物事は全て妥当なところに収束する。それは全てに当てはまり、例外が発生することは殆ど無い。
もしその例外があるならば、それは決して良い方向へとは行かない。何故なら妥当なところではないからだ。 遠からず、後悔することになるだろう。
「主神アペリスの御名に於いて命ずる……」
 荘厳な場所で、荘厳な声が響く。 多数の人間が居るというのに静まり返り、目を閉じればその空間には自分以外の人物は居ないのではないかと錯覚してしまう。
 その中で唯一発声しているのは、凡そこの国で最も地位の高い、そして誰からも好かれ敬われ、御使いとまで言われている人物だ。
 その人物は相変わらずの服装を着ている。相変わらずというのは頭から被るローブで所々の装飾がその女性の品格を引き立てる。
 そうだ。この国の最も地位の高いところに居る者は女性、つまり女王だ。 そして未だかつてこの国のトップには女性以外の者が居座ったことは無い。
 彼女の手には長剣が握られている。刀身は光り輝く銀色。柄は金色。 シンプルなデザインであるがしかしそれ故に素材そのものの美しさが引き立っている。
 自分の目の前で跪いている二人を見る。跪いていると言っても左足を立てて右足を地面に接着し、 左手を立てた膝に置き右手は拳を作って地面に置いている、そんな形だ。勿論頭は下げられている。
 女王はまず片側、彼女から見て左手に居る女性――長い銀髪と黒い服装が特徴的だ――をまず見た。
 跪いている女性の肩に握っている剣の刀身を当てる。 決して切り裂こうというわけではない。肩の部分に乗せている、そんな感じだ。その状態で彼女は述べた。
「クレア・ラーズバード。そなたを光牙師団“光”の軍団長に任命する」
 女王が言い終わると、跪いたままクレアと呼ばれた人物は表情だけ上げて女王と目線を合わせる。
「アペリス神に忠誠を誓い、光牙師団師団長を拝命致します」
 そういうとクレアは再び頭を下げる。相変わらず跪いたままだ。
 次に女王はその隣に居る女性――真っ赤なショートの髪と同じく黒の装束が印象的である――のところへ歩みより、 同じく肩に刀身を当てた。
「ネル・ゼルファー。そなたを封魔師団“闇”の軍団長に任命する」
「アペリス神に忠誠を誓い、封魔師団師団長を拝命致します」
 二人の声は対象的だ。クレアは優しさと愛情を感じられる音程。逆にネルは力強さと非情が感じられる音程。 勿論、それは声に関するものだけであり、本質的な性格は二人ともさほど変わらない。
 二人とも、ほぼ同じような言葉を述べた後、同時に頭を上げてそして立ち上がる。 女王の前で彼女等は胸に拳を当て声を揃えて言う。
「「クリムゾンブレイドとして、女王陛下及びシーハーツ王国に絶対忠誠を誓いその任を全うすることを誓います」」

 これが、新たなクリムゾンブレイド誕生の時である。



Red First Assignment



「毎度のことだけど肩が凝るね。ああいった場面では」
 部屋に入るや否やベッドにダイヴインするのはネルである。 腰に下げた短刀も装束に皺が寄ることもお構いなしに彼女はうつ伏せになる。そんな彼女を見て微笑むのはクレア。
「あらあら。これからもっとああ言った場面が増えるって言うのに、いきなりこれじゃあ先が思いやられるわね」
 クスクス、と口元に手を当てて微笑む姿は、恐らく男性陣が見ていたらファンクラブが出来るに違いない。 その通り遠からず彼女等はファンクラブを持つことになるのだがそれは余談である。
「滅入るね。ほんと」
 ネルは体を傾け辛うじてクレアの姿を見る。 「クレアはああいうのは大丈夫なのかい?」
「そんなことないわよ。私だって疲れるもの。色々な意味でね」
「ならもっと疲れてる表情を見せなよ。アンタって子は……」
 はぁ〜と溜息を付き再びベッドに沈んだ体の心地よさを満喫する。 もう立ちたくない動きたくない、そんな感じがネルの全身から放出されていた。
「だって、私がベッドに倒れるわけには行かないでしょう? 何たって私のベッドで貴方が倒れてるんですもの」
「それは地味に私にどけって言ってるのかい?」
「あら、そう聞こえるかしら?」
 二人の目線が合致する。互いに見つめ合ったまま、暫くして、彼女らは笑った。
「あはは、参ったね」
「うふふ。それにしても……」  クレアは手短にある椅子に腰掛けた。 「遂に私達もクリムゾンブレイドね。ちょっと緊張しちゃうわ」
 そう言ってクレアは肩を竦める。
 クリムゾンブレイドとは、この国における軍の最高司令官レベルの地位だと思えば良い。
 事実、クレアはそういう立場にあるし、ネルの立場はその地位はなくとも権限は同じ程度持っている。 要するにシーハーツ軍の中で最も偉い二人というわけだ。
 思えばまだ20代の前半だというのに、この国のトップレベルまで上り詰めたということは これはこれで敵を作ることになりかねない。権力という者は得てしてそういうものだからである。
「まぁ、アドレー様も随分と手を回してくれたみたいだから」
「全く余計なことをしてくれるわ。あのお父様だけは……」
 少しばかり顔をしかめるクレア。それを見て微笑むネル。
「あはは。でも大変なのはこれからだよ。とりあえずやらなきゃならないことはこの軍についての勉強。 部下の名前と実力の把握。それだけじゃなくて、私達二 人がこうして双対の立場となったことに関して恨んでいる連中も沢山いるだろうからね。そういった連中の相手もしないと」
「問題は山積みってわけね。でも、それを理解して、貴方は私の道に付いて来てくれるんでしょう?」
「まぁね」
 ネルが体を起こしてそして口元を緩める。
 彼女がこの世界に入ってきた理由。 それは勿論父ネーベルの後を追いたいという気持ちがあったからに他ならないが、それよりももっと強い理由があった。
 それが目の前に居る女性、クレアである。
「クレアが言い出したことだからね。これは」
「だって。何時までもお父様に子供扱いされたくないもの」
「親子喧嘩に私は巻き込まれたってわけかい」
 くくっと笑う。なるほど、確かにその通りだ。
 元々ネルにはそこまでクリムゾンブレイドになりたいという気持ちは無かったのである。
 確かにネーベルの後を追いたいという気持ちは在ったが、しかしこの世界には自分と同じくらい実力を持っている者も多数居るし、 そんな中で自分がどこまで勝ち残れるか、何て全く検討も付かなかったのである。
「でも、どうせ目指すならトップが良いでしょう? 中途半端に一級構成員とかじゃ何となく中途半端じゃないの」
「確かにそうかもしれないけどね。それだけ仕事量も増えるよ」
「若い私達が仕事量がどうとか言ってたらダメよ、ネル」
 ふふっと笑ってクレアは立ち上がる。
「お茶淹れるけど要るかしら?」
「勿論、久し振りにご馳走になるよ」
 二つ返事でネルは返す。それに満足したクレアは部屋にあるポットへと向かう。 保温が可能なポットで随分と高価な物である。それだけでクレアの部屋が随分と高価な物で構成されているということが判る。
 クレアがお茶を淹れている間、少しばかり話が止まる。その間にネルはベッドに座ったまま、後ろに手をやり体を支え、天を仰ぐ。
(まさか、本当にクリムゾンブレイドになっちまうなんてねぇ)
 流石に驚きだ。いや、正確には驚いたのはもっと前に自分がそうなることを知った時なのだが、 こうして女王陛下直々に拝命されてようやく実感が沸いてきたといったところだ。
 これから自分達は少しばかり休憩した後、ラッセル執政官からこれからの取り決めをしなければならない。 その後は旧クリムゾンブレイドであったアドレー・ラーズバードからの説明、そして各師団長への挨拶などなど。 やらなければならないことがてんこ盛りである。
 今日この日、クリムゾンブレイドとなったとしても実質的に動きだすのはもう少し後だろうとネルは思った。
 そういえば自分の部下はどうなるのだろうか。勿論“部下”と言ったら彼女の場合シーハーツ全軍が部下になるのだが、 そうではなく直属の部下、つまり自分がこれから行う諜報活動を補佐してくれる、要は相棒みたいな者のことである。
 流石に一人だけで全ての作戦を行うことは不可能。そこには必ず部下が居て、これから長い間ずっと一緒になるのだ。 そういった面々が自分と馬が合えば良いのだが……
「そういえばクレア」
「何?」
「私達の直属の部下、っていうか一級構成員のことは聞いてるのかい?」
 何気なくネルは聞くととクレアは少しばかりこちらを向いて意外そうな顔をした。
「あら、貴方知らないの? そんなんじゃこの先思いやられるわよ」
 と、少しばかりお説教口調のクレア。
「もう貴方も立派なトップなのだからそれくらい知ってなきゃダメよ」
「い、いや。そういうのはこれからと思ってね」
 随分とゆっくりめな調子のネル。 任務に対して冷静かつ一生懸命な彼女であるのに、いまだに部下の名前を覚えていないというのは少しばかりクレアには引っかかった。
「最近はずっと私達の調整で忙しかったからね。ちょっとそこまで気が回らなかったのさ」
「そうなの? 貴方が私の分まで色々と手回ししてくれたのは知ってるけど……まぁ良いわ。 一級構成員はアストールよ。知ってるでしょ?」
 クレアに言われて、ああ、とネルは納得する。自分がまだ二級構成員の時に互いにトップの座を争そった仲である。
「彼が一級になったんだ。出世したんだねぇ」
「そうね。ってそういったら私達なんて二階級特進になるわよ。しかも異例の速さで」
「確かに」
 元々ネルとクレアは二級構成員であった。そこからこの地位に成り上がったのである。 本来ならば一級構成員が団長になるはずなのだが、そこはネルとクレアの名の強さである。 それ故に恨みを持つ者も居るというわけだ。
「うふふ、大変ねぇ、ネルにしてみれば命令し難い相手かしら? でもダメよ、公私は混合したら」
「……クレア。何を言ってるのか私に説明して欲しいところだね」
「え? だってネルとアストールの仲はそれはもう軍の間では注目のカップルだって言うのが……」
「よしクレア。その噂は速やかに嘘だと流しな。師団長権限で。 それからそんな嘘を蔓延させた者達は詐欺罪として然るべき処遇を――」
「はいはい、落ち着きなさいねネル。真っ赤な顔してそういう物騒なこと言わないように。 それから今ネルが言ったことこそ公私混合だってこと忘れないようにね」
 っく、とネルは少しばかり悔しそうな顔をする。 何か言い訳をしなければ、と彼女なりに考えるのだが、どうしてもそれが出てこない。
 いやいや。実際のところネルはアストールのことなど全く考えたことが無い、と言えばきっと冷徹な女性だと思われるだろうか。
「……ク、クレアだって一級構成員はヴァン・ノックスなんだろう?  アンタがヴァンと一緒に居るところは多数の目撃証言が取られているよ!」
「あら残念。そういう嘘は出回ってないわよ。何せ、噂って言うのは一つで十分。 そしてその一つはネルとアストールの仲。つまり、私と彼の関係については未だに知るものは少ないわ」
 さすが、というべきだろうか。いや、華麗に避けられたというべきか。なかなか口が上手い。
 なるほどこれから様々な話し合いの場に出るクレアにとってこの程度の駆け引きは序の口というわけか。
「アンタ……妙に嬉しそうだね」
「だって。ネルが苦虫を潰したような顔をしてるんだもの。そういう顔は男の前でしたらダメよ。折角の美しさが台無し」
「……もう良いよ。とにかく私の部下はアストールなんだね……実際これだけ聞くととりあえずは安心だね。 彼、冗談抜きに凄腕だし」
「そうね」
 クレアが真面目な表情をする。
「彼の実力、貴方に勝るとも劣らないって言われてるから。それに、気心が知れている人が居るってことは重要よ」
「だね」
 彼女の意見に賛同するネル。
「ってことは、私とアストールの二人が抜けた二級構成員は誰が埋めるんだろうね。クレア。そこは知ってるかい?」
「ん〜それは流石に判らないわね。恐らく今まで三級に居た人だと思うけど……ネルなら心辺りあるんじゃないの?」
 なるほど、階級はエレベータ式だ。下の階級の者が上の階級に昇格する。 勿論実力主義のこの国故に才能無き者が上に来ることはありえないはずだ。
「あいつかな、っていう気はするけどね。でも……誰だろう」
「ネル、もしかしたら貴方の初仕事がその二級構成員の選抜かもしれないわよ?」
 クレアが楽しそうに言う。
「よくよく考えてみれば、封魔師団はもう貴方の管轄なんだから。一級構成員はともかく二級構成員なら貴方が選んで然るべきよ」
「ああ」
 ネルは頷く。
「確かにそうかもしれないね。そうか、私が選ぶのか……」
 そう思うと少しばかり緊張する。今まで二級構成員として上からの命令をただ受けてこなすだけだったのに、 もう命令を出す側となっているのだ。自分は。
 そういった立場の確認をすると改めて自分がこの世界でやっていけるのか少しばかり不安になる。
(私には不向きかもしれないね……)
 いきなり不向きかもしれないと弱腰になるネル。しかしそれを隠すのが彼女である。
「あ!」
 突然クレアが驚いた声を上げる。
「もうこんな時間。そろそろ行きましょう」
「ん? もうこんな時間なのかい。早いね」
 クレアが淹れてくれたお茶をネルは勢い良く流し込む。少しだけ熱かったが、だが味の方は一級だ。
「ごちそうさま、クレア。じゃあ行こうか」
「ええ、急ぎましょう」


「もう知ってると思うけど、これからあんた達の命を預からせてもらう立場になったネル・ゼルファーだ。宜しく」
 クリムゾンブレイド、そして封魔師団の師団長に任命されてからの仕事は多い。 その中の一つ、封魔師団への挨拶もネルの仕事である。
「あー、まだ私は師団長になったばかりでふがいない面も見せるかもしれない。 勿論最善の努力はするつもりだけど……でもそれでも皆をがっかりさせることはあると思う。 そういったところはどんどん私に言って欲しい。同じように私もあんた達を常に見るようにする。悪いところは言う。 良いところは素直に褒める。 常に自分を良くするという向上心を各々忘れないようにして欲しいと思う……ってこんなところで良いだろ?」
 最後の部分はネルから離れた場所に居るクレアに向けられたものである。 だが、クレアは微笑んでいるだけで何も言ってこない。
 そもそもこの場所が悪い。ネルは今壇上に上がり、多数の師団員の前に居るのだ。 その数は10や100ではない。明らかに1000人単位で居る。 更に言うならこれで全部ではない。現在任務中の者も居てそういった者は今ここには居ない。
 正確な数は判らないが、これで半分と言ったところか。 そんな超多人数の部下が今やネル一人の考えによって動かすことが出来るのだ。それを考えると少しばかり焦る。
「ほら、ネル。今後の方針とか言わないと」
 と小声でクレアのサポートが入る。ああ、と頷いてネルは続いた。
「ああ、そうだったね。今後の方針だけど、とりあえず今までと同じ。 上の者が下の者に命令して任務を遂行する。流石にいきなり私の考えで何かを命令する。なんてことは出来ないからね。 一級構成員を中心として大体は話し合いで決定していくと思う。 私達は言うなれば隠密だ。影に生きて影の中を進む。死ぬ時も影の中だろう。 だからこういった全体でのミーティングみたいなのは基本的にはしない。 連絡も全て連絡員を通して行う。私からこうして直接何かを言うのは、一級二級構成員を除いてないと思って欲しい……っと、 こんなところだね」
 比較的、落ち着いたスピーチが出来ているのではないかとネルは思う。 こんな大人数の前で何かを話したことは今まで一度も無いが、 だがこういった場面で正々堂々としていることも上に立つ者としては重要だろう。
 と、いうか実際ネルはこういったものは苦手ではない。何を話そうかという点については困るが。
「ああ、後、近々二級構成員を2名選抜する。そのための選抜試験をやろうと思うので三級以下の面々は各々力を磨いておくように。 日程はまた連絡する。以上」
 ざわざわと、一気にその場は騒がしくなる。 ネルが終わりだと言ったためであるが、本質的な話題は最後にさりげなく彼女が言ったことについてだろう。
(やれやれ、思ってたことが本当になるとはねぇ)
 先ほど、ラッセルと話したときに言われたことは正にクレアと話していた内容そのものだった。 二級構成員の枠が2つ開いているのだろう、ならばお前が選ぶが良い。師団長として最初の仕事だ、と。
 それを聞いてからこの全体ミーティングを行ったので、それまで知っていた者は皆無だろう。
 勿論ネルとアストールが揃って昇格したためにそういった人事異動が行われる可能性は師団員の中では有名だったかもしれないが。
「お疲れ様。ネル様」
「ん? アストールかい」
 壇上から離れてネルはともかくその場から離れたいと思っていたのだが、丁度降りたところで男性に話しかけられる。 勿論クレアではない。
「“様”付けっていのは妬みの一つかい?」
「あはは、そんなわけないじゃないか。いつも言ってるように僕は別に権力なんて欲しくないからね」
「力はあるくせに野心を持ってないから地味だって言われるんだよ」
「う、随分と酷いね」
「気にしないように」
 アストールが肩を竦める。やれやれ、と言った感じだろうか。 これらのやり取りは極めて日常的で、お互いに昇格してもその関係はやはり変わらないという意思の表れでもある。
 ネルは、アストールがまるで違わない態度で自分に接していることに気が付いてほっとした。 彼にまで敬語を使われたら、どうしようかと思っていたくらいだ。
「あらあら、さっそくいちゃいちゃ? こんなところで……私恥ずかしいわ」
「クレア。どこをどう見たらいちゃいちゃしているように見えるのか教えて欲しいね。大体皆が見てるじゃないか」
 師団員はそれぞれの仕事へと戻っているのだろうか。次々と会議場から出て行く。 しかし何分数が多い。1000人単位の人数がそう簡単に全員出て行けるわけがなく多くはまだその場に残ったままである。
「どうも、クレア様」
「あら。私にも様付け? 昔のように“ク・レ・ア(はぁと)”って呼んでくれないのかしら?」
 少しばかりふざけたような感じでそう述べるクレアであるがアストールの背後にいるネルが凄い形相で見てくるために直ぐに肩を竦める。
 なお、それに関して彼はまるで動じた様子はなかった。
「あ、いや……そんな呼び方したことないですし。っていうかもう僕より上の方、 それもクリムゾンブレイドなんですから。流石に……」
「でもネルには普通に会話するのね。ああ、やっぱり二人が付き合っているという噂は本当だったのね」
 およよと泣くまねをするクレア。明らかに楽しんでいる。
「遂にネルが私の手から離れる時が来たのね。さようならネル。お幸せに……」
「クレア。あんまり言ってると怒るよ?」
「そうですよ。僕がネル“様”と付き合っているわけないじゃないですか」
 ふざけてやっているのは明白なのだが、あまりからかわれるのは好きではない。程ほどでなければネルも怒る。
 むしろネル的には今、アストールが自分との関係はさっぱり否定したことについて少しばかりつまらない気分になって ……その空気を読み取ってかクレアもふざけた表情を止めて普通のそれになる。
「あらそう? まぁ良いわ。それにしても思い切ったことをしたわね。スピーチ内で選抜試験のことを言うなんて。 普通は文書でやるわよ」
「そうそう。僕もそれは思ってましたよ。普通じゃしません」
「そうなのかい?」
 気を取り直すネル。顔を上げて二人を見た。
「確かに私もこういうのは文書で、っていうのは知ってたけどね。面倒じゃないか。こうして皆の前で宣言した方が効率的だよ。 更に、選抜試験は言うなれば実力を見るのにとても良い方法だから早い段階で皆に知らせておいた方が良い。 後、試験をすることに意義がある」
「早速部下を見ておくってことだね」
 試験をするというのはその者の実力を客観的に評価するのにとても良い方法だ。 今では自分の部下の僅か少数だけを見ていれば良かったが、これからは全員の実力を評価していかなければならない。
 ネルが試験をする理由はそこにもあった。
「そうだよ」
「なら僕も見ておいた方が良いかなぁ」
 とアストールは出て行く師団員を見る。一級構成員は極めて数が少ない。 今現在ここに居る一級構成員は恐らくアストールだけだろう。他の者は仕事中だ。
 ネルは流石に、だろうがアストールにとって二級構成員は極めて気になる存在だ。
 慣例に従えば自分が直接命令する機会が多いのは間違いなくこの二級構成員。 それ故に本当に実力ある者が欲しいと思うのは当然である。
「というかアンタは絶対、試験監督にならないとダメだろう」
「そうかい? 二級なら団長がやっても誰も文句は言わないよ」
「判ってる。でもアンタの直属になるかもしれないんだから。部下を見ることも上に立つ者の役目だろう?」
 そういったことは既に二級構成員時代に経験済みだ。二級構成員は三級構成員の部下を持つことが出来る。 ネルにも数人部下がいたし、同じく任務もこなした仲だ。
 恐らく今も三級に居るために、今度の試験では間違いなく選別試験に出てくるだろう。そうなってくると問題も出てくる。
「お互い私情が出てくるかもしれないからね。私一人じゃ不安だよ」
「あらあら。早速弱音? ダメよネル。そういったことを部下の前で言ったら」
「いや、そういうことじゃなくてね。三級に居る面々は私と、アストールの部下だった者も居るはず。 今度の選抜試験でそういったのが出てこられるとどうしても客観性が失われてしまうだろう? だからさ」
 ネルも非情に徹しなければならないことは判っている。試験監督として求められるのは情ではなく客観性。 しかし人間というのは難しい生き物で客観性が求められれば求められる程過去の出来事について思い出してしまい 無意識に情が入ってしまうものだ。 
 それを防ぐために、ネルはアストールと共に監督をしようと言っているのである。
「うん。ネルさんの言うとおりだね」
「あら、今度は“さん”付けかい? もう、私達だけの時は呼び捨てで良いよ」
「そ、そうかい?」
 少しばかり居心地が悪いアストールであったがネル本人にそう言われれば気が楽だ。 何せ下手なことを言うとクレアに何を言われるかたまったものではないからである。
「ふふっ、微笑ましいわねぇ。これはまた噂を流しておかないと」
「ちょっとまったクレア。まさかアンタ――」
「あら、口が滑ったかしら? おほほほ、じゃあそろそろ失礼するわね。後の取り決めは愛するお二人でなさってね〜」
 ひらひらと手を振りながらその場を離れるクレア。そのスピードはさすがクリムゾンブレイド。 ネルも本気で走らねばならぬほどの速度が出ている。幻覚だけかもしれないが。
「待てクレア! もう私は怒ったよ!」
「ふふふ、ほらほらあんまり怒ると将来の夫に愛想を尽かされるわよ〜」
「違う!」
 去りながらもクレアは二人を冷やかすことを忘れない。 ネルは最早顔を髪の色と同じにしてクレアを追いかけるが、直ぐに諦めたようにその場に立ち尽くし、少しばかり肩で息をしていた。
「……だ、大丈夫かい?」
「何言われても動じないアンタが羨ましいよ」
「いや、そんなことは無いけど……」
 ネルがどうしてそう思ったのか判らないが、なんとも微妙な気持ちになったアストールであった。


(……どうもパッとしないねぇ)
 そしてその選抜試験当日。と、言っても正確には既に前日までに技能検定の前に既に筆記試験を終えていたりするが。
 シーハーツの昇格試験は大抵数日に渡って行われる。 と言っても基本的にはこういった試験は存在せず、上官が必要と判断したら辞令が出る、 と言った物でこういった試験で推し量るというのはとても珍しいことだった。
 とはいえ、複数の部下の力量を定量的に計るのにはとても適した方法だ。
 今回の選抜試験受験者数は487名。さすが誰もが三級から二級に上がれるとなれば任務が無いものはほぼ全員が参加しているほどだ。 この中からまず筆記試験を行い半数以上が落とされ、二次試験の技能検定受験者は120名まで絞られた。
 120名。この中からたった2名を選ぶのはとても骨が折れる作業だ。 優秀な人材が豊富ならば2人という数にこだわらなくても良いだろうが、しかし――
(二級レベルとなると平均的じゃダメだからね……そういったことも含めると……)
 ネルが今見ているのは各々の戦闘能力についてである。2名が選び出されて対戦する。 基本的に勝敗で決まるものではなく各々の技のキレや判断能力が問われる試験だ。
 勿論勝てばそれだけ有利になるのは勿論なのだが……
「せい!」
「でぇや!」
 ネルの目の前で繰り広げられる戦いの数々。どれを見てもぱっとしないのは明白だ。
(技も体力もあんまりだね……)
 勿論それは致し方ないだろう。何せ三級と言えば基本的な通信係や本国で事務処理など、 あまり危険ではない仕事ばかり、つまり雑用が殆どだ。
 それだからこそより実践的な仕事が出来る二級以上の地位になりたいがために皆こうして必死なのだが。
「ネル」
 小声で彼女の隣に来る男性の気配。彼女を呼び捨てに出来るのは今この中では一人しか居ない。
「アストール。どうだい? 目ぼしい子、居たかい?」
「うーん、正直に言って良い?」
「勿論」
「どれも微妙だね。まぁ三級なんだからそれも仕方ないかもしれないけど、でも、二級にするにはちょっと怖いって人ばかりだよ」
「同感だね。こりゃ二級にした後は私かアンタが直で鍛えた方が良いかもしれないね。この中から選ぶならば、だけど」
「だね」
 他の誰にも聞かれないような音量で二人はあまり部下に聞いて欲しくない話をする。 この二人にかかれば誰にも聞かれずに会話することなどお手の物だし現に今も周辺の注意は怠っていない。
 二人が誰も聞いていないということを確認したからこそこういった話が出来るのである。
「もう良いよ、次!」
 ネルが声をかけて試合終了を告げる。今の戦いは決着が付かずにネルが終了を言い渡した形であるが、 これはあまり宜しくない。決着くらいはつけないとどう足掻いても二級には上がれないことが定説となっているからだ。
「今のはダメですね」
「筆記の結果を見ると、そう悪くは無いけどね。このまま三級のままの方が死ぬ可能性が低いってものさ」
 確かに。二級以上は実践が入ってくる。こうなってくるともう死を覚悟して仕事をしなければならない。 勿論ここに居る連中は死の覚悟くらい出来ているだろうが、それでも実際の戦闘場面で生き残れるのは力がある者。 無い者をそういった危険な場面に出すのはネルには出来ない。
「ええ。っと、次はっと……」
 アストールがネルの意見に賛同しながら手元のチェック表を見る。 そこには名前とそして筆記試験の結果、それから施力の適合率を示す血統限界値が記されていた。
「タイネーブです。宜しくお願いします!」
 オレンジの短髪。ダークブルーの瞳。そして、締まった体付き。
 タイネーブと名乗った後、相手も名乗り、互いに構える。
(へぇ……)
 ネルが心の中で少しばかり感心する。目線が少しばかり強くなった。
「ネル」
「判ってるよ。これは見物だ」
 アストールも気付いている。タイネーブと言ったあの女性から感じられる気迫が。
 勿論気迫だけでは実力はそう上がるものではない。何事も精神論だけでは上手く行かないように、だ。
 だが、厳しい修練の後には必ず気迫が付いてくる。つまり、十分条件みたいなものである。
「初め!」
 ネルがスタートを切るとタイネーブは相手との距離を一気に縮めた。
 相手の懐に踏み込む。
 そして一撃。拳を相手のみぞおちに叩き込む。
 それだけで試合は決まった。
「おーやりますね、あの人」
 周りから歓声が上がる。どうやら周りから慕われているような人物らしい。 その中にはネルやアストールが知っている三級構成員も居るが、その者達もタイネーブの勝利を褒めているように見える。
「タイネーブね……聞いたことないけど」
 ネルはそう言いながら手元の資料を見る。
「ええっと……って、ちょっと待ちな、あの子の血統限界値……」
「ん? ずば抜けて高いんですか?」
 そう良いながらアストールも手元の資料を見て、そして驚いた。
「……さ、3%ですか……それはまた豪快ですね」
 アストールの目線が鋭くなる。
 血統限界値というのは施力がどれほど上手く扱えるか、適合するか、そういったパラメータであるが、 このシーハーツではこの血統限界値が高い者が比較的優遇される国である。
 判りやすい例を挙げてみよう。
 ネルとアストール。この二人は次期クリムゾンブレイドとして争っていた仲だ。実力も拮抗している。
 しかし、ネルの方が血統限界値が高かったために、彼女がトップに選ばれた。 勿論アストールも低いわけではないので一級になっているのだが。
 つまり、上に行けば行く程血統限界値は高まる傾向にある。むしろ高くなければ上には上がれない。
「さて、ネル。どうしますかあの子。僕的には結構面白いと思うんですが」
「そうだねぇ……」
 この時点ではネルは彼女をどうするかは決めていなかった。実力はもう見ただけで完璧だ。 あの素早さ、力、判断力。それだけではない。 相手を一撃で仕留めた時、明らかに手加減していたしそして相手を思って急所を外している。
 どう見ても相当な実力を持っているに違いない。下手すればアストールも負ける可能性だってあるかもしれない。 いや、今の動きからすると間違いなくアストールより上だ。
「アンタ、負けるんじゃないかい?」
「かも知れないね。場数で何とかなるかもだけど……ってそれはネルもじゃないかい? 彼女、相当だよ」
「師団長にそういうことを言わない」
 それは職権乱用だとアストールは苦笑するが何も言わない。ネルが少しばかり拗ねていたからだ。
 彼女の特権はむしろ素早さ。そして施力だ。勿論単純な武力も相当だが、それよりも敵をかく乱するような戦法を好む。 アストールもそうだ。
 そしてタイネーブという彼女は、施力こそ無いが純粋な武力。これが秀でている。
 これは使えるかもしれない。
 そうネルは思った。


 そして三日後。更に人数が絞られてその数は60人まで絞られていた。ここからが所謂三次試験である。 その中には勿論タイネーブの姿があった。
「今日が最終試験だ! 心してかかりなよ!」
「「はい!」」
 何となく体育会系のノリでネルは号令をかけてみる。別にこれは彼女の趣味ではない。
「今日の試験はグループ戦だ。それぞれペアになって今日は動いてもらうよ」
 と言ってネルはアストールに目配せする。すると彼は頷いて二人の背後にあった黒板に一枚の張り紙を張った。
「今日の試験はサバイバルオリエンテーリングみたいなものだ。 昨日私とアストールの二人でシランド、イリスの野にチェックポイントを置いておいた。 そこにあるはんこを用紙に押して、全てのチェックポイントを通り、ここにたどり着くまで。 それが試験だ。勿論早ければ早いほど高得点だ。皆、心してかかりな!」
 ネルがそういうとアストールが続いた。
「ペアは勝手にそっちが決めて良いよ。決めたら僕のところに来て報告して。 そしたら僕が用紙を渡すから報告した人からスタートで」
 つまり、早くペアを決めて早く報告すればそれだけ早くスタートが切れるという仕組みだ。 それに気付いた構成員は我先にとペアを決めてアストールのところへと殺到した。
「ちょ、ちょっと、順番! 順番だからね!」
 彼が一級構成員とは忘れられているのだろうか。もみくちゃにされながらアストールは必死に仕事を行う。
(あらら。私も手伝えばよかったね)
 とそれを見ながらちょっと彼が哀れに見えてくるネル。なら手伝えば良いのに、 どうやら彼女にはその気が無いらしく、そのままその場から立ち去る。
(さって。最後の見極めをさせてもらおうかな)
 ネルは口元を歪めて、そしてその場から消えた。


「で、ファリン。作戦はあるのかい?」
「勿論ですよ〜この試験は技能よりむしろ頭脳戦ですからぁ〜」
 シランドとイリスの野。それがフィールドとなっている。 そんな中彼女等はシランド城の三級構成員室に居た。ちなみにこんなところにチェックポイントは無い。
「タイネーブはぁ〜私が言ったことだけしてくれれば良いですぅ」
「やれやれ。そんな言い方してるから私以外の友人が出来ないんだぞ」
「そんなことどーでも良いですよ〜どうせしょぼい人しかいないんですから友人になったところで利益はありませーん」
 なんとも凄い言い方をする彼女。タイネーブがファリンと言った彼女がタイネーブと共にペアを組んだ者である。
 話を聞いているだけで腹が立ってきそうな言い方だが、 しかしタイネーブはまるで怒らずに、静かにファリンの言葉に耳を傾けている。
「ネル様はぁ〜ただチェックポイントを回って来いとして言ってません。つまり〜構成員同士の争いは黙認するってことです」
「それくらいは皆も気付いているんじゃないかい? 流石に私もそれは考えていたけれど」
 なるほどサバイバルオリエンテーリングとは良く言った物だ。
 普通オリエンテーリングと言えば各チェックポイントを回るだけだが、 サバイバルという単語が付くことによって無差別攻撃による邪魔のし合いが可能となっているイメージがある。 流石にその判りやすいヒントに気付かぬ構成員は居ないだろう。
「そうですよ。でも、この用紙にまでは気付いてないと思いますぅ」
 と言ってファリンはアストールから受け取った用紙をタイネーブに見せる。
「これがどうしたんだい?」
「この用紙、ただの用紙です。名前も番号もなぁんにも書いてないです。つまりぃ〜」
 何となく、タイネーブはファリンがやろうとしていることを予測した。 そしてその残虐な方法について少しだけタイネーブは後ろめたさを感じる。
「何も私達が全部のチェックポイントを回らなくてもぉ〜全部回ってきてくれた 人をとっ捕まえて奪っちゃえば良いんですよ〜そうすれば楽して全部のチェックポイントを回ったことになります〜」
「やっぱり……」
 何てあくどい方法なんだろうか。 いや、元々ファリンはこういう性格だ。それは致し方ないだろうとタイネーブは自分に言い聞かせる。
 勿論悪い事は無い。何せネルは明確なルールを提示しなかったのだ。 その自由性がこの試験の醍醐味とも言えるし、その自由性を100%生かせているのはこれは問題解決能力が優れている証拠である。
 ……勿論、若干良心が痛む方法ではあるが。
「まぁ私も二級構成員になりたいからね。今回ばっかりはアンタの作戦に乗るよ」
「やったぁ〜ありがとうですぅ。やっぱりタイネーブは話が判る人ですね」
 と二コ二コとしながら紫の紙をしたファリンは両手に握りこぶしを作って喜ん でいる。万歳をするほどのことではないと思うが。
「でもですねぇ〜実はちょっと気になることがあるんですよ〜」
「何が?」
 これ以上何があるというのか? タイネーブは不思議に思うがファリンは珍しく顎に手を当てて本気モードになっている。 そうだ。それがファリンの本気の印である。
「ネル様が、途中で居なくなっちゃったんですぅ。どうして最後まで私達の出発を見なかったんだろうって」
「そりゃあ私達の活躍や能力を見るために偵察に出て行ったんじゃないかい?」
「ん〜それならこんな面倒くさいことはしないと思うんですけどぉ……」
 タイネーブは判りやすい結論に至ったようだが、ファリンはそうではなかった、どうも釈然としない表情だ。
 何か、引っかかる。試験には全て意味があるはずだ。その意味を捉えておかねば好成績は残せないし、 逆に言えば問われている意味が判れば好成績が出せる可能性がぐっと上がる。
「ふんふん。なるほど、ファリンか……筆記試験満点、血統限界値28%、 技能試験はまぁまぁってとこか。うん、君もなかなか面白い性質を持ってるね」
「だ、誰ですかっ!?」
 そんな二人だけの世界だというのに、明らかに違った声が二人に警戒心を持たせる。 二人の声ではないのは明白だ。何せ男性の声だったから。
「どこだ!」
 タイネーブは叫ぶ。
「うーん、ここまで来てようやく気付くか。気配を探る術は教えないとダメみたいだね」
 と言ってその男は天井からすっと音もなく降りてきた。その姿に驚くタイネーブとファリン。
「ア、アストール様!」
 タイネーブの声が驚きのそれとなる。何故試験監督官がここに居るのか。 それが理解出来なかったからだ。スタート地点に居なければ、誰が最初にゴールしたか判らないと言うのに。
「そ、そっか……この試験の意味って……」
 ファリンは気付く。アストールがここに居る意味。そして自分の中で釈然としないこの試験の意味。
「あら。ファリンはもう気付いちゃった?」
「ファリン、どういうことだい?」
 タイネーブだけが、その部屋の中で理解していない人物である。 説明を求めるタイネーブに戦闘の構えをすることによって答えるファリン。
「タイネーブ、アストール様がこれから私達に攻撃を仕掛けてきますよぅ、頑張って戦ってくださいっ」
「なっ、ど、どういう……」
「ほら、がら空きだよ!」
 状況が全く理解出来ないタイネーブだが、しかしアストールの一撃をしっかり と受け止める彼女。それを見てやはり微笑むアストール。
「おや、やっぱりタイネーブは凄いね。僕の一撃を止めるとは……」
「せ、説明してくださいっ! どうして私達を襲うんですか?」
「タイネーブ、離れてくださぁい!」
 その言葉でタイネーブは一気に後ろへと下がる。その直後、アイスニードルの施術がアストールを襲う。
「とっととと」
 しかし彼は難なくそれを避けた。氷の刃は壁に突き刺さり間もなく蒸発していく。
「タイネーブ、この試験の本当の目的は、こうやってアストール様やネル様が直接私達を攻撃してきて、 その対処方法を見る試験なんですぅ!」
「な、何だって!」
 ファリンのところに戻ってきたタイネーブは真実を聞かされて動揺を見せる。
 一方アストールはご名答だよと比較的余裕を見せたままだ。
「ファリンか。とても良い洞察力を持ってるね。タイネーブにしっかりとした情報を与えているし。うん。なかなか良い素材だね」
 うんうんと唸りながらアストールはどこから出したのか資料を出してきて何かを記入する。明らかに二人を無視した行動だ。
「逃げましょう、タイネーブ!」
「あ、ちょ、ちょっと!」
 その隙を見て、ファリンは窓をぶち破って外に出て行く。それに慌てて付いていくタイネーブ。
「あらら。もう、この修理代、誰が出すんだよ。全くネルも困った試験を考えるなぁ」
 と微笑みながら彼は二人を追う前に、まず四級構成員でも適当に捕まえてここを直させないと、 と思いのんびりと出入り口から出て行った。


「はぁ……はぁ……この試験ちょっとヤバイですよぉ」
「そんなこと言ってないで走れ!」
 そして数時間後。幸運にも彼女等二人はまだ生存していた。つまりネルとアストールの二人に襲われていないということだ。
 しかし問題はそれだけではなかった。
「待てぇ! 二人共! 私達の得点となりなさい!」
「あ、ちょっとずるいわよ! あの二人は私が先に目を付けたんだから!」
「その用紙、寄越しやがれぇぇ!」
 彼女等二人を追いかけてくる集団。と言っても20名程度であるが。 しかしそれだけの数に追いかけられると人間の心理上逃げたくもなる。
「ネル様もアストール様も酷いですぅ〜」
「だから試験なんだろ!」
 半泣きになりながら走るファリンとそれに対して半分キレながら走るタイネーブ。 全く両極端の反応を見せるが二人の行動は逃げるに統一されている。
「ま、まさか脱落者が今度は追う者になるなんて……随分と考えられてますねっ」
 と冷静にタイネーブは状況を分析する。
 そうである。この試験は何も追う者がアストールとネルだけではないのだ。
 ネルとアストールにやられた者。その者達は漏れなくチェックポイントで記入する用紙を奪われた。 そして一様に“誰かから用紙を奪えばまた復活だよ”と敗者復活のチャンスを与えているのである。
 よってまだ用紙を持ったままの二人は発見され次第脱落者から追われる身となっているのである。
「ヤバイヤバイですよ〜今20人程度。これ以上増えたら流石に私達でも対処出来ません〜」
 そうなのである。この方法だと圧倒的な力を持つ二人が次々と脱落者を増やしていくに決まっている。 つまりどんどん追う者が増えていくということである。
 そして最終目的は依然として全てのチェックポイントを回ってスタート地点に戻ること。
「そ、そんなのこの状況じゃ絶対無理ですぅ〜」
 やはり泣きながらファリンは走る。何とかこの状況を打破しなければ自分達まで失格となってしまう。
「何か良い作戦は無いの!? ファリン!」
「タイネーブ、20人倒せますかぁ?」
「流石に無理だ!」
「やっぱりですかぁ〜」
 この状況下。逃げる以外の選択肢が在れば教えて欲しいと節に願うファリンとタイネーブ。
そんな逃げまくる二人を師団長と一級構成員の二人は実に楽しげに見下ろしていた。
「流石にあんなに多人数ならどうしようも無いね」
「確かに。私でも20人同時に相手はちょっとキツイね」
「その前に対処しない辺りがまだ未熟ってことでしょう」
「だね。もうちょっと機転を利かせてくれれば良いんだけどねぇ」
 二人は隠密っぽく木の上からそれを見下ろしている。傍から見れば一体何者なんだろうと思われること受けあいだが、 ここはシーハーツ領内なので特に問題は無い。
「ネル、楽しんでる?」
「アンタこそ。何かやらかしてくれないかなとか思ってるだろ?」
 アストールがネルの表情を見ると彼もまた微笑んだ。どうやら思っていることは同じであるようだ。
 しかし、流石に三級構成員にそこまで期待はしてはいけない。
 本格的な扱きはこれからにして、今は冷静に評価をしなければならない時である。
「おや、そろそろ決着が付きそうだよ、ネル」
「ん、そうだね。じゃあ最後を見届けようか」
 その余裕から、既にタイネーブとファリン以外の構成員は皆脱落してしまったことが伺える。 そしてその殆どが、彼女等二人にターゲットを絞っていた。


「か、囲まれてしまった……」
 総計先ほどから増えて約50名程度。それ程の人物が彼女等二人を囲っている。 まるでちょっと悪い方々の一団がこれからリンチを開始しそうな勢いだ。そしてその迫力が彼ら構成員の目には宿っている。
 ギラついた目。己の欲望のために動く彼らはとても手ごわいことをファリンは知っている。何せ自分がそうなのだから。
「ねぇファリン。私、今思いついたんだけど」
「何ですかぁ」
「きっと、今試験を受けている人全員居るよ、ここに」
「そんなの判ってますぅ〜もっと現実的なアイディアを思いついてくださぁい!」
 本当に怒っているのかどうか怪しいが、ファリンはタイネーブに対してそう述べる。 表層的にはまるで怒っている感じはしない。
 彼女等二人は背中合わせに立っている。そしてその二人を囲むように構成員が居る。
「こういった状況下で助かる方法は?」
 真面目な話、タイネーブは小声でファリンと会話する。誰にも聞こえない音量で、口元も殆ど動かしていない。 その技術は封魔師団としては必須の特技である。
「一点突破が定石だと思いますけどぉ〜また追いかけっこになるだけですぅ」
「地形的に利用できそうなところは無いのか?」
 タイネーブに言われなくても、その可能性は常にファリンの中で考えられている。どこに行けばこの状況下を打開できるのか?
 しかしそんな都合の良い場所あるわけが無いし、そもそもそう簡単に彼らを撒くことが出来るとも思えない。
 いや。そんなことは無い。
 可能性はあるはずだ。
 だから彼女は諦めない。
「……そっかぁ。あそこなら何とかなるかも」
 偶然か。いや、必然だろう、ファリンが考えるのをやめずに勝利への道を諦めずに模索し続けることで、わずかな可能性という物を引き寄せる。
「良い方法を思いついた?」
「はいですぅ。とにかくこの包囲を突破しなきゃなんですけどぉ〜出来ます?」
「アンタが私を補佐してくれるなら何とかね」
 じりじりと包囲を狭めてくる構成員。一斉に飛び掛るチャンスを窺っているのだろう。同時にタイネーブもその瞬間にかける。
「じゃあそれはお願いしますね。私はどうすれば良いですかぁ」
「私についてくるだけで良い。可能なら施術で援護を」
「判りましたぁ」
 タイミングは実にテンポ良く行われたと言って良い。 二人の短いミーティングが終わった瞬間に、タイネーブは一気に走り出したからだ。ファリンもすぐさま体の向きを変えてタイネーブの後ろを追う。
「あ、かかれかかれ! 手柄はそこだぞ!」
「待ちなさーい! 私に寄越しなさいっ!」
「こっちだこっち!」
 怒号がその場に広がり、二人に襲い掛かる構成員実に58名。さっきより増えているのは気にしてはいけない。
 しかし出だしを完全に挫かれたのか、タイネーブとファリンの方が一歩状況的にリードだ。 あっと言う間に包囲の一角にタイネーブは攻撃を仕掛ける。
「ごめんなさい!」
 謝りつつタイネーブは最も近い構成員の男性を殴り気絶させる。それを投げ飛ばし周辺に居る構成員を動揺させる。
「さっすがですぅ〜今のうちっ!」
 ファリンは全く速度を落とすことなくタイネーブがあけた僅かな隙間に体を滑り込ませそして勢いのまま突っ切る。 タイネーブもそれに続き、あっけに取られたその一角は直ぐに我に返り二人の追跡を再開した。
「待てぇ!」
「ひでぇ! 気絶してやがら……」
「タイネーブさん酷い! 仲間を投げ飛ばすなんて!」
 何となく心が痛くなるようなことを言われるタイネーブ。心の中では謝罪でいっぱいだ。
「もぅ、ほんとおばかな人達ですねぇ〜勝ち負けの勝負に情を挟むのは二流のすることですよぉ」
「……ファリン。私達は三級構成員だよ」
「あ……」
 そんな余裕があるわけではないのに、何故かそう突っ込まずには居られなかったタイネーブである。
「で、どこに行くんだい!? その、逆転の可能性があるところってのは!」
「黙って付いてきてくださーい! 行けば判りますぅ〜」
 そうして逃げる二人。いや、違う。彼女等二人は勝つために逃げているのだ。この状況下を打開する唯一の手。
 与えられたフィールドでこういった状況に、彼らを撒くに丁度良い場所。それはどこか?
 走る二人。追う多人数。
 その光景は異様に見える。なんだか泥棒を追っかけている警察みたいな感じであるが本人達はいたって真面目である。
 イリスの野から、彼女等が目標としているのはその方向からしてイリスの森。
「なるほど、森か!」
「そうですぅ。森なら視界も悪くなりますから、見失う可能性大です」
 確かにイリスの森ならば背丈の高い草や木々が沢山ある。人を撒くには比較的容易に達成出来るだろう。
「それからどうするんだ?」
「後は森の中で潜んでおいて夜になってから活動を再開すれば良いんです。 もう私達二人だけみたいですからぁ、他の人に先を越されるなんて心配無いですしぃ」
 ネルとアストールは明確な時間を指定しなかった。つまり時間はいくらかけても良い。ならばじっくりと攻めれば良いだけだ。
夜になれば人に見つかりにくくなるし、そうなってから各チェックポイントを巡れば彼女等の勝ちだ。
「マズイ! 森に逃げるぞ!」
「ああっ! ちきしょう!」
 流石に追っかけてくる構成員もその事実に気がついたか、二人を必死に追いかけてくる。
 しかしタイネーブの体力はこの中で最も高い。ファリンもまた、それ程では無いにしろ、そこらの三級構成員に負ける程ではない。
 実力。それが物を言う。
 森が近くなる。目の前に広がるうっそうとした木々。普段ならなんて不気味な感じなのだろうと思うが今は輝いて見える。
「よし、これで私達の勝ちだな!」
「そうですねぇ〜」
 勝ちを確信した二人。森の中に入ってしまえばこっちのものだ、と思った矢先。

「よし、試験終了ー!」

 全ての終わりを告げるクリムゾンブレイドの声が彼女等二人、そして構成員全員に告げられた。


 ぷぅ、と頬を膨らませて明らかに納得行かない表情をしているファリン。 顔には出さないがやはり納得行かない感じを出しているタイネーブ。
 そんな二人にネルとアストールは比較的穏やかな顔で二人に近づいた。
「お疲れさん、二人共。それから皆。これで試験は終了だよ」
 師団長の命令なのだからそれに従うのに異議は無い。だが、どうして今終わりを告げたのか。 いまいち納得が出来ない。もう少しで勝てるところだったのに、そうファリンは思っているのだ。
「いやぁ、もう二人が勝ったのは明白だからね。これ以上何も文句はないよ」
 アストールがそんな二人を理解させようとする。
「二人とも良い動きだったよ。ファリンの考えはなかなか良い線行ってたし、タイネーブの戦闘能力は驚かされるばかりだ」
「……でもぉ、私達チェックポイント一つも達成してないですよぉ〜」
 と言ってファリンは用紙を取り出す。真っ白だ。
「中途半端で終わるのはあまり本意ではありません」
 というのはタイネーブ。それを聞いてアストールとネルは顔を見合わせる。そして頷いた。
「任務に対してもひたむき。良いね。条件は十分だ」
 そう言ってネルは二人の前へと躍り出る。
「やれやれ。これでやっと私の最初の任務が終わるよ」  そしてネルはタイネーブとファリンの二人に対して微笑んだ。 「おめでとう。あんた達はこれから二級構成員だ。宜しく頼むよ」
 ぱちくり、と突然の宣言に目を点にするファリンとタイネーブ。流石にいきなり合格を言い渡されるとは思ってなかったのだろう。
 当然である。いつもこんな突然言われることは無いからだ。
 だが、ネルは基本的にそういった型に嵌るような決め方をしたくないらしい。それが、新しい師団長の姿である。
「皆も納得だろう。これだけの人数で追いかけて二人逃がしてしまうところだったんだからね」
 確かに。状況的に不利だったのは残りの構成員。 それにタイネーブの実力は皆知っていたし、 ファリンは良く判らないが仲間のうちではかなりの策士であるということが知られている。
 この二人が二級構成員となることに、不満を持つ者は居なかった。
「ふ、ふぁぁぁ……」
「わ、私が二級構成員……」
 ぺたん、と腰が抜けたのか力が抜けたのか、ファリンはその場に座り込んでしまう。 対象的にタイネーブは辛うじて立ったままだが、明らかに視線が一定していない。
「ほらほら、師団長直々に辞令を貰うんだから。もっとちゃんとしないとダメだよ」
 そんな二人を笑いながらアストールは起こす。ファリンに手を貸して立たせ、タイネーブの目の前で手を振って気付かせる。
 こほんと咳きをして、そして一度だけネルは目を瞑って、開けた。それで彼女は真面目な顔になった。

「封魔師団師団長ネル・ゼルファーが命ずる。タイネーブ、及びファリンは本日付で二級構成員として行動するように。 細かい手続きは追って通達する」

「……」
「……」
 突然。そういえばあまりにも突然の任命にあっけに取られる二人。
「ほら、復唱は?」
 苦笑しながらアストールが二人の肩を叩くとほぼ同時に、彼女等は口を開いた。
「「ほ、本日付で二級構成員として行動致します!」」
 それを聞いてようやくネルはやっと肩の荷が下りたと感じる。
「やれやれ。もう疲れたよ」
 ははっと微笑むネル。それに釣られてようやく、 ファリンとタイネーブも実感が湧いてきたのか喜んだ表情をしてお互いに手を取り合う。

 彼女の最初の任務。それがこれから先直属の部下として鍛え上げ、何度も任務を共有する仲間となる者の選抜であった。


−Fin−