久遠に紡がれるメモリー

 私が起動しためざめた時、 私の造り主である人たちは「この子を頼むよ」と仰いました。 その命令は私が造物主から受けた最初で最後のものでした。
 造り主たちがその生命活動を終えた――というのではありません。 彼らは私が彼ら自身のために在ることよりも、愛息子のために在ることを望まれたのです。
 彼らから貰ったものが二つあります。
 一つは私が誠意をもって仕えるべき対象。
 もう一つは私の名前。ヘルガMD型――それが私の名前です。


*  *  *  *  *


 じわり、じわりと生暖かい液体が染み出してくるのが判る。 応急処置として巻いた白布は何の役にも立っていないようだった。
 はぁ、はぁ……と荒い息遣い。
 かしゃん、かしゃん……金属質の音。
 異なる音を響かせて山路を歩く、異なる姿をした二人。 互いを支えあうようにしている彼らは今、危機に瀕していた……。

「何だってこんな目に遭うかなぁ。水の国に暮らす人たちは慈善の精神に溢れているんじゃなかったっけ?」
 荒い息遣いの方――腰まである長い髪をした少年は毒づいた。 彼が聞き及んでいる話では、この辺りの人たちはアペリス教を信仰しており、その教義にともなった慈善活動に熱心であるとか。
 それなのに現在の自分は何だというのだ。 石を投げられ、刃物で刺され、挙句に現在も山狩りを受けている最中。
「ま……仕方ないよね。僕がやったんじゃないけど、この国の人にしてみれば誰でも一緒なんだろうし。 王都、あ、旧王都だっけ? ……サーフェリオの都をはじめ、先代のヴァレリア候に随分と荒らされたみたいだし」
 でも僕のせいじゃないぞ、と彼は口の中で繰り返した。
 彼がそう文句たらたらになるのももっともで、彼はその頃はほんの子どもだったのだから、国政になど関与できるはずがない。 そんな自分に責任を取れと言われても困る――そう考えてしまうのだった。
 もちろん被害にあった人たちには同情する。 しかし実際に援助が行われているのに自分に石を投げなくっても……。
「好奇心だけで故郷を出奔するモンじゃなかったかなぁ」
 傷のせいだろうか? どうにも先ほどから愚痴っぽくなって仕方が無い。
 愚痴をこぼしたところで現状が改善されるのではないのはよく解っている。 だがダメなのだ。何かを考えていないとそのまま気が遠くなってしまいそうだった。
 そんな彼をしゃっきりさせるためだろうか? ふと顔に水滴が触れた。
 最初は一つの小さな点。だけどそれはあっという間に数を増し、本格に雨が降り出してきた。
「むぅぅ、この期におよんで雨まで降るとはッ。とことん僕ってツイてない?」
 雨に打たれて急速に身体が冷えていくのが感じられた。 ただ傷を受けている場所だけが熱い……。
「あ……」
 濡れた岩場に足をとられた。 普段なら楽に体勢を立て直せたはずなのに、今日はどうしても身体が言うことをきいてくれない。
「……っと、ありがとうダンケ
 彼の身体がべちゃりと地面に崩れ落ちる直前、横から伸びた硬質の腕が彼を支えたのだ。
「ロース様をお守りするのは私の使命でございます、お気になさいませぬよう」
 こちらも満身創痍――反対側の腕はすでに失われている――だが、声だけは冷静さを崩さずに答えた。
 ちなみに、ロースという少年の名前に対し、“彼女”の名はヘルガという。
 ヘルガは人ではない存在である。その正体はロースの両親が造り、彼に与えたドールであった。 しかし、各種改造が施されているものの基本的には戦闘用でなく、家事全般が主たる仕事である。 そのため自身も主人インハーバァも十分に守ることができなかったのである。
 かくして主人と共に山中を彷徨うハメになっていた。
「ヘルガぁ〜、僕もうだめだよぅ」
「あと、少しでございます。この雨で視界は悪うございますが、私の目は洞窟を捉えておりますゆえ。 そちらまで行かれて休みましょう」
 ヘルガは片腕を器用に使ってロースを立たせると、自分の肩に寄りかかるようにさせ少しでも安楽に歩けるようにした。
「さ、参りましょう……」
 重たい灰色の空からは、彼らの主従愛をあざ笑うかのような勢いで雨がザァザァと降っていた。

「あー、やっと一休み〜」
 彼らが先ほどいた場所から洞窟まで距離は大してなかった。 が、二人とも手負いの身であるために、思った以上に時間がかかってしまっていた。 その間、雨はやむどころか強くなる一方である。
 ロースは好奇心からシーフォートへやってきて、たまたま立ち寄った村で手酷い歓迎を受けた。  来客など珍しいといった様子の村人は宿を請うと、村はずれの空き家を貸してくれた。 その好意に感謝しつつ、ロースは休みヘルガは主人の世話を焼いていた。 するとどうだろう、突如として小屋が燃え上がった。 慌てて飛び出すと、子どもから石を投げられるわ、刃物で切りつけられるわの大騒ぎだった。
 ほうほうの態で村の後ろにあった山中に逃げ出してきたのである。 あの時に聞こえた村人たちの怨嗟の声がまだ耳に残っているきがした……。
 ――くしゅん、と小さなクシャミが洞窟内に響いた。
「寒い……けど、うっかり火をおこすワケにはいかないよねぇ」
 火をつければ煙がたち上る。雨のせいで追跡がやんだかもしれないが、確信が無い以上、試してみる気にはなれない。
「ヘルガはいいなぁ……寒くないんだもの」
 ロースの言葉にヘルガは済まなさそうな顔になる。 ドールである彼女は、主人ほどに気温の影響は受けないし、痛みというものも人のそれとは違っている。
 もちろんロースとてヘルガを責めているのではない。 単なる愚痴に過ぎず、そんな態度をとれる相手は彼女しかいない――ということなのだ。 曲がりなりにも小さい頃からの付き合いである。仲良しで、大切な存在だ。
「僕、少し寝てる」
 彼はそう言うやいなや、背中の傷にさわらないように横向きになるとあっという間に寝息を立てていた。

 困ったものだ――とヘルガは思う。
 もちろんロースに困らされているのではない。 自分たちの置かれた現状が、である。
 彼女の主人は同族の中でも自分たちドールの扱いに秀でた種である。 その彼は背中に攻撃を受けている。これは最悪の傷を受けたと言っていい状況なのだ……。
 鉱物の身体的特徴を持つことで知られているアンフロックであるが、その中身は多様でありいくつもの種が存在する。 鉱物質の角を持つホーン種、髪を硬化させられるファー種、その姿は変幻自在といわれ王族でもあるファンタズマ種……など。 その中でロースは鉱物質の鱗を持つスケイル種であった。
 スケイル種の鱗は背中の一部分に生えており、その中に一つ“逆鱗”と呼ばれているものがある。 他の鱗より一回り大きく美しいそれは、スケイル種の力の源であり弱点でもある場所だった。 ここを強く叩かれただけでもかなりの痛みをもたらすらしい――もっとも、叩かれただけならばすぐに痛みは治まるのだが……。  村から追い出された時に村人が放った投げナイフが、運の悪いことに逆鱗に命中してしまったのである。 逆鱗は鱗である以上、即死は防いでくれた。 だが、そこに亀裂ができてしまった。そして厄介なことにその傷からの出血は一向に止まる気配がない。
 先ほどから軽口を叩いてはいるが、顔色は青ざめるばかりで体力がどんどん奪われているのがはっきりと感じられた。
(このままでは――死んでしまう)
 人でない自分には心核などないはずなのに、不思議と胸の辺りに違和感を感じてしまう。 「痛い」という言葉が一番適切な気がする。 大切な大切なロースが危機に瀕しているというのに、何もできない自分が歯がゆくて仕方がなかった。 せめて両腕があれば抱きかかえて移動し、距離をかせぐことだってできたのに……。
 数少ない無事な荷物を調べ、予備の服を寝ているロースに掛けた。 これで少しでも苦痛を和らげてあげられれば良いのだが……。
(危ないかもしれない、でも火をつけましょう。暖めなければ……)
 幸いなことに洞窟の奥まった部分に埃をかぶった木の枝がある。 よく乾燥しているし、中にはひと抱え程もある大きなものもあった。これだけ量があれば一晩はもつだろう。
 いくつかをロースがいる近くに持ってきて、細かく裂いた。 着火具にちょうど良いものがなかったので、自分の身体パーツを使って少量の電気を流した。 すると、乾いている木はそれだけで火がついてくれた。
 しばらく様子を見守りながら火の調子を整えていると、 最初は弱々しかった火が大きくなり、焚き火をするのにちょうど良い大きさとなった。 熱分布を見てみると徐々にだがロースの身体が温まっているようだ。
(道具さえあれば私でも応急処置以上のことができるのですが……)
 無い以上はどうしようもない。薬も無いから痛みを抑えることさえもできない。
(何て無力なのだろう。シーフォート人には機械人形と恐れられ、一方的に襲われたというのに……)
 自分がバトルタイプのドールであればあの場で村人を制圧できたのかもしれない――そんなことまで考えてしまいそうだ。 もちろんそんなことをすれば、二国間の関係を少しでも改善しようとしている国王ケーニヒ のご意思に背くことなる。 それはドールである自分の主人を裏切ることにも繋がる。 だから武力の行使など考えてはいけないのだけれど……。

 あれから目を覚ましたロースは、山中を彷徨っている時にヘルガが拾っておいた果物を食べている最中である。 相変わらず顔には生気がないが、それでも好物の果物を口にして少しは気分が良さそうであった。
 外ではほとんど止みかけているもののまだ雨が降り続いている。 雨のおかげでここから別の場所へ移ることができないが、それは追手にとっても同じことなのだろう。 シトシトと雨音が聞こえる以外はとても静かな時間が流れている。
 今はこちらの時間で夜明け直前といった頃合で、天気の好転と日の出を迎えればまた追跡を受けるかもしれない。 こちらが手負いの身であり、不慣れな土地であるから野垂れ死にしているに違いないと彼らが判断してくれれば良いのだが―― とヘルガは考えた。しかしロースの状態を考慮すると楽観はできない。
 彼女は自分の身体も直せればとも思うのだが、設備も資材もない状況では不可能と判断してよいだろう。 幸いなことに腕の一本を失ったくらいでは思考や感覚といった重要な機能に問題はなかったが、どうしたって不便なのである。 バランサーに補正をかけたものの、足場の悪い山道というのはどうにも良くない場所だった。
(それとも私自身が気づいていない領域でトラブルが起きているのでしょうか……)
 それは彼女にとって重要な問題だった。発見できていない以上、対策のとりようがないからだ。
「少し、様子を見て参ります」
 ロースにそう告げると、彼女は洞窟の入り口を目指して歩き始めた。 奥行きはかなりある洞窟のようだが、ヘルガと彼女の主人が逃げ込んだ辺りは入り口から大して離れていない場所だったので、 すぐに外の景色が見えてくる。 雄大なる山々の稜線が金色の線で縁取られたかと思うと、彼女の顔をまぶしい光が照らし出した。
 それは日の出だった。
 霧雨がかかってできた水滴が光を反射し、辺り一面にダイヤモンドをまぶしたかのような燦然たる輝きが満ちる。 光に包まれた彼女は一人思う。
(――ああ、こんなにも世界は美しい。そこで暮らす人々の確執など最初から存在しないかのよう……)
 彼女が朝日の美しさに見とれている間にも、太陽は少しずつ大きくなり、空は青みを帯びていく。
(こんなことをしていう場合ではありませんわね)
 自らの失態に微苦笑すると、彼女は付近の様子を探るために一歩を踏み出し――とっさに身体を反らした。
 ヒュン――と風を切る音をたてながら一本の矢が彼女の脇をすり抜けていった。 彼女の反応が少しでも遅ければ、矢は彼女のもっとも弱い部分である眼を刺し貫いていただろう。 狙いが外れた矢はそのまま洞窟の奥に吸い込まれ、内壁のどこかに当たったのだろう、カツンと何かが弾かれるような音がした。
「グリーテンの虐殺者め!」
 罵り声をあげながら、岩陰からばらばらと数十名ほどのシーフォート人が現れた。 彼らの外套がたっぷりと水気を含んでいる様子から判断すると、雨と闇に屈することなく一晩中山を徘徊していたようだ。
「お前たちのせいで大勢の人間が死んだんだ、その償いをしてもらうぞ!」
「そうだそうだ。グリーテンのバケモノめ」
 ギリリッと弦を引き絞る音がする。
 ヘルガに向けられた弓の数は全部で八つ。彼女は正確に矢の軌道を計算し、全てをかわしきるのは難しいだろうと結論づけた。 矢が放たれるタイミングがバラバラであれば回避も不可能ではないのだろうが、おそらく一人が撃てば残りも一斉に矢を放つだろう。
 そもそもこれだけの人数の接近を感知できなかったのだ。 自分の感覚系統は損傷を受けていると断定した方が良い。 回避するために、自分が想定した通りに正確に身体を動かすことはできないはずだ。
 彼女は考える。矢を受けても問題がない部分を犠牲にすれば、彼らがニ射目を放つ前に洞窟へ戻れる。 しかしそこには――。
「ヘルガ、戻って」
「――!」
 弱々しいながらもはっきりと聞こえたロースの声。 それと共にヘルガの頭上を通過していく銀色の小さな円筒が一つ。
(あれは……)
 ヘルガは飛行する物体の正体に気が付くと直ちに視覚センサーの設定を変更した。
 瞬間、強い白光が辺りを包む。シーフォート人たちは弓を投げ出して、顔を覆うのがやっとのようだ。 ロースお手製の閃光弾は爆風自体は大したことないのだが、強い光で相手を一時的に盲目状態にさせる。 こういったものに縁が無いシーフォート人であれば精神的に動揺させる効果も大きいだろう。
 視覚を調整したおかげで被害を受けなかったヘルガは洞窟へと退避しようと地面を蹴る。 洞窟の奥がどうなっているか判らないが、奥へ奥へと逃げていくしかないだろう――と考えた。 シーフォート人たちが閃光弾の影響を受けている時間もたかが知れているし、素早く行動しなければならない。
「逃がさないよ、息子の仇っ!」
 シーフォート人たちの一人がこちらに向かって駆けてくる。 走りながらその中年女性は何やら複雑な印を結んだ。
「スピキュゥゥゥル……ッ!」
 女性の怒りに施力が反応したのだろうか、それとも神のきまぐれが起きたのだろうか?  平時の彼女であれば不可能であるほどの大きな炎が生まれた。
「神よ――――あぁっ!」
 女が落胆の声をあげる。
 格別の威力を得たことの弊害なのだろう、狙いが思うように定まらないのだ。 彼女の身に余る力は操り手の制御下を離れ、洞窟が入り口を開けている斜面に激突した。
 どぉぉぉぉんと派手な音が静かな山並みに響いた。
 普通であればその異常事態に反応した野生生物のざわめきが辺りから聞こえるのだろう。 しかしこの時は聞こえなかった。 いや、正確にいうとそこにいた人間たちは別のことに気をとられてしまったので、動物たちの悲鳴は耳を素通りしてしまったのだ。
 それほどまでに彼らを釘付けにしてしまった出来事は何なのか? それは巨大な炎が激突した斜面を見ればすぐに判る。 小さな振動とひび割れが発生し、それが徐々に大きくなり、上方からは石や岩が転がってきたのだ。
 平たく言えば山津波の発生。
 一晩降り続いた雨のおかげでたっぷりと水が含まれていたのも悪かったのかもしれない。 強い衝撃は斜面に強く浸透していったのだ。
 もうもうと立ちこめる土煙の影響でグリーテン人たちの姿は見えないが、ガラガラと崩れる斜面は洞窟にも影響を与えているだろう。 憎い仇が生き埋めになった姿を想像し、女は笑った。これで彼女の願は果たされたのだ。
「おい、逃げるぞ」
 彼女の仲間がぐいと袖をつかんだ。
 くるりと振り向いた彼女の顔に浮かぶ狂気じみた笑みに彼がぞっとした。 が、両者のその表情は長く続きはしなかった。
「うわぁ、もうダメだ」
「そんな! せっか……」
 どどどどどと流れてきた大量の土砂が彼ら全員を押し流したのだ――。

 ほんのわずかな光。大量の瓦礫の隙間から射す太陽光だ。
 身体が重い――ヘルガはそう感じた。
 手足を動かそうとして……動けなかった。最初は瓦礫に押しつぶされてなのかと考えた。 しかしそうでないことに彼女はすぐに気が付く。手足が完全に無くなっていたのだ。
 あの崖崩れが起きた時、洞窟の入り口付近も落盤を起こした。 弱っているためにまともに歩けないロースを片手で抱き、少しでも奥の方へと身を投げ出したのを憶えている。 ロースに岩の破片が当たらないようにと、ただただそれだけを考えていた。 そしてそこから先の記憶がない。
(私は……一体どうなって……ロースは?)
 本格的に感覚系統がダメになってしまったらしい。 わずかな光があれば不自由しないはずの視覚センサーだが、洞窟の暗さを差し引いても見えなくなってきているようだ。 付近の様子を探ろうにも乱れた映像ではそれも満足に行えない。
「ヘルガ……」
 彼女の頬に触れるやわらかい手。 細かく震えながら伸ばされたその手は、慎重な手つきでヘルガの頬を優しく撫でていく。
 声が聞こえた方に視線をあて、ヘルガはかろうじて彼女の愛すべき主人の姿を捉える。 小石か何かで切ったのだろう、少しばかり切り傷があるが大きな怪我を新たにしているという様子はなさそうだった。
「よカった、無事デ」
 発声機能が壊れてしまったらしい、音声をまともに発することができない。 さらに急速に全身から力が抜けていくのが感じられる。 パチパチとわずかに音がするから、破損部分からエネルギーが流失しているのだろう。
「どうして……どうして僕なんか助けるのさ……。僕は、僕はぁっ!」
 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらロースは訴える。 彼だって馬鹿ではない。自分の身体が死に向かって一直線であることぐらい、とっくに悟っていた。 だからこそ助かる可能性が高いヘルガに無事でいてもらいたかった。それなのに――。
「ヘルガは馬鹿だよう。僕なんか助けることないのに……だから、僕はヘルガにちょっと意地悪をすることにするよ」
 ロースはくすりと笑って、それからとても真面目な顔になる。
「いいかい、ヘルガ。よく聴いて……僕の身体はもうダメだ……うん、励ましてくれる気持ちはよく解るよ。 でもね、自分の身体のことは自分が一番知っている、君だってそうだろう?  逆鱗をやられたら僕たちはお終いだ、こればっかりはどうしようもない……」
 そこまで言ってロースは言葉を切る。血の気が引いた顔は青白く、弱い呼吸は今にも止まってしまいそうだ。
「なニヲ……」
「このままだと二人して死んじゃう。 でもね、今のうちに君を機能停止させればねむらせれば、 君のメモリーたましいはなくならない。 だから……今はお休み。きっと、いつか誰かが目覚めさせてくれるから……」
「いけナい、私ハ――――」
 乱れた視覚映像に苦しげなロースの顔がいっぱいに映る。 彼はそのまま手をこちらに伸ばし――

*  *  *  *  *


 唐突に光が射した。
 私の視界にはシーフォート人が一人、マーチラビット族が一人、それから識別不可能なものが一人いた。 彼らが私を目覚めさせたのだろうか?
 目覚め――その言葉が私の思考を急速に明瞭なものとさせる。 私の時感感覚が狂っていなければ、現在はあれから294年が経過した時間。
 ――あれから? “あれ”とは一体いつのことなのだろう? 思い出せない。
 場所は――どこかの研究室だろうか? しかし研究室というには少々設備がお粗末な様子だ。 星空でも見ることができれば現在地を割り出すことができるのだが……生憎と窓からは太陽光が降り注いでいた。 だが、私を取り囲んでいる人たちが話している言葉はシーフォート語だから、おそらくはその領内なのだろう。
 金髪のシーフォート人がマーチラビットに話しかけた。
「随分とイザークとは違った外見よね、製作者の趣味かしら?」
「そういうのが流行はやりだったんじゃないの? 一部マニアの間でさ」
「メイドマニアねぇ……ホント、いい趣味してるわ」
 何やら彼女たちは私の設計――特に外見――がお気に召さない様子だ。
 やたらと不躾な人々だと感じたが、今はとにかく現状把握がしたかった。私は意を決してシーフォート語で話しかける。
「あなた方は――」
「あら、気が付いたのね。しかも結構良い声してるじゃない……っと、自己紹介だったわね。私はメリル」
「僕はバニラだよ。それから奥に居るのが……」
 そういってマーチラビット――バニラが振り向いた方向には蒼い髪の人間がいる。 便宜上、人間と称したがシーフォート人とは何かが違う。
「僕はフェイト、フェイト・ラインゴ――あれ、君どうしたんだいっ?」
 “フェイト”――それはシーフォート語で“運命”を意味する言葉。 その言葉が私の思考を激しく揺さぶったのだ。表情がそれに連動して激しく歪む。 人間でなら泣いている表情に相当したかもしれない。
 運命――それには随分と翻弄させられた気がする。けれどもとても愛しくて、とても懐かしい言葉だったように思う。
「やだ、リーダーったら女の子を泣かせてるわよ」
「ホント、困ったモンだね」
 困った表情でおろおろするばかりのフェイトを差し置いて、メリルという少女とバニラは楽しそうにクスクスと笑っている。
「あの……僕、何か悪いこと言っちゃったかな?」
 とても心配そうな表情でこちらを覗き込むフェイトの顔に、何か別の顔が重なり――私は思い出しました、 運命という言葉が持つ重要性を、です。
「いいえ、違います。私にとって貴方の名前がとても懐かしく、大切なものと同じだったからです……」
「……え?」
 よく解らないといった感じのフェイトの顔です。それを見ていたら不思議と可笑しい気持ちになりました。
「貴方が私を目覚めさせてくれたのですね? ならば私は貴方を主人として誠心誠意お仕えいたします」
 私の口からはごく自然に宣誓の言葉が紡がれました。 とたんに他の二名から抗議の声があがりましたが、それはひとまず知らぬフリをしようと決めました。 ドールは主人の命に絶対服従――そんな禁則事項は最初から私の中に存在していないのですから。

 人ならぬ身の私にはよく解らない概念ですが、こればかりは神に感謝したいと思いました。
 長い眠りの中、ほとんどの記憶メモリー消えてロストしてしまいましたが、 この言葉だけは忘れていなかったのです。
 私の大切な人の名はロース、グリーテンの古語で“運命”という意味の言葉――。


−Fin−



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