家庭訪問 ゼルファー家編

 ある晴れた日の午後。彼はシランド城下にある喫茶店で、遅い昼ご飯を食べていた。 いつもの仲間はそれぞれに用事があるようで、今は一人でいる。
「フェ〜イトさぁん♪」
「わぁっ!」
 突然のタックルに驚き、手にしていたティーカップを取り落としそうになる。
 そんな彼の背中に抱きついてきたのは紫の髪をした女性であった。
「危ないじゃないですか、ファリンさん。危うくこぼしてしまうところでしたよ?」
「うふふ〜、『闇』の隠術をナメちゃいけませぇん。これくらい、簡単なことなんですからねっ」
「いや、そんなこと言われても」
 フェイトはげんなりした表情になる。
「そもそも〜、油断してるフェイトさんが悪いんですよぉ。 この世界ギョーカイはぁ、一瞬の油断が命取りなんですぅ」
「僕は暗殺されるような悪いことをした記憶はありませんから。ゆっくり普通にご飯を食べてて平気なんですっ」
 全く、困ったものだ……と思う。
 さらに困ったことが一つ。
 ファリンは背後から抱きついた姿勢を今も変えていない。 フェイトの首の辺りに両腕を回し、彼の頭の上に顎を乗せている。 彼の頭を優しく抱きかかえているようなものであり、苦しくは無いのだが……。
 ぽよん――とした柔らかくて適度な温もりを持つものが、後頭部に触れる。 いや、触れるというよりもぎゅうぎゅうと押し付けられている。 健全な青少年――と、本人は思っている――には、非常によろしくない状況なのだ。
 フェイトが頭上を仰ぐと、タチの悪い笑みを浮かべたファリンと目が合う。
「あのー、離してくれませんか」
「ダメですぅ」
「ご飯、食べられないんですけどー」
 感情のこもらない、平板な口調で訴える。
「じゃあ〜、わたしのお願いを聞いてくれるなら、離してあげますぅ」
 彼女の顔を見る限り、まっとうなお願い事ではなさそうだ。 しかし、この気持ちの良い圧迫から逃れ出るためには、「はい」と返事をするしかない。
「……お願い聞くので離してください」
「わぁい、さすがフェイトさんですね♪」
 ファリンは喜色満面。そのまま彼の額に薄紅色の唇をつけた。

 その後もファリンにさんざん弄くりまわされたフェイトは、シランド城内にあるネルの部屋へ来ていた。
 フェイトは椅子に腰掛けると、机で書類の決裁をしているネルの背中に話しかけた。 内容はネルの家に訪問してみたいという主旨のものである。もちろん、急にそんなことを言われたネルは怪訝な表情になった。
「私の家に? どうして急に……」
「いや、ほら。今のうちにネルさんのお母さんに挨拶しておきたいなーと思って」
 フェイトとネルが仲間以上の親密さであることは、このシランド城内では公然の秘密であった。 しかしながら、こういった恋愛事が得意でないネルは思い切り動揺する。
「え……挨拶? やだ、そんな」
「この先、何があるか判らないし、ちゃんとご挨拶はすませないと」
「で、でも……」
 うろたえるネルは普段の凛とした様子とは全く違い、とても可愛らしく、まるで少女のようだった。 もうちょっと困らせてみたい衝動に駆られるが、今はゼルファー家に訪問する約束を取り付けることが第一である。 フィエトはぐっと気合を入れて、さらに一押し。
「異国人の僕では、親の前に連れて行くには不足?」
「ば、馬鹿。そんなことないに決まっているだろう」
「じゃ、いいよね?」
「……う、うん」
 なんだかスッキリしないものがあるが、ネルは頷いてしまった。

「あらあら、ネルちゃんが男の人を連れてくるなんて〜。今日のお夕食は何にしましょう」
 そんなのん気な発言をしたのは、ネルの母、リーゼル・ゼルファーである。 ネルよりも頭一つ分、小柄でほんわかした雰囲気の人であった。
 フェイトは、「さあさあ、お上がりなさい」と、勧められるままにゼルファー家の屋敷へ入った。 そして一通りのもてなしを受けると、とある希望をネルへと告げる。 それが本来の目的だ……もちろん、ネルの家族に会うということも大事なことではあるのだが。
「ネルさんの育った部屋を見てみたいな」
「わ、私の部屋かい?」
 途端、ネルの顔が引きつる。
「し、しばらく帰ってなかったから埃っぽいし、今度にしなよ」
 それとなくフェイトから目をそらしつつ、訪れを回避しようとしたが、あっさりと母親に一蹴される。
「ネルちゃんが留守の間も、お掃除はちゃんとしてあるから大丈夫ですよ」
 軽く母親を睨むが、リーゼルは柳に風といった状態だ。ぽわわんとした笑顔が崩れることは無い。
「あ……でも、そろそろ夜も近いし、戻らなきゃ」
「明日は休日だから大丈夫だって」
「そうよ〜、せっかくお家に帰ってきたのだから、今夜は泊まっていきなさい。ラインゴッドさんも、ね」
 にこにこ、にっこりとするリーゼル。
(くっ……こいつら!)
 ネルの固く握られた拳がわずかに震える。
 フェイトが泊まるのは別に構わない。しかし自室に入れるワケには!
「も〜、しょうがないネルちゃんなんだから」
 母親は伸ばした人差し指をわずかに動かして、宙に小さく何かを描いた。
「――わっ! か、母様――!!」
 何処からともなく現れた光の帯に、ネルはぐるぐると縛り上げられていた。小さい頃に悪戯をした時と一緒だった。
(ここまでするか、普通っ)
 凄まじい視線で抗議するが、母もフェイトも気づかぬふりを決め込んでいる。
「ネルちゃん。お付き合いして、結婚して……ってなるなら、いつまでも隠しておけるものじゃないでしょう?」
「さーてと、ネルさんの秘密の部屋を見せてもらおうかなぁ」
「ごめんなさいね、ラインゴッドさん。うちのネルちゃんったら、昔っからこうで……。さ、こちらですよ」
 フェイトを誘って応接間を出て行く母。
「ま、待ってぇぇぇぇ」
 その背に向かって呼びかけたネルの悲鳴は、無情にも閉められた扉によって、室内に響くだけであった。

「うわぁ……これはすごいな」
「ふふ、可愛いでしょう」
 フェイトが初めて立ち入ったネルの部屋は、白とピンクを基調にまとめられていた。 うっすらと花柄が印刷された壁紙、レースで縁取られたカーテン。全ての家具が乙女の夢といった感じである。
 しかしフェイトが感嘆したのは家具に対してではない。
 部屋を埋めつく勢いで棲息している無数のぬいぐるみたちに対してであった。
 多数を占めているのは大小さまざまのクマ。その隙間にウサギやネコ、イヌ。 さらにフェイトが知らない格好をした動物らしきものもいた。この惑星特有の生き物を模しているのだろう。
「女の子なんだから、恥ずかしがること無いのにって思うのですけれど、どうしても他の人を入れたがらないのよ」
「いやぁ……でも」
 ソフィアの部屋以上の少女趣味っぷりに、フェイトは恐れ入っている。
(ネルさんが隠したがるのも、無理ないか)
 クリムゾンブレイドの威厳を保つには、隠しておいたほうが良いだろう。
「子どもの頃はお友達もいらしたのだけど、今でもお付き合いがある人で、このことを知っているのはクレアちゃんだけね」
 その時、凄まじい足音と共にやってきた人が一人。
 ぜーぜー、はーはーと肩で息をしている。
 その人はフェイトの肩をぐわしと掴むと、絶対零度の瞳で一瞥した。
「見たね……」
 それはもう、泣く子も黙るクリムゾンブレイドの迫力というより、大人も泣き出してしまいそうな般若面という感じだった。 しかしフェイトは臆することもなく、微笑しながらこう言った。
「ネルさんみたいに可愛い部屋だなって思ったよ」
 ものすごく恥ずかしいセリフを平然と――しかも意図的ではなく、ごくごく自然に――言う。
 彼がやたらとシーハーツ女性に気に入られ、ネルが苦労する所以である。

 それから数日後のこと。
「フェ〜イトさぁん」
 フェイトはファリンのタックルを今度はかわし、正面から向き合う。
「ネルさまのぉ、秘密はぁ探れましたかぁ?」
「あー、うん。ばっちり」
「ホントですかぁ! さすがフェイトさんですぅ」
 手を叩いて喜ぶファリン。 彼女たち、『闇』の隊員たちの間ではネルの私室がいかな様子を呈しているのか非常に謎であったのである。 ネルの親友であるクレアに聞いても詳しくは教えてもらえず、何かとんでもない蒐集品があるのではないかともっぱらの噂であった。
 自分たちで確かめようにも相手は上司の家である。 忍び入るわけにもいかず、仕事のついででゼルファー家に行くことはあっても、私室に入れてくれとは言えるものではない。
 だが、このフェイト・ラインゴッドという男ならばどうなのか。部下ではなく仲間。 それも特別に親しい相手となれば、部屋の中まで入れてもらえるのではないだろうか。 ファリンとその仲間たちはそう考えた。
「……で、ネルさまのお部屋はぁ、どうなっていたんですかぁ〜?」
「それはもう、かわ――」
 ――ヒュン、と何かが彼らの目の前を掠めた。
「川? 部屋の中に川が流れているんですかぁ? ……じゃなくてぇ」
 何か――鋭い刃物が飛んできた方を見つめる二人。
 彼の恋人、彼女の上司がそこにいた。
「あ……ネルさまぁ」
「やー、ネルさん」
 フェイト、ファリンの両名から、音を立てて血の気が引いていく。
「ファリン、覚悟しなっ! そこ! フェイトも逃げない!」
 シランドの町に情けない悲鳴が響き渡った。



 宵闇に包まれたシランドの町。
 蛍の乱舞のように、町の家々からは優しい色の明かりが漏れている。
 その中の一つ――とある屋敷の一室に、二人の人間がいた。
「これは母様がずっと大切にしていたものなんだ」
 そう言って、赤い髪の女性は古ぼけたぬいぐるみを、目の前にいる娘に持たせた。
「何年も前から家にあるから、すっかり古くなってしまったけれど、不思議と手放す気にはなれなくて……」
「お母しゃま、クマちゃん……腕が取れそう」
 紫色の髪をした幼い少女は、慎重な手つきで母からもらったぬいぐるみを弄っている。 目の前にある可愛らしい物体をぎゅっと抱きしめたいけれど、大好きなお母しゃまの大切なものだから、 大切に扱う――彼女は幼いながらもそれを理解していた。
「新しいぬいぐるみ――あなたにとって、自分のためだけのぬいぐるみが、そのうちいっぱい増えると思う。 そうなっても、その子を大切にしてくれると母様は嬉しいな」
 ぬいぐるみ以上に可愛くて、かけがえのない存在である娘の頭を撫でる。 幼い子どもらしく、紫色の髪の毛はとても柔らかかった。
 半分眠そうな顔をした娘を抱き上げると、寝台へと連れて行った。
 くっつきそうになる瞼を頑張ってあけている娘に、お休みの挨拶をすると、彼女は照明ランプを消す。
(ぬいぐるみを好きになるのって、やっぱり血筋のせい……かな? まあ、こればっかりは似てくれて嬉しいよ)
 暗がりの中、くすりと微笑んだ彼女はそっと寝室を後にした。


− Fin −



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