静謐なるは我が祈りと世界

 夜のシランド城は静まり返っている。今日のような日ではそれも当然のこと。 賓客を招いての宴席でもあれば話は別なのだが、ここしばらくはそういった予定はなかった。 それにアペリス信仰が熱心なこの地では人々は模範的な生活を心がけている。 用も無いのに夜更けまで起きている酔狂な人間はあまりいないのだ。 松明や燈明の燃料代といった経済的な問題もある。 この城には施力を込めて作られた光るガラス玉といった照明もあるが、基本的に人々は太陽と一緒の生活をしていた。
 人の気配が少なくなった城内を歩く一人の男がいた。 長い黒髪を一つに束ねた彼は重そうな書類を抱えている。
(かの国との国交において課題はまだまだ山積みだな。特にあの御老体、アーリグリフ王よりも厄介な人柄であろうし――)
 人格者らしいと評判だし、自分自身もかの老人が悪人だとは感じていない。 だが先々のことを考えると油断ならない相手だと思う。
(明日もまた早くなるだろう、今日はもう休まねば――)
 二国間戦争が終結したとはいえ、決裁せねばならぬ問題は山積みだ。 それに大神官の娘御とアーリグリフ王との婚儀も近い。 陛下御臨席の会議が長引くのは常だが、今宵の会議はいつも以上に長引いたのである。
 抱えていた大量の書類束を持ち直すと、その隙間から一本のリボンが舞い落ちた。
(これは……)
 淡い藤色をしたそれは少々古びている。だが、かつては絹特有の柔らかな光沢を持っていた。 彼はこのリボンをよく知っている。だから目を閉じれば往時の姿をありありと思い浮かべられるのだ。

 ここはシランド城内にある礼拝堂である。 昼間なら一般にも開放されている場所としてそれなりに人の出入りがあるのだが、 城門が閉じられる夜となればその姿はなかった。
 空気が凍りついたかのような静けさの中、壁画に描かれた神々や聖人たちが頭上から堂内を見下ろしていた。 荘厳な雰囲気ではあるが、白い石材が多用され植物が植えてあるため重苦しい印象ではない。
 そこへ彼はやってきた。
「あの頃の様にちゃんと来てくださいましたわね……」
 礼拝に来た人々が使う椅子の一つに腰掛けた女性は、彼の姿を見つけると花のように微笑んだ。
「陛下、悪戯が過ぎます。側仕えの者たちが心配しておるでしょうに」
「あの子たちにはよく言ってありますもの。 心を静めるために神々に祈りを捧げたいから一人にして頂戴――そう頼んでおきました」
「そういう問題ではございません……もっと御身のことをお考えになられませ。 陛下の玉体には国民全ての安寧がかかっておられ――」
「そこまでです」
 シーハート二十七世――ロメリア・ジン・エミュリールの人差し指が彼の唇を押さえた。
「今、わたくしはロメリアです。シーハーツの女王でもなければ聖女でもありませんわ」
「陛下、何を……」
 彼としては困惑するより他はない。自分は聖王国の臣下であり、目の前の女性は彼の君主である。 ましてや普段の彼女は非公式の場であってもこんな子どもじみたことをする人ではない、そうであってはならないのだ。
「昔のようにロメリアと呼んでくださりませ、ラッセル兄様」
 その一言が彼を強く打つ。
 封印したはずの記憶の箱が音をたてて開き始める。
 彼の理性が警報をならす。開けてはいけないと訴えかけてくるのだが、それもロメリアという女性を前にしては無駄だった……。


 うららかな春の陽射しが人々を包む庭園。今を盛りに咲き競い合う花々からは芳しい香気が漂っている。
 そこに十を一つ二つ過ぎた少女と彼女の両親がいた。 少女は立派な仕立ての衣服に身を包み、まるで人形のように上品な愛らしさをたたえている。 だが落ち着かなげに周囲を見回したり、そわそわとしている様子は些か挙動不審である。
 そこへ一人の青年が先程の少女より少し幼い少女と共にやってきた。 青年は十代の後半ぐらいだろう、生真面目そうな顔と黒髪が特徴的。 少女の方は年上の少女とよく似ており、彼女たちが姉妹であると感じさせる容姿だった。
 妹が少年の手を取り、たどたどしい様子で案内している。するとそこへ――
「ラッセル兄様、ロゼリアだけじゃなくロメリアとも遊んでくださりませ!」
 少女たちの姉の方――ロメリアは彼女のお気に入りの人の腕に飛びついた。 よく母親にはしたないと咎められるがそれは後でのこと。今は妹から大事な兄様を取り返すことの方が重要なのである。
「ロメリアお嬢様、お久しゅうございます」
 ラッセルは元気よく飛びついてきた少女が倒れそうになるのを支えた。 それから奥の東屋にいるエミュリール夫妻に向かって一礼。
「ご無沙汰しております、エミュリール様。本日はお招きいただき有り難うございます」
 シーハーツ風の作法で折り目正しく挨拶を済ませると、主人側である夫妻も彼に挨拶を返す。 それから娘たちを手招きして、彼女たちにもちゃんとした挨拶をするように促した。
 そうこうしていると使用人が飲み物と菓子を運んできたので、彼らはそろって東屋の椅子に腰掛けた。
「城での勤めはどうだい、ラッセル君? 頭の固い年寄り連中に囲まれると難儀するだろう」
「いいえ。頭が固いのはアンサラー師で慣れておりますから……と、失言でした」
 暗に城の年寄りは頭が固いと認めているようなものである。
「構わないさ、我々だって昔は苦労したものだよ」
 そうだろう? とエミュリール氏は横にいる妻に同意を求めた。
「そうね……政に関わる方々はそうでしょうね。わたしは神にお仕えする方でしたからそれほどでも」
「ねぇねぇ母様、お城は頭が固くなってしまうの?」
 妹のロゼリアが首を傾げて尋ねた。
「まあ、この子ったら……そんなことはありませんよ。ただ難しいお仕事をしていると心にゆとりがなくなってしまうの。 それを頭が固いって言うのね。お父様がいつも『仕事がー、仕事がー』と仰っているでしょう? それと同じよ」
「ふぅん……」
 エミュリール家もシーハーツの一般例に漏れることなく、女性の方が立場が上なようである。 エミュリール氏は苦笑しながら妻と娘の様子を見ていた。
「そんなのダメ――!」
 ロメリアが絶叫し、全員の視線を集めた。
「ラッセル兄様、お城で働いちゃダメよ。父様みたいになったらダメっ」
「ロメリアお嬢さま……」
 ラッセルは「いやいや、お城に戻らないでっ」とせがむロメリアを扱いかねている。 生真面目な彼には、「城には戻らないよ」といい加減な口約束などできるはずもない。 また、自分が将来頭が固くならずにいる保証もないので、「大丈夫、安心してください」とも言えない。 瞳を潤ませた少女の頭を撫でてなだめることしかできなかった。
「こら、ロメリア。ラッセル君に無理を言うものではないよ」
「だって、だって……ラッセル兄様がお仕事ばっかりでロメリアの相手をしてくれなくなったら嫌だもんっ」
 彼女はそのままわんわんと泣き出してしまったのである。

「さっきはすまなかったね」
「いいえ、こちらこそお嬢様をお泣かせしてしまい……申し訳ございませんでした」
 あの後、エミュリール夫人が娘たちを部屋に連れて行き、ラッセルとエミュリール氏も屋敷内の応接室へと場所を移していた。
「ロメリアはすっかり君のことが気に入っているようだ。もし君さえよければ将来のことを考えてやってくれ。 あれは母親似だから年頃になれば女らしい魅力も出てくるだろうしね」
「――は」
 突然結婚話を持ち出され、ラッセル頬がわずかに赤くなった。 結婚などまだ考えてもいなかったが彼の立場では断る訳にもいかず、かすれそうな声で返事をするのが精一杯。
(あくまでも考えておいてくれ、だ――)
 律儀な彼は言葉をそのまま受け取った。 娘を持つ親がこういう話をするのはかなり本気であるという常識は知らなくもないが、 今に限っては一般常識というものは強引に頭から追い出すことにする。
 眼前の若者の様子を面白そうに観察したエミュリール氏は彼のために話題を転じた。
「そういえば……しばらく前のことになるかな。君は陛下の御前でラーズバード氏と派手にやりあったそうだね」
「あれは――」
「別に怒っているのではないよ。君が公的な場でああなったというのが興味深くてね、 原因は何だろうと気になっていたんだよ。ラーズバード氏も先ごろ結婚されて、すっかり落ち着いたとの評判だったし」
 エミュリール氏は銀製の皿に盛られた焼き菓子を口に放り込んだ。 ちなみにラーズバード氏というのはクリムゾンブレイドにして光牙師団の隊長を務めている人物である。
「あれは……その、謁見の間でのことでして……」
 ラッセルはどうしても話さなければいけないのかと相手の様子を窺った。 エミュリール氏は興味津々といった態であり、彼の意思を翻せないことを悟ったラッセルは溜息と共に語りだした。
「ラーズバード殿が陛下に良いものをお目にかけましょうと仰ったのです。 それで陛下が興味を示されると彼は突然上着を脱ぎました。 そして『ご覧なられませ、ワシの鍛え上げられた肉体を! これぞ正に国を守る盾にして悪を蹴散らす剣ですぞ!』と……。 エミュリール様もご存知かと思いますが、ラーズバード殿はたくましい体つきをしておりますから。 その……要は筋肉自慢です。清浄であるべき陛下の御前でそのような暴挙をなされるものですから、私は思わず……」
 年齢も立場も上であるアドレー・ラーズバードを一喝してしまったのである。
「何て言ったんだい?」
「陛下の御前でそのような汗臭いものを晒すとは一体どういうおつもりですか――と」
「それから?」
「それからしばらく口論をしていたのですがラーズバード殿が『ワシらは陛下と国を守るために存在しておるのじゃ。 この身体は陛下に捧げるべきものぞ、それを汚らわしいだの臭そうだのと言うとはけしからん。 そもそもお前は陛下にお仕えするのに相応しいのか? ワシが確かめてくれる――!』と申されまして……」
 ここでたっぷり一呼吸分の間。
「私の上衣を脱がせようとしてきたのです……ええ、もちろん抵抗したのですが私ではあの筋肉男 ――ラーズバード殿には腕力では及ばず、そのまま」
「脱がされちゃった?」
「…………はい、上半身だけですが。脱がした後、ラーズバード殿は『何じゃこの貧弱な体つきは。ちゃんと肉食っとるのか?  前々から細っこいと思ってはおったが……。フン、最近の若いモンが皆こうだとすると嘆かわしいわい』とお怒りになられました。 私くらいの年頃の者たちに稽古をつけるとか言い出し、湖の外周をひたすら走らせるとか何とか……。 私は理不尽さと恥辱のあまり――」
「ぱしんと一発平手打ち?」
「サンダーストラックでビリビリと……その一撃をまともに受けたラーズバード殿はひっくり返りました。 転がってピクついていたラーズバード殿の髪はチリチリになって大爆発です」
 そこまで話してラッセルは項垂れた。謁見の間で施術を放つなどあってはならないことである。
「それは災難だったねぇ。陛下からはお咎めはなかったのかい?」
「陛下は『今日は滅多に見れない物をたくさん見ることができました。 ラッセル、貴方もたまには肌を露出させてみてはどうかしら?』とだけ……」
「さすがは陛下だ。愉しみを理解されているね」
 エミュリール氏は声をたてて笑った。
 まさかこの小さな出来事が後々にまで禍根を残すことになろうとは、 ラッセルもアドレー・ラーズバードもこの時点では考えてはいなかった。 だが、この一件がラッセルとアドレーの仲を悪化させる契機となったのは言うまでもない。


 礼拝堂の入り口に小柄な影が現れた。その人影は目当ての人物を見つけると、そちらへ向かって一直線。
「ラッセル兄様!」
 弾むような足取りで――途中で慌ててしとやかな歩き方に直して、ロメリアはラッセルの近くへやってきた。 そして優雅にくるりと回り、新調したばかりの礼服を披露する。
「これ、似合うかしら?」
「明日が卒業式になりますか。おめでとうございます、ロメリアお嬢様」
「どうも有り難う。学校での三年間はあっという間だったわ。 これからはお城にお勤めするようになるから兄様といつも一緒にいられるわね」
 ロメリアはこの上ない幸せを見つけたかのように微笑んだ。
 彼女は将来は子どもの頃よりいずれは女王に、と目されていた。 家柄と血統限界値はどちらも問題なく、長じるにつれ彼女が女王に相応しい聡明さをも持ち合わされていることが判った。 そんな彼女のように将来が期待される子どもたちは、一定年齢に達すると王立の学校に集められる。 そして国家の柱石として相応しい人物へなるために勉学に励むのである。 当代の女王もしくは王が健在な間はその補佐をし、空位になると候補者たちの中から時代の王が選ばれるのだ。 王位に就けない者もその経歴により将来は約束されているといっていい。
 その学校での生活を経た少女はすっかり大人の女性へと変貌していた。 身長も伸びて彼の肩ぐらいの高さ、かつて父親がいったように女性らしい魅力もたっぷりで朝霧にけぶる薔薇のよう。
 ラッセルの方は身長の伸びこそ落ち着いていたが、身にまとう風格は大人のそれへと近くなっていた。 仕事ぶりも城の人々に認められ着実に官位を上げている。中身と官位が釣りあっていないと悪く言う者もいなかった。 彼の知らぬところでは若手の有望株として女官たちの熾烈な争奪戦が繰り広げられているくらいだ。
 三年という時間はラッセルとロメリアの双方に変化を与えたのである。 身体や身分という判りやすいものだけでなく、心にも。 会いたいという双方の意志がなければ何かと忙しい二人が面会時間をやりくりするなどできなかったはずだ。
 ラッセル自身は純粋に祝辞を述べるつもりでいたが、それだけでないという自覚もあった。
 彼は穏やかに微笑むと仕事の合間にペターニまで出かけて買った物を取り出した。
「これをどうぞ」
「なぁに?」
 手渡された小さな袋に、それからラッセルの顔に目をやって彼女は尋ねた。
「卒業のお祝いです、お嬢さまの趣味に合えば良いのですが」
 袋の中には淡い藤色のリボンが一つ。光沢のある布地は柔らかく光っている。
「きれいな色……有り難う、兄様」
 ロメリアはリボンを几帳面な手つきで袋にしまった。 大切な――特別な人にもらった物を万が一にも汚す訳にはいかないからだ。

 礼拝堂では人が多いので、落ち着いて話せる場所を求めて彼らは移動した。 ラッセルに与えられている私室である。
「むさ苦しいところで申し訳ないのですが……」
 ラッセルはすまなさそうに詫びたが、当のロメリアは物珍しげに室内を見回している。
「ねえ、兄様。せっかくだからもう一つおねだりしても良い?」
「私にできることであれば――何でしょう?」
「お嬢様はもうやめて頂戴。わたし、もうすぐお勤めするのよ。そうしたら兄様の後輩になるわ」
「お嬢様としがない文官とでは立場が違いすぎますよ」
 それは事実である。同期の者たちの中ではラッセルもかなり上の方にいる。 だが次代の王となる者たちはさらにその上をいくのだ。
「またお嬢様。ラッセル兄様はいつもそればかり……わたしはもう子どもじゃないのよ?」
「まだまだ子どもですよ、宮廷での慣習をご理解いただけてないようですから」
 さらりとそう答えた。彼としてはそう答えるのが最良と考えざるを得ない。 うっかり呼び捨てを許可しようものなら、彼女の性格からしてロメリアと呼ばない限り二度と返事などしなくなるだろう。
 ラッセルのそんな様子をじっと見詰めていたロメリアは、ふぅ……と吐息を漏らした。
「兄様はすっかり父様に似てきてしまったわね。母様が仰ったことは真実だったのかしら?  ……じゃあ一つだけ約束して頂戴。宮廷の慣習があるからいけないのなら、そうでない時ならよいでしょう? 兄様とわたしが二人っきりの時はお嬢様はやめて。もちろん名前に様を付けるのもよ」
 ロメリアはぎゅっとラッセルの手を握り締めた。
「しかし……」
「目を逸らさないで! 兄様が――ラッセルがロメリアにくださったリボンにかけて誓って下さりませ」
 ――この時の気持ちをどう表現したらいいのだろう。
 堅物と言われるラッセルであるが彼女の気持ちに気付かぬほど鈍感ではない。 今の彼女はかつて自分に対して城に戻るなとせがんだ時と同じ瞳をしていた。 子どものように今にも泣き出してしまいそうで、子どものように純粋で一途。 嘘も誤魔化しも容易く見破られるだろう。
 ラッセルは悩んだ。ロメリアが女王にならず、王宮に仕える一人の人間であればこの想いも許されるのだろう。 しかし現女王はたまに体調が優れぬ時がある。在位も数十年に渡るため、王位の重責がその身を蝕んでいることは間違いない。 まだ先の話だが譲位となればアペリスの聖女かもしれぬと評判のロメリアは必ず女王として選ばれるはず。 そうなれば自由な恋愛など許されなくなる。いたずらに彼女を悩ませるのも国を乱すのも避けたいことだ。
 が、その一方で答えは既に出ていると訴える自分もいる。 こんなにも悩むのは、彼女のことを気にかけてしまうのは、ロメリアを愛している証拠ではないか――と。
 逡巡する彼をロメリアは辛抱強く待った。そして長い沈黙を破り彼は口を開いた。
「私は――ロメリア、貴女を……貴女を女王にしたくない」
「兄様?」
「私は貴女をお慕いしています」
 押し殺すような声でそれだけ言うと、彼はロメリアを遠慮がちに抱きしめた。 腕の中の彼女が自分の背に手をまわし、強く抱きしめてきているのが判る。
「リボンにかけて誓おう。貴女がどのようなお立場になろうとも、私は生涯ロメリア・ジン・エミュリールだけを愛す――と」
「兄様、わたしもよ。ずっと兄様のことだけを想っているわ」
 彼女は涙を流しながら微笑した。 彼女も自分の立場や将来というものを充分過ぎる程に理解しているのである。 それでも想いを告げずにはいられず、また相手の本当の気持ちを確かめずにはいられなかった。
 ロメリアは静に瞳を閉じると心もち唇を前に出す。 ラッセルはわずかに身を屈めて、彼女の唇に自らのそれを重ねた――。


「あれから七年ぐらい後に先代の女王は崩御なさいました。そしてわたくしは女王となり、シーハート二十七世の名を頂いた……」
「ですから、そのお立場をもっとご理解ください」
 ここは城内であるとはいえ、一国の主が夜間に自由に出歩くなどしていいことではない。 執政官という立場にある彼としてはそれを咎めねばならないのである。
「兄様はわたくしが王位に就くのを躊躇った時、約束してくださいましたわね。 このリボンを目印として貴方に信号を送れば、夜の礼拝堂まで必ず来て一緒にいてくださる――と」
 以来、ある時は着物の帯に、またある時は花の枝に……と、リボンは様々な場所に結ばれた。 その度に彼らはここで語り合ったのだ。
「結婚したロゼリアが子を抱いているのを見る度に、わたくしは正直嫉妬しましたわ。 女王の立場などいらぬ、今すぐ貴方のもとへと飛んでいきたい。そしてずっと一緒にいたいと思った……」
「陛下――」
「ロメリアでしょう?」
「ロメリア、それは仰ってはならぬことです」
 あの誓いの日に悟った未来。それはとても哀しいことだったが、彼らには国を捨てることなどできなかった。 以来、余人を交えた場面では一切の想いを封印してきたのだ。
「エレナとアーリグリフ王には申し訳ないけれど、姪のロザリアが自身の願いを叶えてくれて嬉しかった。 わたくしには叶わぬ夢だったから、余計に……」
「……はい」
 そのことに関してはラッセルも同じ考えだ。王族という立場にありながらも自ら選んだ人間の許へ嫁ぐ。 それを成し遂げるのは容易なことではない。だから彼女には嫁ぎ先で幸せになってもらいたいと心底思う。
「今宵は会議が長引いたせいでお疲れでしょう。そろそろ御寝所へお戻りください」
 執政官という立場を抜きにして、純粋に彼女の健康を気遣ってそう言った。
「そうですわね……貴方に心配をかけるのは本意ではありませんもの。 でもね、疲れているのは貴方も一緒のはずですわ。だからもう少し休んでいきましょう」
 礼拝堂の長椅子に腰掛けているロメリアは、隣に座っているラッセルの肩に寄りかかった。 その表情は安らぎに満ちている。
 久しぶりに拝見する己の主の安心しきった穏やかな顔。 そんな顔をされると彼はもう何も言えなくなる。
「少しだけ、ですよ」
 それだけ告げると彼もロメリアの方に頭を傾けた。 いつもキリリとしている眉は下がり、どこか温和さを感じさせる顔つきになっていた。 そこには冷徹な執政官の姿はなく、ラッセルという一人の男性がいるだけ。
 ぴったりと寄り添った二人の姿を聖堂の天井に描かれた神々が静かに見守っていた。 短い時間の逢瀬から二人が至上の幸福を感じられるよう、祝福を与えるかのように――。


− Fin −




まちがいと説明
 公式資料集ではロメリアの女王即位が765〜766年の間になっています。 この小説内ではそれよりも明らかに早い時期に即位しています。 演出重視ということで勘弁してください(笑)。
 作中で「アペリスの聖女かもしれぬ〜」という記述があります。 これは「この子ってアペリスの聖女に認定されるんじゃない?」という前評判がある、ということです。 ロメリアが聖女として正式に認定されたのは767年と公式資料集には書かれています。
 ラッセルのアドレーに対する口調の変化について。 若い頃のラッセルさんは年齢・経験・地位が上のラーズバード殿に敬意を払って接しています。 ですが、性格の不一致(笑)とラッセル自身の地位向上により、ぞんざいな言葉使いになったのでしょう。 真っ直ぐな好青年は政治の世界の荒波にもまれて鍛えられてしまったのですね(笑)。

 作中での時間経過を簡単に説明します。
−43年:ラッセル誕生。
−38年:ロメリア誕生。
−??年:アドレー結婚。
−26年:過去その一。ラッセルがエミュリール家に招待〜。
−23年:過去その二。ロメリアが卒業〜。
−16年:ロメリア、シーハート二十七世として即位。
−01年:スターオーシャン3(ラッセル42歳、ロメリア37歳、アドレー58歳)
−00年:現在(小説の出だしと最後の部分)



目次へ