愛娘は我が光なり

 ――コンコン、ガチャ。
「いい加減にしなさいよ、この親バカ――っ!!」
 たっぷりと怒気を含んだ女性の大声。それとともに肉厚の本が投げつけられた。 革張りの装丁は立派な作りで保存に適した頑丈なものだ。時には鈍器として役立つくらいに。 もっとも、本の作者は凶器として使われるなんて思ってもみなかっただろうけれど。
(ああ、何でそんなものが私の顔をめがけて飛んでくるのかしら――)
 扉を開けた途端に飛んできた怒声と本。 それらをまともに顔面で受け、クレア・ラーズバードは意識を遠のかせた。

「――ア、クレア」
「お〜い、生きてるか?」
 ぱちりと目を開けたクレアの視界には、心配そうな表情で様子をうかがっている男女がいた。
 ぼんやりとしながらクレアは上体を起こした。 額のあたりがひんやりとする。どうやら氷嚢ひょうのうが載せてあったらしい。
「ええと……何だったかしら?」
 周りを見回すと、ここは光牙師団『光』の本部内にある医務室だった。 誰かが自分をベッドにまで運んでくれ、さらに寝かせてくれていたようだ。
「おでこ、痛むでしょ。まだ冷やしておいた方がいいわ」
「あ……そうですね。なんかズキズキする……あれ? 確か本がぶつかったから痛いんじゃないですかっ!」
「おー、どうやら記憶がぶっ飛んだりはしてないようだな。 取り返しのつかねぇコトになったらアドレーのおやっさんに張り倒されるからヒヤヒヤしたぜ」
 クレアはようやく自分がこんな状況になった経緯を思い出した。
 目の前にいる二人の男女。彼らは光牙師団に所属する一級構成員であり、団長である彼女の部下という立場にいる人間だ。 先程、氷嚢を渡してくれた女性はエレオノーラ・ダリという名前。 世話好きで独り住まいのクレアに対して色々と面倒を見てくれたりもする。 ただ少々野次馬やじうまなところが珠にきずかもしれない。 情報が早い、と解釈できなくもないのだが。
 もう一人の男性はヴァン・ノックスといい、光牙師団のNo.2とされている人間だ。 武力よりも知力を活用するタイプの人間だが、クレアが預かっている資料に記されている内容がどこまで本当なのかは謎である。 彼をよく知るクレアにとっては頭だけの人間には到底思えないのだ。 ちなみに父親業を始めて3年を超えたばかりである。
 立場上はクレアの部下になる二人だが、この仕事についてからの年月も実年齢も彼女より上である。 それゆえに私的な場面ではかつての先輩後輩の間柄を感じさせる口調になってしまうのだった。 もちろんクレア自身がそれを不快に感じることはない。彼女が入隊したての頃から面倒を見てくれた人々なのだから。
「――で、どうして本が飛んできたりするんですか?」
 彼女があの部屋―― 一級構成員の執務室――にやってきたのは本をぶつけられるためではない。
「ノーラが投げたから」
 そうあっさり答えたのはヴァンである。ノーラというのはエレオノーラの愛称だ。
「ちょっと、ヴァンったら人のせいにする気? あなたがしつこく絵を見せてくるからいけないんじゃない」
 彼の発言に憤慨したエレオノーラが抗議の声を上げた。 二人はそのままいつもの調子で言い合いを始める。本気の口論というよりはじゃれ合っているといった感じの掛け合いだ。
 その中で気になる単語が飛び交っているようなのだが、クレアには少しも状況が理解できなかった。
「もう少し、理解できるように説明してくださるかしら?」
 たっぷりと冷気を含んだクレアの声が二人の舌の回転を凍りつかせた。 いつの間にやら二人の言い合いの話題は「食堂で使用されている茶葉の銘柄について」になっていたのだから、 クレアの態度が絶対零度に冷え切っており、上司の特権使いますよ的雰囲気になっていたのも無理のないことだろう。
 ヴァンとエレオノーラの二人は互いに顔を見合わせ、はははっと笑うとエレオノーラが代表して 一連の出来事を説明してくれた。

 それはクレアが本による一撃を受ける少しばかり前の時間。
 エレオノーラはいつものように書類に目を通し、やってきた部下たちに指示を出していた。 隣国アーリグリフとの関係が緊張状態にある今、仕事の量はここ何年かで一番多くなっているだろう。 朝からずっと座りっぱなしだったせいだろうか、いい加減に肩が凝ってきたように感じられた。
(この辺で一休みしてもアペリス神はお怒りにならないわよね)
 軽く身体を動かしながら席を立つと、遅めの昼食をとるために食堂へ向かおうとした。
 ――が、その時。
「ノーラっ! この可愛らしい我が娘の絵姿を見たまえ!!」
 勢いよく扉を開けて部屋に入ってきた人物が一人。 にへら〜と緩んだ顔はこの上なくだらしない。その手にはうやうやしげに一枚の絵を掲げていた。
 いうまでもなく彼がヴァンである。 鼻息を荒くしたり、後生大事に抱えた絵に頬擦りしたりとかなり怪しげだ。
「アンタ、また職権乱用したわね――っ」
「そういう抗議は黙殺する。さあ、早く我が娘アリスの愛くるしい姿を目に焼き付けろ」
 はぁぁぁ――と盛大に溜息を漏らすと、エレオノーラは仕方無しに絵を受け取った。
 絵の中には三つになったばかりの可愛らしい童女が微笑ほほえんでいた。 それは野に咲く花のように可憐な容姿であり、子ども特有のあどけない表情は見るものを和ませるだろう。 目の前の男が親バカになるのも納得がいく。
 問題なのはこの絵を描いた――正確には描かされた――のは光牙師団に所属し、 尋ね人や手配犯の似顔絵を作成するのを担当している人物だということだ。 一級構成員の立場を利用し、さらには何日か分の昼食を謝礼にと囁き、ヴァンの自宅に呼びつけて描かせたはずだ ――いつものように。
 そう、これが一度目のことであればエレオノーラとて問答無用で怒ったりはしない。 すでに両手の指の数では足りないくらいの回数になっているとすれば話は別であろう。 その度にエレオノーラは絵を見せられ、彼が満足するまで感想を言わされたり親バカ話を聞かされたりしている。 絵がない時だって話はできる訳で、そのことを含めるとどれくらいの回数になるのか見当もつかない。 仕事で相棒という立場にいるため、彼女がこの凶悪キョーアクな行為に一番長く付き合わされるのだ。 もはや苦痛を通り越して拷問の域に達しているのではなかろうか。
 自分も子どもがいるから、我が子愛しさのあまり興奮状態になるのは理解できる。 だがこのバカの行為は桁はずれだろう。 時々、「こっそりってしまおうか?」という衝動にかられなくもないが、 彼の夫人イリュースと娘アリスは至極まっとうな人物なので今のところ実行せずにいた。
(今日がその時かしら――?)
 アリスの絵を見ながら不穏なことをちらりと考えた。
「なっ、なっ、なぁ〜っ、可愛いだろ〜。 最近じゃあ3歳の誕生日に俺が買ってやったクマのぬいぐるみを毎日だっこして寝てるんだ。 その寝顔をがこれまた最高で!  寝言でパパ〜とか言われた日にゃあ、パパはアリスのことが大好だいちゅきでしゅよ〜と、 ほっぺにキスしたくなるんだなぁ。寝てるところを起こしたら可哀相だからやんないけど。 そうそう、寝巻きもこの間ペターニに行った時に新調したんだ。 イリュースはやめろって言うんだけど、俺と彼女とアリスとでお揃いで揃えてさ〜。 これぞ幸せ家族って感じ? 今度はその寝巻きを着てクマをだっこしてる姿を描いてもらおうと思うんだけど、どうかなー?  ちょっとわざとらしい感じがしそうな構図かもって気がして〜」
 以下略――エレオノーラは付き合いきれないとばかりにヴァンの声を耳から閉め出した。 「ノーラはどう思う?」と意見を求められた気がしたがそれも無視。 こんなヤツの相手なんてしてられるか、といったところだ。
 しかし娘への愛で盲目状態になっているヴァンにはこの程度の抵抗は通じなかった。 さっさと食事に行こうとした彼女の腕を捕らえ、なおも娘の話を連発してくる。
「アリスの絵、1枚欲しいか?」
「…………」
「欲しいよなぁ、まさに世の宝と言える一品だし」
「…………」
「どーしよっかなぁ、ノーラが欲しいって言うんならあげちゃおっかな〜」
 エレオノーラの手から取り返した娘の絵をちらつかせている姿はというと――。
(アリスちゃん、母親似で良かったわよね。本っ当に)
 心底そう思った。そしてこの場から立ち去るための方法を考える。
「アリスちゃんの絵、いただけないかしら?」
 アリス自身に罪は無いし、絵自体は良いものだと思うし。
「うんうん、ノーラもこの絵が欲しいかい」
「だから早く頂戴ってば」
 エレオノーラが苛立いらだった口調になる。
「あげない」
「はぁ?」
「この絵は一枚しかないんだもーん」
 彼はしれっとした顔で愛娘の絵をふところにしまった。
 エレオノーラの身体が細かくふるえ、両手がぎゅっと握りしめられる。 ぎろっと仕事上の相棒改め親バカ男を睨みつけると、溜まりに溜まった鬱憤うっぷんを一気に吐き出した。
「だったら貰ってくれと言わんばかりの態度をとるんじゃないわよっ!! この変態オヤジ――!」
 ぎゅわわわんと音がしそうな勢いで繰り出されるエレオノーラの拳。 右手、左手、右手と流水のごとき鮮やかな動きの三連撃だった。
 が、ヴァンはのらりくらりとした動作でかわしていく。 素人目にはただの緩慢とした動きと映るだろうが、相手の動きを先読みした無駄のない身ごなしである。
「うるぁぁぁああ、死になさい。あなたみたいな変態は死んだ方が世のためよ!  娘と奥さんの面倒は私がみるから安心してアペリスの御許へ逝きなさい」
「怒りん坊だなぁ、ノーラは。あんまり怒ると人相が変わっちゃうぜ、キミんちの息子が泣くぞ」
「アンタに言われたかァないわよっ!」
 エレオノーラは絶叫と共に蹴りを放った。 子どもを産んだ後でも脚線美は崩れておらず、独身時代に何人もの敵を轟沈させた蹴り技は健在なようだ。
 かくして二人の戦い――他人に言わせると単なるじゃれ合い――が始まったのだ。

「――とまあ、そういうワケなのよ」
 最初の方は双方とも室内に被害が発生しないようにしていたのだが、次第に戦いは激しさを増し物が飛び交ったというのである。 それでもじ紐がほどけて被害が甚大になりそうな書類などが使われていないあたり、 この二人のコダワリを感じなくもない。 何せ片付けを行うのも彼ら自身なのだから。
 クレアが本の一撃を受けて昏倒したことで彼らの戦いは終わりを告げた。 二人は彼女を医務室へ運び、彼らの仕事部屋を片付けた。 そして現在に至る、ということらしい。
「何だかなぁ……ですね」
 さすがのクレアもあきれてしまう一連の出来事だ。
「すまんね」
 ヴァンが頭を下げた。
 なら最初からやらなければいいのに……とクレアは考えてしまう。 今回の一件、どう考えてもヴァンに非があるように思えてならない。 子どもが可愛くてたまらないというのは理解できるのだが、 エレオノーラがああまで怒るハメになったのは彼の行動が原因なのだし。
「ヴァン、今後はお嬢さんの絵を舎内で見せびらかすのはやめてくださいね」
「んー、善処する」
 確実に善処しなさそうな返事。
「や め て く だ さ い ね?」
「……おぉぅ」
 クレアの自然過ぎるくらいに自然な笑顔で念を押されてヴァンは観念した。 その悲しげな表情は高名な悲劇役者にも劣るまい。 まるで明日にもゲート大陸が沈没すると宣告されたようである。
 今まで彼の話に付き合わされていた人間――特にエレオノーラ――が喝采をあげたのは言うまでもない。
 絵の中の天使、アリス・ノックスが長じた後に過去の出来事を聞き、 恥ずかしさで死にそうになるのはまだ先の話――。

「他人事のうちはまだいいんだけど……」
 クレアは自分の仕事部屋である団長執務室に戻ってからつぶやいた。
 彼女にとって、「親バカ」「娘を溺愛」という言葉は嫌な思い出が連想されるものだった。 ヴァンの言っていた「アドレーのおやっさん」は彼女の父親であり、先代のクリムゾンブレイドを勤め上げた人物である。 世間に知れ渡っている評判ならば施術と刀術に長けた立派な父親ということになるだろう。 だがその実物はというと……。
(イヤ、考えたくないっ)
 クレアはうそ寒げな表情になると頭をぶんぶんと振った。
 親の子どもへの想いがうっとおしいと考えるのは贅沢な悩みだと解っているのだ。 だがどうしても背中に「娘愛」と似顔絵付きで描く神経は理解できない。 背中に描いてある以上、自分で描いたものではないだろう。 一体誰にあんな恥ずかしいことを頼んだのだというのだ!
 この間だって遠方から送られてきた手紙もかなりイタいものだった。 宛名のところには「ワシの可愛いクレアちゃん」って書いてあり、 配達人から受け取る時は恥ずかしさで顔が真っ赤に染まった。 しかも運の悪いことにその場にいた数名の部下に見られたし。
 ああ、なんであんな人がクリムゾンブレイドに選ばれたのだろう――。
(ネルのところが羨ましいわ……)
 親友のネル・ゼルファーの父親はすでに亡くなっているが、彼女たちが子どもの頃は忙しい仕事の合間に構ってもらったものだった。 凛とした涼しげな面輪は子ども心にも憧れを抱いたものである。 性格はどちらかと言うと寡黙で騒々しい場を苦手としている人だったと記憶している。 だが、常に冷静クールで真面目な人柄は自分の父親とは大違いだ。
「まあ、愚痴をこぼしてもどうしようもないことなのだけれど」
 ふぅ……と大きく溜息をついてしまった。
 愛娘のアリスが可愛いと狂喜乱舞するヴァンの気持ちは充分に解る。 つい最近に行われたアリスの誕生日を祝う会にはクレアも招かれており、その席で会った3歳の幼女は大層可愛らしい子だった。 その日のために用意したというドレスも母親手製の花冠もよく似合っており、 まるで花畑から抜け出してきたフラウ族フェアリーのよう。
 同じように招かれていたエレオノーラが連れていた彼女の息子も、 一張羅に身を包んでかしこまっている様子がなんともいえず微笑ましかった。 大勢の人たちがいる中で母親の後を追いかけている姿は年相応で、思わず抱きしめてあげたくなるくらいだ。
(子どもは可愛い――。それは解る、解るのだけれど……)
 また溜息を一つ。
(私も人の親になれば全て解るのかしら?)
 少し想像してみた。自分がいて、その横には夫がいて、彼の腕には自分たちの子どもがいる。 父は親バカならぬ爺バカを存分に発揮するはずだ。 そして自分たち夫婦は知り合いに頼んで絵を描いてもらったり、誕生祝いの宴を賑やかに開くのだろう。 少年少女になる頃には反抗期に悩まされ、恋人を見つけてきた時は嬉しくもあり悲しくもある複雑な気持ちになるのだろうか。
 それからそれから――と未来予想図を描いてみるのは存外楽しいものである。
(私もヴァンやお父様のようにはしゃぐようになるのかも)
 不思議と笑みがこぼれた。
 彼女はとても優しい表情になると、奥にある戸棚から一つの箱を取り出した。 香木から削りだして作られた小ぶりな箱にはある人物から送られた何通もの書簡がしまわれているのだ。 文箱のふたを取ると、一番上にあった封筒を取り出した。 それはまだ開封されてはいない。
 彼女はその宛名書きを見るとくすりと笑った。 そして何十日も放置してあった手紙の封を切る。 封筒には香木から匂いが移っており、宛名書きの書体が放つ無骨さを和らげてくれていた。
 クレアは中に入っている手紙を取り出すと封筒は机の上に置いた。 手紙に記された文字を目で追っていくうちに彼女の表情は笑ったり、 眉間に皺を寄せたりとネコの目のようにくるくると変わっていく。
 それを光牙師団の者たちが見れば随分と驚くだろう。 いつも沈着冷静で穏やかな表情を崩さない彼女がこんなにも多様な表情をしているのだから。 けれどもその意外さは好意へと転ずるものであり、普段見せない表情はどれも彼女の魅力をより一層引き出すものばかりだった。
 ――ドンドンドン。
 不意に部屋の扉を叩く音がした。
「団長、アリアスの村より『炎』の者が参っております。なんでも火急の用だとか」
 ヴァンの声がクレアを一気に現実へと引き戻した。
「わかったわ、すぐに行きます」
 アリアスはアーリグリフ王国との国境にある村だ。 時期が時期だけに良くない知らせなのかもしれぬと見当をつけた。 読みかけの手紙を封筒にしまうと急いで支度を整えて部屋を後にした。
 彼女の執務机の上には「ワシの可愛いクレアちゃん」 と書かれた封筒がぽつんと残っている。 まるで、これから仕事へと赴かんとする彼女を見送るかのように。 その様子は手紙に込められた想いとぴったり重なっていた。
 力強く励ます言葉、娘を呆れさせ笑いを誘う言葉、大切な家族を案じている言葉。 どれもがきらきらと輝く星明りのようだ。星は小さいけれど暗闇を灯す確かな光。 形作る図形は季節を、方角を、そして時間を告げもする。  父から子への手紙は娘の行く先を照らす光であり、娘の存在は父にとって何よりも尊い光なのである。

 かなり困った人だけれど少し見直してみようかしら?  そんなことをちらりと考えたクレアは程なく父親と再会することとなる。 その時の彼女の胸中がいかなものであったのか、それを語るのは別の物語に譲るとしよう。
 

− Fin −





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