家庭訪問 ラーズバード家編

「そうかそうか。ついにお前も所帯を持つことを決めたんじゃな!」
 アドレー・ラーズバードは破顔した。
 豪放磊落――そんな言葉が似合いそうな男である。
 その顔はそれなりに整っているのだが、如何せん服装が良くなかった。 まだ暑い時期ではないというのに上半身裸なのだ。 趣味の良い家具で揃えられた応接間の中で、ただ一人暑苦しい空気を放っていた。
「まあ……そういうことだ」
 アドレーの正面に座っていた男性が、ぽつりと呟いた。
 彼の名はネーベル・ゼルファーという。赤い髪を後頭部で馬の尾のように結っている。
 アドレーとは旧知の間柄で、本来の職域こそ違うが共に働いたことは幾度となくある。 仲が良いと言ってよいはずの二人だが、にこやかな顔のアドレーに対して、ネーベルの表情は堅苦しかった。
「これ、めでたい報告の席で仏頂面をする奴があるか。リーゼル殿を見習うが良いぞ」
「仏頂面じゃねーよ。俺はいつもこうだ」
 そう、ネーベルの顔は大抵こんなものである。
 笑顔が苦手、真面目、寡黙……そんな性格をしているだけであって、特に怒っているのでもなく、不機嫌でもなかった。 さらに言うと、アドレーに対する口調もいつもこんなもので、 喧嘩腰というのではなく、気の置けない相手だから口調がくだけているだけ。 彼の無意識に、年長の友人への甘えがあるせいかもしれない。
 それはともかく、ネーベルは人に誤解されやすいため、 アドレーなどは彼の伴侶――彼を丸ごと受け止めてくれる女性――が現れるか、大層心配していた。 怖そうだと思われているようで、なかなか女性が寄り付かない。 そのため、内面を知ってもらう機会が極端に少ないのだ。 しかも、当のネーベルが女性と親しくするのを避けるというから話にならない。
 大雑把なように周囲から思われているが、アドレーは存外、年下の友人のことを案じていたのである。 ……もっとも、ネーベル自身は涼しげな美貌のせいか、宮廷の女官たちにはきゃあきゃあと騒がれていたが。
 幸いなことにネーベルはリーゼルという女性と出会い、婚約するに至った。 現在はその報告と、もう一つの知らせをするために長い付き合いであるアドレーの家を訪ねたのである。
 未来の夫人であるリーゼルを伴って……。

 ――コンコン、と応接間の扉が叩かれた。
「どうぞ、お入りなさい」
 優しげな女の声が応えた。
 扉が開くと、白いエプロンをつけた客間女中がしずしずと入ってくる。 その手には銀盆があり、茶器と菓子が載せられていた。
「ありがとう……いいわ、後は私がやりますから」
 給仕をしようとした女中を下がらせると、女――アルメリア・ラーズバードは人数分の茶碗に、 湯気の立つ茶を注いでいく。そして菓子鉢から苺を使った焼き菓子を小皿に移す。
 それをネーベル、リーゼル、アドレーの順に配り、最後に自分の前にも置く。
「今朝摘んだばかりの苺を入れてありますの。どうぞお上がりくださいな」
 彼女は焼き菓子を指し示しながらそう告げると、たおやかに微笑した。
 しゃら……と長い銀髪が揺れる。ほとんど白に近いその髪は不思議な光沢を帯びている。 彼女が生来持つ独特の雰囲気と合わさって、神秘的な印象を見るものに与えていた。
「いただきます……あら、お砂糖の代わりに針槐の蜜が入っているのね。とってもまろやかだわ」
 リーゼルはにこにこと幸せそうな顔をする。
「まあ、お判りになりまして? リーゼルさんは蜂蜜に詳しいのですね」
「そんなことありませんわ。ただ……お菓子を作るのが大好きなんです」
 素敵だわ、とアルメリアは言う。
 アルメリアはどちらかというと、作るよりは食べる方が好きなのである。 作るのが好きな人間――しかもその腕前を期待できそう――が、身近にいるというのは歓迎すべきことだ。
 手にした白い磁器の茶碗を口元に持っていくと、明るい黄緑色をした芳醇な液体を味わう。 そして、目の前にいるリーゼルの隣を見ると、満足そうな顔になった。
「とても結構なことです」
「リーアよ、それがお前の判断基準か……」
 ぼそりと呟いた夫はともかく無視。それよりも……
「ネー君、良いお嫁さんを見つけましたね」
「え……?」
 いきなり話しかけられたネーベルが、ぽかんとした顔になる。
 その顔は一瞬で真っ赤になった。自分が何と呼ばれたか、気が付いたのだ。
「リーアさん、その呼び方は止めてくださいと何度も言ったではありませんか!」
 アルメリアよりも年上のアドレーにはぞんざいな口調で話しているネーベルだが、奥方である彼女には遠慮があるらしい。 怒りながらも丁寧な言葉遣いで話す。
 ちなみにアルメリアはどことなく年齢不詳な雰囲気をしているが、ネーベルとさほど歳は離れていない。
「ネー君はネー君ですよ」
「だから、その呼び方は!」
 声を荒げたネーベルは傍らに座っているリーゼルの方を、ギギギと音がしそうなぎこちない動作で振り返った。
 隣に腰掛けている彼女はネーベルの気持ちを知ってか知らずか、相変わらずのぽわんとした表情でいる。
「ネー君……」
 リーゼルの可憐な唇が動いた。
 ぽつりと呟いた彼女は少し首を傾けると、何度か繰り返し呟く。そして、他の三人が見守る中、こくんと頷いた。
「わたくしには、“ネーベルさん”ってお呼びする方が合ってるみたい」
「それでいい」
 明らかにほっとしたネーベルが肩の力を抜く。 もしこのまま、彼女からも一生、“ネー君”などと呼ばれるようになっていたらと思うと、背筋がぞくりとする。
 そんな二人の様子を愉快そうに眺めていたアルメリアは、居住まいを正すと改めて祝辞を述べた。
「ネー君、リーちゃん、結婚おめでとう。私達、お二人の幸せを心よりお祝い申し上げます……ね、あなた」
「もちろんじゃ。諸々の邪魔も入るかと思うが、ワシらがついとる。安心して婚儀に臨むがよいぞ!」
 ラーズバード夫妻の力強い言葉に、ネーベルとリーゼルは真剣な表情で頷いた。
 何故かと言うと、彼らの出会いから婚約に至るまでの間には、様々な出来事があったからだ。 リーゼルはどこぞの名家の倅との結婚がほぼ決まっていたのだが、 ネーベルがリーゼルに結婚を申し込んだことにより、その話を破談にさせている。 失礼極まりない身勝手な振る舞いに、リーゼルの母親は烈火のごとくお怒りであった。 ゼルファー家もシーハーツで有数の名家であり、ネーベルと娘との結婚は悪い話ではないのだが、先方にも迷惑をかけ、 さらに大事な一人娘を持っていかれたのだから仕方のないことだろう。 ネーベルとリーゼルは可能な限り奔走し、説得等を続けたのだが、家同士の問題というのは容易く解決できるものではないらしい。
「して……婚儀はいつ頃じゃ?」
「夏頃にする予定なんだ」
「夏? これはまた随分と早いのう……まあ、お前らしいと言えば、そうなんじゃが」
 アドレーの記憶によると、ネーベルとリーゼルが直接出会い、付き合い始めたのは冬頃だったはずだ。 仕事においては、何でも迅速正確に行うネーベルである。だからてきぱきと話を進めていたとしても変ではない。 だが、とかく恋愛ごとには慎重――奥手であったことを思うと、“らしくない”という感じがしてならない。
「むぅ……」
 アドレーは怪訝な表情が隠せない。
「秋には――な」
 ネーベルは僅かに顔を赤らめ、リーゼルの肩を抱いて引き寄せる。
 彼女は慈しむように自分の腹部に触れると、清らかに微笑した。
「秋には子どもが生まれますの」

 部屋に訪れる、一瞬の静寂。そして――

「な、何じゃとぉぉぉぉぉっ!!」
 獣の咆哮の如く勢いで、アドレーが叫ぶ。 かーぽっぽと一気に血が上り、耳と鼻から湯気でも噴出しかねない様子だ。
「こっこ、こ、このネーベルに子どもじゃとうっ! ワシはこの歳で爺様か!」
 口調はすでに爺様っぽいが。
「お前は俺の父じゃないだろう、アドレー」
 ネーベルはげんなりした様子で、危険生物と化した男からそれとなく未来の妻をかばう。 そしてアルメリアに救いを求める。こうなったアドレーを抑えるのは彼女の役割だ。
 アルメリアは彼女らしい不思議な笑みを浮かべると、鈴を転がすような声音で語りかけた。
「ねえ、あなた。ネー君の父親にはなれませんけれど――」
 己の手でアドレーの手を優しく包むと、自分のお腹に触れさせた。そして夫の顔をまっすぐ見つめる。
「――その頃には、この子のお父様になっていてよ」

 ラーズバード家に再び奇妙な叫び声が響き渡った。



「我等が国に永き平和が訪れんことを願って。――乾杯!」
 シーハーツ女王であるロメリア・ジン・エミュリールの声が広間に響いた。 長い来賓の挨拶が終わり、ようやく祝宴の楽しい部分――食事であったり、談笑であったり、人それぞれ――が始まったので、 誰もがほっとした表情で、杯を掲げた。
 この場に集っている者は聖王国の主だった人物、シランドの町の名士とその家族。 それから、この国の危機を救ってくれた英雄達であった。 彼らが一同に会したのは聖都シランドにある王城の大広間である。 戦争が終結と、正体不明の魔物たちからの危機も去ったことを祝しての慰労の席であった。
 そこには光牙師団『光』の師団長にして、クリムゾンブレイドの片翼であるクレア・ラーズバードも参会していた。

「お父様、私……あの方に決めましたわ」
 父アドレーの隣に腰掛け、それとなく父の酒量を抑えながらクレアは囁いた。 彼女の熱のこもった眼差しは、女王の席のごく近くに設けられた主賓の方々の席に向けられている。
「ほう……どの男じゃ。言うてみい」
「あの方、中央に腰掛けていて……あ、今、葡萄酒を口にした方」
「ほうほう。さすがワシの娘じゃな。良いところに目をつけた!」
 アドレーは娘がこっそりと指し示した人物を確認すると、満足げに頷いた。 やはり我が家の婿殿になってもらうからには、あれくらい頼もしい男でないといけない。
「では、さっそくワシがとっ捕まえてくるとするかのう。あれだけの男じゃ、他家に取られる前に手をつけるに限るわい」
 父は豪快に笑うと、席を立つ。
「お願いしますわ、お父様」
 母の意見は聞いていないが、事後承諾で構わないだろう。 それほどうるさい事は言わない人だから……と、クレアは心中で呟いた。
(ああ、でもネルに恨まれるかしら? あの方たちとの付き合いはネルの方がずっと長いんだもの……)
 純白の布がかけらえた長卓の前で、英雄フェイト・ラインゴッドと親しげに話している親友を見た。 しかし、運命を感じてしまったものは仕方がない。こればかりは親愛なるネルであっても譲れない。

 ぐわし、と力強い手で肩を掴まれた時、彼は何事かと思った。 慌てて振り返り、その手の主がアドレーであることを確認すると、「なんだ、髭面のオッサンか」と呟かんばかりにため息を一つ。
 そんな彼の耳元でアドレーは囁いた。
「聞いて喜ぶがよい。お主、我が愛娘が婿にご指名じゃ!」
「……は!?」
「外の国からやってきたお主は知らんかもしれんが、この国では身分ある娘から婿に指名された場合、 余程のことがない限り断れん!」
「アンタはそれで良いのかよっ! 背中にペイントするくらい大事な娘なんだろう!」
 確かにクレア・ラーズバードは垂涎ものの美女だ。ネルの友人ということからして、おそらく性格にも問題はあるまい。 きっと良い家庭を営んでくれそうだ。だが、振って湧いた話に容易く「はい」と答える者はそうそういないだろう。 少なくとも彼が育った惑星ではそうだった。
 アドレーはぐいと彼を立たせると、全世界に轟けと言わんばかりの大音声を発した。
「今宵お集まりの皆様方に、めでたいお知らせをしたいのじゃが、よろしいだろうか?  我が家の一人娘、クレアが婿を指名いたした。その相手はァ――」
 突然の発表に誰もがアドレーに注目した。何せラーズバード家の婿殿発表である。 明日からの国政に影響が出るかも知れぬと、好奇心に満ちた表情で耳をそばだてた。 もっとも、クレアに密かに思いを寄せていた者達は顔面を一瞬で蒼白にさせていたが。
「クリフ・フィッター殿じゃ〜!」
「おいおいおいっ、アドレーのおっさん。勝手に話を進めるなっ!」
 クリフの必死の叫びは会場から湧き上がった拍手にかき消されてしまい、アドレー以外の者には聞こえていないようだった。 それを良いことに、アドレーはニヤリと笑う。
「なあに、お主の筋肉はラーズバード家に相応しい。リーアも喜んで迎えてくれるはずじゃ」
「フィッター様」
 いつの間にか彼らの所にやってきたクレアが、ぴたりとクリフに寄り添った。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたしますわね」
 クレアはさっそくクリフの二の腕――アドレー同様に逞しい腕だった――に触れている。
「何だかよく解らないけどおめでとう。クレアさん美人だし、良かったね」
「クレア、昔からアドレー様みたいな人が好みだったものね。クリフ、ぴったりじゃないか」
 フェイトとネルがそれぞれ祝辞を述べる。真面目ぶっているが、二人とも笑いを必死で抑えているのはバレバレだった。
「お、お前ら〜っ」
 大量の冷や汗をかきかき、クリフが唸る。
「ネルはクリフと呼び捨てにしているのですね。では私も、お名前で呼ばせていただきますわねぇ」
 クレアはクリフの腕を取ると、己の腕を絡めた。実に幸せそうな様子である。
「クレアさんや、もーちょっとよく考えた方がいいんじゃねーか? 女の一生は大事にしないといけないぞ」
 クリフも一応、説得などしてみるのだが。
「まあ、私のことを心配してくださるのですね。クリフ様は紳士でいらっしゃるわ」
 ぽん、と手を合わせ、クレアはうっとりとする。 彼女の中では色々な妄想――未来像が凄まじい勢いで出来上がっていっているようだ。
「クリフ様」
「お、おう」
 クレアは腕を伸ばし、クリフの首に両手を回す。
「私の心を奪った責任、とってくださいましね」
 そのままクリフを引き寄せると、頬を赤らめはにかんだように微笑む。 そして、ゆっくりと唇を重ねていった。


− Fin −


※この小説はBMWさんに差し上げた物に、加筆修正をしている作品です。

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