子で聞いてくる。
「えーっと、上手く説明できないんだけど。船に乗っていくんだ、それも海じゃなくて空を走る船で。 二人ともエディフィスへの道中は覚えているだろ?」
「ああ……」
 どうやら理解してくれたらしい。大っぴらにはされていない事実だけど、このエクスペルから宇宙に出る船は定期的に出ている。 誰もが利用できるという訳じゃないけれど僕は大丈夫。
 あの夜、エラノールが僕に言ったことは今でも鮮明に僕の中に残っている。 だから自分から会いに行こうと、答えを見つけに行こうと決心したのだ。
 彼女は僕に、「会いたい時が会うべき時なんです。理由をつけて我慢してると、会えないままになっちゃいますよ――」と言ってくれた。
 彼女だから言える言葉。彼女が言うからこそ、その言葉は何の虚飾も無い真実となる。 僕の心に強く響いたそのひと言は乾いた大地に降り注ぐ雨のように僕の中に吸い込まれていった。そして僕は決めたのだ。
「さ、そろそろ行こうか」
 僕はエラノールの墓に一礼するとくるりと踵を返した。そして前に向かって歩き出す。
 目指すは地球、会いたい人がいる場所だ――。


― fin ―


この作品は『夢限大@anthology』に寄稿した小説に微修正を加えたものです。


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