世界は救われた。
 戦いは終わった。
 止まった時間は動き出し、全てが日常へと帰っていく――。

 シーハーツやサンマイトの者たちは、国許へ帰り、本来の生活に戻ったという。 “星の船”で“宇宙”から来たという者たちは、それぞれの国へ帰っていった。もちろん、あの少女も。

 もう、ここにはいない。

「またね、アルベルちゃん」
 スフレ・ロセッティはそう言って、彼らと共に去っていった。


Holy pray


 今日は城下がやけに騒がしい。 城の近くの山肌に刻まれた竜舎からも、腹の底に響くような竜の声が聞こえてくる。 王城に出仕していたアルベルは、窓から見える景色を見ながらそんなことを考えていた。
 朝から続いていた会議がようやく終わり、今は昼食時である。 いつもなら城内で食事をしているところだが、今日は外で食事をしようという気分だった。 長い間、座りっぱなしであったためか、外の空気が吸いたくなったというのも理由の一つ。 何せ今はアーリグリフの短い夏が始まったばかり。外の風はさぞかし心地好いものであろう。
 彼はそう決めると、近くにいた部下に午後の勤務についていくつか指示を出す。 その他の用事を片付けると、城門を目指して歩き出した。

 城門に差し掛かると、にわかに暗闇に包まれた。堅固な作りの城門は匠の技によって完成された石造り。 城門と城壁は守るべき城を囲むものであると共に、王権の象徴でもある。 破られることなどあってはならない。故に、その厚みは通り抜けるまで少々時間を要する程となっている。
 コツ、コツと足音を響かせて歩いていると、やがて明るい陽射しが身体を包んだ。 この先に広がるのがアーリグリフの城下町である。
 アルベルは顔をわずかに上向けると、周囲の景色を見回した。
 山間の町であるからシランドに比べれば狭い町である。だが、城下の賑やかさは劣っていない。 今は一年でもっとも賑わう季節だけに、人々はより快活に働いているようだ。
 遠方に視線を転じれば、バール山脈を始めとする大山脈が尾根を連ねている。 雄大な景色であるが、冬になれば白い峻嶺から雪狼の牙のごとく冷たい風雪が吹きつけるのだ。
 今は初夏であるから南側にある高山の頂が白く染まっている程度で、山肌は高度が下がるにつれ青・緑といった色に塗られている。 冬の雪がもたらす雪解け水が、水源となり多くの緑と生き物を育んでいるのである。 アーリグリフの民はもとより、山岳地帯で暮らす小部族が生きていけるのは山のもたらす恵みがあってこそであった。
 そんなことを考えながら、アルベルは歩き出した。
 行き交う人々の隙間をくぐりぬけ、彼は目当ての店へと急ぐ。 もう太陽は頂点を越えていた。腹の空き具合はかなりのところにまで達しているのだ。

 この広場を横切れば、目的の場所というところまでアルベルが来た時のこと。
 目の前には大きな人だかりができている。 この広場では、よく大道芸人が芸を披露しており、それ目当ての人々が集まるのは良くあることだ。 露店も出でいるし、意味も無く集まり、無駄話に興じている者たちも多い。 人が多いこと自体はそれほど不自然ではないのだが……。
(通行の邪魔だ、クソ虫め!)
 アーリグリフ三軍の一つ、漆黒を預かる団長様はいたくご立腹した。 3年前の体験は彼を大きく変えたはずだが、こういう所は以前の彼と全く変化がない。 強くなった彼が実力行使で人だかりを破壊しないだけの分別はあるのだが……。
「あ! アルベルちゃんだ〜っ!」
 人だかりの中から不意に声がかけられた。
 その声を聞いた途端、アルベルの鼓動が早くなる。 時が流れたせいだろう、前に聞いた時とは少し違っている。だが、間違いなく彼女の声。
 人垣を割って、とたた……と走り出てくる一人の少女――いや、もう女性といってもよいだろう、 3年という時間は彼女を大人へと変えていた。
 彼女が目の前に現れ、尋常でないほどの人だかりが出来上がるのも納得ができた。 北方風のエキゾチックな色の濃い肌。 竜牙色をした滑らかな髪。彼女が動く度に金属の装身具アクセサリーが奏でる涼しげな音。 そこにいるのは美しさと愛らしさを同居させた、不思議な魅力をもつ女性だったのだから。
「久しぶりだね、アルベルちゃん」
 にこりと微笑む彼女に対し、彼は「うぁ」と変なうめき声と共に、頭をかくかくと動かすことしか出来なかった。

「うん、美味しい〜っ」
 スフレは銀色のフォークを口元に運び、幸せそうな表情になった。
 彼女が食べているのは小麦粉で作った細麺に、甘味のある野菜と挽肉で作ったソースを絡めた料理である。 隠し味として使用されている香草が程よく作用しているため、いやな臭みもない。 この週の目玉料理とされていただけに、味自慢の一品であったようだ。
「……で、お前はなんでここにいるんだ?」
 彼女を引っつかみ、あの人だかりから脱け出してこの店に飛び込んだ。 周囲の好奇の目が気にならなくもなかったが、この際である。 何故ここにいるのか、これからどうするのかを確かめなければならない。
 何より、彼自身のためにも。
 アルベルも27歳となった。母親を始めとする周囲の人間に、ひっきりなしに縁談を持ちかけられるお年頃である。 何やかやと理由をつけて回避し続けてきたが、その度に思い出されるのは彼女のこと。 待ち続けるだけというのがいかに辛かったか、彼女は解っているのだろうか?
 自分自身の前に置かれた皿の中身をつつきながら、どうしてもじっと彼女を見てしまう。 少しばかり恨めしげな目つきになっていたかもしれない。 というのも、スフレはあの戦いの後、稀にフェイトらと共にこの国――星へとやってくることもあったが、期間を決めての滞在。 ずっとここに――自分の傍にいるために来たのではなかった……。
 スフレはフォークを皿に置くと、アルベルの顔をじっと見返した。 澄んだ常盤色の瞳と、揺れる真紅色の瞳が交差する。
「んっとね、アルベルちゃんに会いに来たの」
 とてもあっさりと彼女は言った。
「あたし、17歳になって成人したから、これからをどうしようかなって思って。 一人で考えたり、お父さんたちに相談したりしたんだけど、やっぱりアルベルちゃんに会いたいって気持ちが一番強くて。 でもね、成人したけど、一日で中身が激変するわけじゃないし、 未熟者のままアルベルちゃんの所に行くのも格好悪いし……どうしようってずっと悩んでたの。 お母さんが悩むくらいなら会いに行きなさいって言ってくれたの。 それからどうするかは大人になったんだから、自分で……自分とその人とでちゃんと考えて決めなさいって」
 スフレの瞳からはいつもの明るさは消えている。不安の色がくっきりと出ていて、触れれば壊れそうなくらいに儚げだ。 自然、顔も俯き加減になる。
 彼女の話を聞き、良くも悪くもすごい両親だな――とアルベルは思った。 養女とはいえ、大事に育ててきた娘をこうもあっさり送り出すとは、なかなかできることではない。
 しかし、託されたからには。
 その信頼に応えるのが男というものだろう。
「テメェの人生は自分で考えやがれ……と言いたい所だが、ここまで来た根性はなかなかモンだ。 だから考えるのを手伝ってやらなくもない」
 素直に嬉しいと言えるほど、真っ直ぐではなく。
 だけど彼女はその辺を理解してくれるから。
 言わずとも解ってくれるから。
 だから、一緒にいたいと心から願うのだろう。
 再び、アルベルの紅の瞳とスフレの常盤色の瞳が交差する。 スフレの瞳にはもう不安の色はなく、いつもの元気を取り戻して微笑んでいた。

「あ〜、団長! こんな所にいらしたのですねッ!」
 昼食を終えた二人が店を出たとき、突如として割り込んできた若い男の声。 これからの段取り――アルベルの勤務が終わってからの動きである――を決めようとしていたところだった。 客人として城に滞在させることは出来るだろうから……などと考えを巡らし、 夜の世界もちょっぴり想像していたノックス氏の甘い未来予想図はガラガラと音を立てて崩れ去った。
「……何の用だ?」
 この声は彼の部下のもので、部下のものであるからこそ無視をするワケにもいかない。 だが迷惑この上ない時に呼びかけられたため、アークデーモンもびっくりというぐらいの凶相でアルベルは振り返った。
「陛下よりのご伝言がございまして、団長を探しに参ったのであります!」
 大きな声が頭に響く。アルベルは思わず顔をしかめた。
 スフレは何事かと興味津々の様子でアルベルの部下を見ていた。
「……おや、こちらの綺麗なご婦人は団長の恋人でありますかッ? 小生はディオル・リングス三等騎士でありますッ!  以後お見知りおきを――」
「なっ、貴様……!」
「あたし、スフレ・ロセッティって言うの。よろしくね〜、ディオルちゃん」
 全力で顔を赤くしたアルベルと違って、スフレはいつものようににこやかだった。 くるりとターンして得意の踊りまで披露している。
「スフレ殿でありますかッ。美味しそうなお名前でありますねッ。して、団長とのご関係の詳細は……ぐごけ」
「……おい、クソ虫。陛下からの用ってのは何だ」
 部下の首をぐいぐいと締め上げながら、アルベルは問い詰めた。
「アルベルちゃ〜ん、放してあげないと喋れないと思うの」
「……ちっ」
 解放されたディオルは、ぜーぜーはーはーと盛大に呼吸を再開している。 ようやく息を整えた彼は本来の仕事を思い出し、真面目な顔つきになって話し始めた。
「陛下からのご口上を述べさせていただきますッ。 “隣国のシーハーツより、使者が来訪した。漆黒の団長アルベル・ノックスは至急、王城まで戻り、対応すること” 以上でありますッ」
 シーハーツからの使者。また彼女たちだろうか? しかし内政・外交に関わることならば、 自分よりも文官たちが引っ張り出されそうなものであるが……。
(また面倒なことにでもなりやがったか?)
 顎に手を当て、数瞬ばかり思考を巡らす。
(ここで考えていても始まらないか)
 何にせよ、陛下からの呼び出しである。早急に城へ駆けつけるのが臣下の務め。
「お前も来るか?」
 返事は判りきっている。それでもアルベルは傍らの恋人に問いかけた。
「うん。もちろんだよ」
 アルベルの手をぎゅっと掴んで、彼女は答えた。
 もう離さない――それは彼ら二人に共通した思いであった。

 王城に向かい、アーリグリフ13世に謁見した彼らを待ち受けていたのは、随分と衝撃的な知らせであった。 アルベルにとっては知人、スフレにとっては友人と認識されているネル・ゼルファーが消息を断ったというのである。
 この知らせをもたらした、ネルの部下であるファリン、タイネーブの2名によると、 シーハート27世の命の下、ある事件の調査のためにネルはアーリグリフへとやってきた。 もちろん他国での活動であるから、アーリグリフ王国に許可を得てから行うはずであった。 だが、その許可を得るためにネルが登城する日になっても彼女は訪れなかった。 アーリグリフ王や、ネルを知るロザリア妃が気をもんでいるところに、ネルの部下である二人が到着し、 ネルの消息が不明であると告げたのである。
 ネルはクリムゾン・ブレイドの片割れ、シーハーツの重要人物であり、実力を備えた人物でもある。 それほどの人物が何の痕跡も残さずに、姿を消したとなればアーリグリフ王国にとっても看過できない事態である。 アーリグリフ王アルゼイはアルベルを呼び出し、対処するよう命じたのであった。

「ネルちゃん……無事だと良いんだけど」
「そう簡単にくたばるヤツじゃねーだろう。それはお前も知っているはずだぜ?」
「うん……そうだねっ」
 スフレのために用意された客室で、二人は明日に備えて支度をしている最中であった。
 先ほどの謁見で、アルベルたちは明朝、ネルの目的であると推測される場所へ向かうことになった。 シーハーツからやってきた二人の女性が言うには、アーリグリフの都のさらに西にある山々へ向かった可能性が高い、とのこと。 そこには古くから――アーリグリフやシーハーツが建国されるよりも昔から――山岳地域で暮らしている人々がいる地域だ。 アーリグリフ王やロザリア妃の推測では、ネルが調査している一件にはこの地に伝わる古い古い秘密が関わっているのかもしれない、 ということであった。確証はないのだが、と二人は前置きしていたが、 高貴な立場にある二人が部外秘と思われる知識の断片を持ち出したのだから、可能性はそれなりにありそうである。
「怖いか?」
 支度を終えたアルベルは、スフレの傍らに腰掛けた。 山に挑むための支度の大半は城の人間たちがやってくれているため、彼らの準備は戦いのためのものがほとんど。 身に付ける衣服や、武器の調子を確かめる程度である。大して時間はかからない。
 アルベル同様に手を止めた彼女は、ふう……と大きく溜息をついた。
「判らない。ネルちゃんが困っちゃうようなことが起きているんなら、それはとても大変なことだと思うの。けどね……」
 彼女は隣にいるアルベルに少し寄りかかった。
「アルベルちゃんが一緒なら、大丈夫かなって」
「俺の手はこんなだぞ?」
 二人きりの今だから、アルベルの左腕には手甲がついていない。 むき出しになった素肌は赤黒く、ひきつっている。
 右手は無事であるし、真面目に取り組んだ回復訓練のおかげで、日常生活にはさほど不自由しないが、 左手では指先を使った細かな作業はできない。手先の器用さだけは元の状態にまで治癒しなかったのだ。
「心配要らない……この手はあたしを守ってくれるよ。触れられるし、触れてくれる。だから大丈夫。 あたしが代わりになることだってできるしね」
 アルベルの左手をそっと抱きしめながらスフレが言う。
「……フン。言ってくれるぜ」
 少しばかり頬を赤らめながら、アルベルはスフレの頭をくしゃりと撫でた。
 この世界で一番大切な存在は何があっても守る。 彼がそう強く心に決めた時、主の想いを感じ取ったのか、紅い魔剣がチリリと震えた。

「……ところで、一つだけ確認したいんだがな」
「うん?」
「お前、成人したんだよな?」
「うん。見た目だって大人っぽくなったでしょ?」
 スフレは自信満々で答えた。
 彼女の答えは客観的に評価しても正しいだろう。 頬から顎にかけての線は、子どもの域を脱しており、柔らかくありながらもすっきりとしていた。 馬の尻尾のように結い上げた髪は腰の辺りまであり、解くとまた印象が変る。 種族の特徴を反映してか、全体的に細身だが、身長と胸の膨らみはマリアとソフィアの中間程度に育っている。 まだ10代であるから、もう少し女らしく変化していく余地を残しているが、なかなか良い具合に成長したと言える。
 だからこそ、確認したいとアルベルは思った。
 大人なのか、子どもなのか。
 大人同士の付き合いをして良いのか、少女として扱わないといけないのか。
 27歳の男性にとってはとても重要な問題なのである。 ……確認したからといって、すぐに行動に移せるアルベルでもないのだが。
 そんな彼の様子を知ってか知らずか、スフレはアルベルの顔をじっと見つめた。
「こうやってアルベルちゃんの顔をよーく見るのも久しぶりだね」
 何の邪念もないような微笑を向けられてしまった。ますますアルベルとしては一歩が踏み出せない。 触れたい顔も、抱きしめたい身体も目の前にあるというのに。
「……今、気が付いたんだがな。今日会ってから口付けキスもしてねぇ」
 やっとの思いで口から出てきた言葉はこれだけ。
「アルベルちゃん、気づくの遅いよ〜」
 そう言って、スフレは彼の頬に口付ける。こういうところは女性の方がしっかりしているようであった。
「お前さ、そろそろ“ちゃん”付けは止めにしないか? 名前だけで呼んでみろよ、アルベルってさ――」
「そんなこと、急に言われても困るよ〜」
「言ってみろ、スフレ」
 お前ではなく、スフレ。そう呼ばれた。
「……ア、アルベル」
 彼女はつっかえながら、恥ずかしそうに上目遣いになってアルベルの名を呼んだ。
「そういう表情カオ、たまんねぇな。それからこっちも……」
 そういうと、アルベルはスフレを抱き寄せ、唇を重ねた。 3年前と変らない柔らかい唇。甘い蜜のように惹き付け、離れられなくなる。
 彼らは互いの名前を呼びながら、今日の再会を確認するかのように何度も口付けを交わした。


−Fin−



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