うたかたの夢 −萌芽の季節−

 そこは暗く、一条の光も射さぬ場所。 遠くからかすかに歌声のようなものが聞こえるような気がしたが、 静か過ぎるゆえに聞こえた気になる幻聴であろう。 そこは無音の空間で、音の発生する余地はないのだ。上下の感覚も無く、水の中にただようかの如く私は――、いた。
 「いた」という表現はおかしいかもしれぬ、何故なら肉体を持たず私はまだ生まれてはいないのだから。 しかし、私は確かにそこに存在していた。 深淵しんえんなる闇の中は心地良く、一瞬とも無限とも感じられる時間を過ごした。
 心地良いが変化のない夜の世界と、愛しくも憎らしくも思う昼の世界と、選べるのであれば私はどちらを選んでいたのだろう。
 しかし、私には選択肢は用意されておらず、かの人によって唐突に光の下に生れ落とされた。
「キミの名前はガブリエルだ」
 それが私が生まれて最初に聞いた言葉となった。

「――ふむ。身体の各部位とのリンクも良好、脳波も異常無し。上手くいったな。そろそろ『自分』という自覚も出てくる頃……」
 私の耳に男性の声が入ってきた。それに応えるかのように自分というものを意識する。
 私の名はガブリエル。ネーデを反乱軍より護り、治安維持をするべく造りだされた軍事生体兵器。 生みの親であるランティス博士により、十賢者シリーズと名付けられたモノ達の最新型である。
 その身体は白磁はくじの肌に、極上の赤ワインを思わせるようかの豊かな長髪。 面差しは白皙はくせきの美青年といった具合に作られている。 人間の遺伝子を解析し、自在に設計できるが故の産物であり、 その肉体的能力は常軌じょうきいっしている。
 遺伝子の操作は病気等の治療を除いては、人体に用いる事を禁じられている。 しかしその禁止に引っ掛かるのは、両親の遺伝子を受け継いでいる自然な人間のみ。 十賢者シリーズのように人工生命体、すなわち一から造られた被造物にはその制限は無い。
 そのようにして造られた身体に、プログラミングされた精神を入れて私達は完成である。 この精神はプログラムの内容を変える事で、多彩なヴァリエーションを用意する事が可能である。 私を含めた十賢者の10個の素体は、あらゆる事態に対応すべく、それぞれ違う性格を持たされいる。

 ここはランティス博士の所有する研究所の中である。寝台の上に身を横たえている私には、その天井しか見えぬ。 次第に意識がはっきりとし、身体が有している事が現実味を帯びてくる。すると、無性に身体を動かしたいという気分になった。
 身体の各部に力を入れ、上体を起こす。 両足を寝台から下ろし、床面に足の裏をつける。ひとつひとつの動きを意識し、順を追って行う。 身体を動かす度に、かつては感じる事のなかった重力を全身で感じた。
 そして――、私は立った。
「これが私の身体なのか――」
「おや、気が付いたようだね。お目覚めは如何かな?」
 視界に銀灰色の髪に優しげな面差しの男性が入ってくる。 この人間がランティス博士、初めてまみえる私の製造者なのか――。
 表現できぬ不思議な想いが心中に生まれたが博士の問いに応じ、軽くあちこちを動かして身体の動きを確かめる。 何ら問題が無いので、そう答えた。
「なら良い。どれ、こちらにおいで。お前の兄弟達を紹介しよう。それと、姉もな」
 博士は私を誘って部屋の外へ行こうとしたが、思い出したかのように足をとめた。 そして部屋にある戸棚から布のかたまりを取り出す。
「まず、これを着てもらわないとな。その格好で出歩くわけにはいくまいよ」
「私の身体は頑丈ですから、無くても問題ありませんが」
「…………。そうじゃなくってな、この世界の常識ってモンを思い出してみなさい」
 博士は苦笑しながら言った。何が可笑しいのだろうと疑問に思う。 が、博士の仰せに従い、あらかじめ入力されている脳内のデータベースをあさった。
 曰く、文明的な人間社会では、服を身に着けるものである。 裸を見せるとコウゼンワイセツ罪とやらになり、逮捕される。……などなど。
 布のかたまり――服を受け取り身に着ける。渡された服は、黒のアンダーシャツとゆったりとした純白のローブで、 ところどころに装飾が施してある。初めて着用したそれは繊維の感触がくすぐったく、ほんのりと暖かく心地良いものであった。

 服を着た私は博士と共に広い部屋へと入っていった。 そこには老若男女とりまぜて10体の人影があり、私の方を興味津々といった態度で見ている。
「彼がお前達の新しい仲間おとうとのガブリエルだ。まずは……それぞれ自己紹介でもしなさい」
 博士がそう言うと、まず銀髪赤目の男が口を開いた。
「私はルシフェル。こいつらのまとめ役が私の仕事だ。よろしくな」
 ルシフェルが手を差し出してきたので、私も人間達の慣習に従いその手を軽く握る。 触れた手はひんやりとしていて冷たい。銀髪に半ば隠された赤い瞳には私の顔が映るばかりで、彼の感情を読み取る事はできぬ。 経験の差によるものであろうか……、こればかりはどうしようもない。
 ルシフェルに続き、他の者達も順に名を名乗っていく。
 燃える炎ような髪型をしているのは、ミカエル。
 腕部にランチャーを装備しているのは、ハニエル。
 子どものような外見をしているのは、サディケル。
 緑色のローブに身を包んでいるのは、ラファエル。
 人当たりの良い老人の姿をしているのは、カマエル。
 筋骨たくましい半裸の男性は、ザフィケル。
 全身を甲冑かっちゅうで固めているのは、メタトロン。
 痩せた異形の身体をしているのは、ジョフィエル。
 そして、最後の1人。
 博士と同じ銀灰色の髪で、綺麗な顔立ちをしている少女が椅子から立ち上がる。
「わたしはフィリア。お父さま――ランティス博士の娘よ。17歳になったばかりだわ。 困った事があったら姉だと思って頼ってちょうだいね、ガブリエル」
 博士のただ1人の肉親であり、私達とは根本的に異なる自然な人間である少女は、私を見て優雅に微笑む。 そのままこちらにやってきて、私の手と自分自身のそれとを重ね合わせる。彼女の手はほっそりとしていて暖かい。
「大きな手……。これじゃあわたしが妹みたいだわ。ねえ、お父さま」
「女の子のお前の方が手が大きいというのは、かなり変じゃないかな。まあ、サディケルよりは大きいだろうがね」
 博士は笑いながら言う。それにつられて室内の空気は和み、皆の笑い声で満ちていった。

 この時は春の終わりで屋外の気温はとても暖かいものだったそうだ。 ランティス博士に娘のフィリア、そして私を含めた全ての十賢者が一同に会したこの部屋も、 何ともいえぬ暖かい雰囲気であった事を記憶している。 この先に我らが歩む道が如何なものであるか、この時は誰1人として予想だにしなかっただろう。
 それは……雪のように冷たく、儚い――。



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