I wanna bite… I wanna suck…

執筆者:pvoさん

 聖王国と呼ばれし宗教国家シーハーツ。その北辺に位置する都市でもある首都シランド。 湖に囲まれたこの都市はイリスの野と道を結ぶための大きな橋を持つ。
 この都市が作られるときから象徴の一つであったその橋は、 強固なる強さを思わせる男性的な作りと女性的なアーチを描く部分を兼ね備えており、傍からそれを眺めるのも風雅なのだが、 その橋自体から美しい湖とシランドの町並みやそびえる城を望んで渡り行くのもまた趣があって、人々に愛される所以となっている。
 聖なる都へ繋がるそれが雲の裂け間からこぼれる光に、そのたたずまいが似ていることからか、 光の架け橋といつの間にか呼ばれるようになったその橋――ムーンリット橋であるが、 まだ日も出て間もない今の時間は、人の姿もまばらで日課の早朝の散歩をしている人影くらいしか見えない。
 そこに、珍しい姿があった。 身にまとうものから貴人だと推測されるその女性は、静かに昇る日を反射する水面をただただ見ている。 水に映る自分の顔を見るように。何やら憂いを感じさせるその女性が、 この国を統べる女王にして、アペリスの聖女であることに気づくものはそこには居なかった。


 終わったのだ――
 そんな感慨を、現女王シーハート27世――いや、ロメリア=ジン=エミュリールは抱いた。 ここ一連の、所謂外から来たもの達がもたらした被害のことや、 「創造主」なるものによる「卑汚ひおの風」のこともだが、何より。
 ――アーリグリフとの戦争が、である。 ほんの少し、それこそ一月も経たぬ前、この国シーハーツと隣国アーリグリフは戦争状態にあった。 国境に程近い街は大きな打撃を受け、この国に仕えるものたちも多く命を落とした。
「ひとつには、それは私の所為せい……」
 自らの心をほんの少し痛めるように、彼女は自嘲した。水面に映る表情は変わることはなかったけれど。
 何故止められなかったのか、と思う時もあった。 そんな時は必ずその一方で、そんなことを思う自分自身のりを恐ろしく感じていた。 少しづつではあったけれども、アーリグリフの民はシーハーツへの恨みを底に溜めていっていた。 富むものと富まぬもの。それはそれぞれの国自体が内に抱えるものでもあれば、外に持つものでもあった。 アルゼイのことは所詮きっかけに過ぎない。 とっくに種は蒔かれていた。今更止めようと思うのが向こうにしてみれば都合のいい勝手なことなのだったろう。


 永く生きてこの地位に座った母は気づいていなかったからえて何もしないのだと昔は思っていた。 だけれども違ったのだろう。気づいていようがいまいが、所詮出来ることなどないと思っていたのだ。 だからこそ静かに加速させるような真似を結果的にしてしまった。
 諦めが早すぎると母を責めることなど私にはする資格がある筈も無かった。私とて所詮は同じだったのだから。
 王たるものになろうとする人物を、羨ましく思ったこともあった。 自分は到底そんな気概を持つことはできはしなかったから。 それでも、そんな人を見て、せいぜい自分の出来ることくらいはしようとは思った。
 改めて、女王を演じてみせようと。
 多くの人が救えればそれに越したことは無いと思っていた。 だけれども、ネーベル達が思うように勝とうとは思うことは無かった。真に勝つには時期を逸しすぎていた。 だから、せめて被害を少なくするような選択を自分では続けてきた積りだった。それに従わぬものも当然いたけれども。
 その選択自体が誤りであったかどうかは、きっと私自身では判断のつかぬことなのだと思う。 無責任に思われるだろうけれども、では逆に一度選んだ選択を誤りだとか正しいとか評価してしまうことが、 責任をとることになるのかと言えば、決してそうではないだろうし。 だから、私たちは次を常に見つめなければならないということになるのだろうか。 ただ、評価とかそんなことではなくて、一つだけ間違いなかったことはある。 この戦はどう転ぼうがお互いの自身の命脈を潰すだけのものに過ぎないことを。
 ありていにいえば、負けているのは双方ともであったことは。


 水面に映る自分の顔が少しゆがんで見える。 一見したところ静かな湖なのだけれども、聖珠セフィラから溢るる水により成るそれは、微妙な波を常に含んでいる。
 結果だけを見ると、この国もアーリグリフも救われた。でも、それは自分達の力によるものではない。
 「外」からの力によって、シーフォートの血を受け継ぐといわれる二国はその命脈を大きく損なわずに済んだのだった。 偶然に過ぎない筈の出来事――彼らに言わせると事故――が、 結果的に重なることで全てのことが上手く行き過ぎてしまったともいえる。 当然、それに伴う犠牲は出たのだけれども永い苦しみからそれをもってこの国の人々は救われ始めてしまった。 ――神に守られている。振り返ればそう思うしかない出来事だった。
 私は結局何もすることが出来なかったのだろう。 そう思うと感じる資格の無い無力感に襲われて、いたたまれなくなる。 分かっている。本当の私のやるべきことはこれからのことなのだろうと。 神に頼り過ぎることなく、人々自身が道をひらくために。神に依ることが悪いわけではない。 だけれども、所詮神は内にしかいないのだ。外に求めると他人を傷つけ、自らを堕落せしめる結果となる。 だから、ほんの少しだけ私は民の背中を押してやらねばならないのだろう。 大きすぎれば傷つけすぎ、小さすぎれば悪意に流される。
 そんなことばかりを考えていると、鬱々としたものが喉の底から込み上げてくる。 らしくないとは思う。これはきっと私ではないと考えたい。 でも、私人としての私も、公人としての私も所詮は私というくくりの中に含まれるものに過ぎない。
 あるべきものを受け止める。その王に最も必要な資質が半ば欠けていた。 それを自覚したからこそ、私はこれから初めて女王としての道を歩むことになるのだろうか。
 水面に向かって、小石を投げてみる。水が王冠を成し、その周りに作られた像がゆらめいていく。 湖は街を映す水鏡となっており、従ってゆらめいて見えるのはこの街の姿だった。 それが堅牢に見えるこの街が不安定さを抱え込んでいるように見せる。いや、不安定なのは私も、なのか。それとも――


 ――もう帰ろうか。
気晴らしに微行して城下に下りてきたというのに、この湖を眺めていたら余計に沈鬱なものに襲われてしまった。 日の高さも大分上がり、水面の反射もきらきらとしたものが多くなっている。
 振り返ると、この橋の人通りも多くなっている。 皆日がなの生活を謳歌おうかし、愉しんでいるものが多いように見える。 被害の少なかったことといえども、戦中の人々の姿はどこか暗かったけれども、 その全体としての影はいまや取り払われつつあるように見える。それは一つの救いとなった。
 私に功があるわけでもなく、また、顔も合わせたことが無いような人々でも、幸せであって欲しいとは思う。 それが女王というものなのだろうか。
 それにしても、変装すらしているわけでもなく、簡素な微服にしているだけであるのに、 意外に誰も気づかないのは愉快といえば愉快だった。 思わず笑みがこぼれる。まあ、気づくと思っては居ないから来たのだけれど。 そんな風に考える自分のことが愉快なのか、と思い直してみる。ムーンリットの架け橋を、北へ昇って帰っていく。
 そういえば、クレア達はどうしているのだろうか。 「外の世界」から来たもの達の中にも、ここに留まる事を望んだ者もいる。
 ――少し驚かせてやろうか。そんなことを思う。 偶にはこの碌でもない私に付き合うのも、臣下や友としての勤めなのではないのだろうか。 ほんの少し足取りが軽くなるような気がする。
 行こう、そう思った矢先、門をくぐるところで、ふと湖に引き寄せられる感覚におちいった。 覗き込んでも、その水鏡に映る姿に変化は無い。 いや、少しだけ明るくなったのか。それが太陽の光によるものか どうかは分からなかったけれど。
 ふと思う。ここに住まう人々はこのシランドの湖をどう思っているのだろうか。大地と人々に大いなる恵みを与える水。 成るほど、それは確かにそうなのだ。聖珠から流れ出るその水は、大地を腐らせることもなく、豊穣の地をさらに栄えさせている。 だけれども、この水は同時に一つの畏怖いふすべき対象でもある筈なのだ。 なぜならば、この水はかつての聖都、そう、古代シーフォートの首都サーフェリオを壊滅させた水でもあるのだから。 グリーテンを追い払う為とは伝わっているが、結局サーフェリオを潰したのはこの水なのだ。 今も南の湖の水底にある、かつての都を沈めた至宝を、 その国の後裔こうえいである筈の私たちが崇め奉っている。 それはどこか皮肉であった。ならば、都を作ったシルヴィアは何を思ってこうしたのか、そんなことが頭をよぎった。 今となっては、それは想像することしか出来ないのだけれども。
 ロメリア=ジン=エミュリールは、過去に思いを馳せるその心を一度振り切って、またシランドの町並みへと 戻っていった。また少しだけ水面は揺れた。


*  *  *  *  *



「クレスティア、どうしたのだ?」

 クレスティアと呼ばれた女は声の方を振り返る。そこには彼女の兄の姿があった。女は水面を覗いていた。 施力の光でぼうっと辺りは照らされている。 完成したばかりの、この街の入り口の橋で彼女はふと物思いに沈んでいたのだった。
「兄様ですか――いえ、とりわけ何かあるわけでもないのですけれどね」
「なんとなく、か?」
「ええ、いけませんか?」
「いや…私にもそういう時はあるからな」
 兄は妹と肩を並べる。 こうしてみると、二人とも倦み疲れたような、その一方で何か成し遂げたような微妙な面持ちをしている。 大柄な兄に比べ、女性であることを差し引いても幾分か小柄である妹だが、なんとなく二人には似ているような雰囲気がある。 容貌でなくて、身に纏う空気が。
「ようやく一区切りついたな…」
「そうですね。あわせる顔がちょっとはこれでついたかも知れません」
 望む望まぬに関わらず、多くのものが冥府への道に旅立っていった。自分達は、あまりにも多くの人々に血を流させすぎた。 その自覚が二人にはある。だからこそ、途中で引き返すことが出来なかった。
 首都のシランドへの遷都も、その内のひとつであった。 達成されなければならなかった、人々の願いの一つ。血を流した多くの――
「…クレスティア、聞いても良いか?」
「何を、ですか?」
 兄ロナルドがいつものような神妙な面持ちでそう問うて来る。 この人の顔はいつだってこんな風だから、徹底とした堅物だと思われやすかったりする。 結構冗談も好むのだが、こんな声色の時はそういう風ではなかった。 妹として兄の傍に長いこといたからこそわかるのだけれど。
「何故――鎮守を移したのだ」
「ああ――」
 かつてシーフォートの、そして更に前の王国の至宝とされていたセフィラは、改めて場所を変えて祀ることにした。 兄は以前もこの問いを発した。あるべき場所――モーゼルに封印すべきだというのが彼の考えだった。
 クレスティアは敢えて逆を取り、場所を変えて祓いをし、さらにそれの成す聖なる水流を、 かってのサーフェリオと同じように、この新たなる首都に囲わせたのだ。
「この水は――首都を一度殺した水だ」
「ええ、そうですね。だからこそ、なのです」
「…自らの罪を、忘れぬ為に、か? 欺瞞だな」
 不機嫌そうにそういう兄を穏やかに眺める。クレスティアとロナルドは、ほんの少し別の方向を向いている。 平行線ではないから、穏やかに重なっているのだけれど。
「ええ、それもありますけれども――」
 兄のほうも、何となく妹の言いたいことを察する。不器用ではあるが、同時に鋭くもある。口の端を歪めて、
「ひいてはこの国の、か」
「ええ――」
 寂寥せきりょうに彩られる妹の瞳を覗き込みながら、兄は慰めるようにする。
「……所詮我らの命など短い。だから、なのか」
「そして、この都市の意味づけのためでもあるのです」
「……だが、発するものと受け取るものは多くの場合合致しないのだ」
「それはそれで良いのです。そんなことを言っても始まりますまい」
「そうだ、な……」
 月が雲から現れて、施力以外の光かぼうっと辺りを覆う感覚を感じた。 光がくっきりとした陰影を水面に映す。
「でも確かに、気にはなりますね」
「何がだ?」
「私達の後裔が、この街に、あるいはこの国に何を見出し、何を思い、何を育んでいくのかは」
「……そんなものなのか?」
「ええ……私も少しだけ不思議です」
「……そうか」
 クレスティアは水面に映る半分だけの月を見る。薄雲がかったそれは、この国をいつまで照らし続けてくれるのだろうか。 「……そろそろ帰りましょうか。兄様も明日にはペターニへ戻られるのでしょう」
「ああ。そうだな……」
 クレスティアがすっと手を差し出すと、ロナルドはやや怪訝な顔をした。クレスティアはその様子を見すまして言う。
「月夜くらいは、妹を引っ張っていくのも兄様のつとめではありませんか?」
 ロナルドはそれを聞くと苦笑して、
「そうだな」
 と手を取って道を上っていく。 細い妹の腕は更に細くなっているような感覚がしたけれども、体温はとても温かかった。 指をしっかりと絡めていく。 ロナルドはあえて後を見ずに、夜空の煌く星々と月を眺めた。
「なぜだか、懐かしいな……」
「ええ」
 月の光を反射するシランドの水面は、幼い頃の二人を映しこんでいた。 それが果たして祝福なのかは、果たして彼らは知る術は無かった。

 だけれども、その水はそこに映す姿をその後裔のものに変えてゆき、そして、それは今もある。


− Fin −




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