月見の夜


 人が恐れそうな、夜遅くの墓場。一人の不審者、と思わしき人物が何かを片手に闊歩していた。 歩くたびに、それはちゃぷんと音立てる。大きな歩幅で進み、ちゃぷちゃぷと揺れながら、 履いている下駄が、小さく、カラコロと音立てた。
 その上、上半身は、裸。
 もしも誰かが、唐突にこの男と出くわしていたのならば、腰を抜かすであろう。 昼間でも不審者、夜中ならば変質者、といった具合か。 それでも、この男の顔を知らぬ者は、この国にいないのは幸いか。
 相変わらず、手にしている酒瓶から緩やかな水音を奏でていると、彼はようやく、足を止めた。
 とある、墓の前だ。
「来たぞ」
 親友の墓を前に、手に持っていた酒を掲げる。
「お前が好きだった酒だ。今年も持ってきてやったぞ」
 封を切り、栓を抜くと酒を墓にかけていく。丁度、瓶の半分飲ませた所で、手を止める。
 自分も瓶に口をつけて、一気に酒を煽った。 喉を、熱い感覚が焼いていく。純粋に、酒はどこまでも美味かった。
「ふぅ……」
 瓶から口を離すと、喉といわず、全身を焼く熱さが走る。
「おっと。忘れていたな。お前と、そしてあの戦争で死んだ同胞達に」
 乾杯。
 また、瓶に口をつけた。酒は再び、アドレーを焼く。
 ちゃぷんと、小さな音を立ててから、親友の墓の前にどっかりと腰を下ろす。
「早いものだ。お前が死んだかと思えば、もう戦争が終わっている」
 時代は平和へと進むのか。それとも、再び混沌に進むのか。
 それは、誰にも解らない。
「驚けネーベルよ、ワシは星の船にも乗ったぞ。お前の娘、ネルもいたがな」
 膝を叩き、笑う。もしも、目の前の墓の男が生きていれば、 “なんだと?”もしくは、“本当か、アドレー?”と、渋い顔で言っていたに違いない。 死んだ者達とて、”本当ですか? でもアドレー様なら星の船も凌駕しそうですね!”などと、 のたまってくれたに違いない。それも、もう。
「……早いものだ」




 昔の話だ。
 ゼルファー家と、ラーズバード家。特別仲が良い、というわけでもなかった。 でも、特別仲が悪い、という間柄でもなかった。 普通といえば普通、交流もそこそこであったが、ネーベル。そしてアドレーの彼らの代から少し変わる。
 初邂逅はアドレー、齢20。ネーベル、齢10の時の事。 師団員の大教練の時の話だ。この時、アドレーは既に師団長。 ネーベルは『闇』の、二級構成員であった。
 使える奴が『闇』にいる、というのは、アドレーもよく聞いていた。齢10にして、異例の大出世である。 一応、アドレーも光やその他を指導する側ではあるが、目はそろり、そろりと 『闇』のほうへと向いていく。どんな奴なのか。使える奴ならば無論欲しい。
 好奇心が募る。
「一度会ってみたいものだ」
「アドレー様ッ!」
「うむ?」
 ひげもない肌も若きアドレー、よそ見していて顔面に木刀が叩きつけられることはなかった。 身を翻し己が握る木刀で、相手の喉下にピタリと突きつける。
「はっはっは、相手の油断を誘うことも作戦のうちだ! ほれ、次!!」
 肩を木刀でこんこんと叩きながら、次を誘う。
 若い師団員達が次々とアドレーに挑んでいくが、軽くいなされていく。
(もう少し骨があるといいんだが……)
 そうこう思っていると、また新しいのが木刀を手に、進み出てくる。
「お相手、お願いします」
「む」
 深紅の髪に、鋭利な眼差し。その背丈はまだ低く、幼く見える。
(こやつ……)
 誰だっけ? などと思っているうちに、勝負は始まっていた。
 互いに木刀を切り結び、弾けるように飛び退く。アドレーは激しくは動かず。 深紅の髪の男が、さらにアドレーの周囲を跳び回る。
「おもしろい」
 にぃ、師団長の笑みが強まり木刀を握る力が強まった。名は知らぬ、だが、活きや良し。
 動き続ける者を尻目に、アドレーは、一歩も動こうとはしない。眼球は、ただ真正面を見据えるのみ。
「……」
 試されているのか、はたまた。深紅の男もまた、一手の先の先を読みつつ、動き続けているがアドレーに動く気配はみられない。
(ならば!)
 動きが、加速し、背後に立ち回る。アドレーは未だ正眼、はたから見ればスキだらけだが。 誘いとも取れるその仁王立ちに、背後から襲い掛かる。一気に、間合いを詰める。
(これをどう凌ぐ?)
 木刀は突きの構え、突進の姿勢でいざ背を突こうとした間際。 ようやくアドレーが動いた。手にしていた木刀を背に回し、なんとも上手く、突きに合わせてくる。
 一撃は、止められた。
「……ッ!!」
「惜しいな」
 ただ、一言だけ述べて、この時代でもやはり上半身裸体の体がぐるりと周り、二人の木刀が離れる。
 深紅髪をした子供は油断なく構えていた。
「何故、気づかれたのです?」
「うむ、強いてあげるなら音が変わったからだ」
「音が……?」
「オレの周囲を動く音が変わったから、な。それだけだ。 もしも無音で動かれていたら、お前の突きはオレの背に刺さっていただろう」
 ニヤリと笑いながら、また木刀でトントンと叩く。
「名は?」 「……封魔師団二級構成員、ネーベル・ゼルファーにございます」
「ほお」
 と、先程、いや、つい今し方思っていた相手と会えるとは。これも何かの縁か。 僥倖、と思う幸先だが、運が無かった。
「いざ」
「いや、残念だがここまでだな」
 幼きネーベルが再び仕掛けようとするのを、アドレーが制する。
「今日はここまでだ」
 鼓の音が連続して伝わる。訓練の、終了の時間だ。
「その年で、いい腕だ。光に来ないか?」
「……お断り致します」
「ははっ、そうか」
 速攻で振られた、アドレーであった。

 この後も、二人は堅実な関係を重ね、八年後、ネーベルは封魔師団長に上り詰め、 その翌年には、二人はクリムゾンブレイドを拝命することになる。


「アドレー」
「……」
「……おい、アドレー」
「おお。すまなかったな。昔の、お前を思い出していただけだ」
「……いつの話だ」
 既に大人の顔になっているネーベルだが、切れ目と、深紅の髪だけは変わらない。 昔よりも、鋭く。そして抜け目なくなっているように見える所だけは、変わったのかもしれない。
「なに、お前が封魔師団長についた時の話だ。ワシを呼び捨てにしろというに、お前という奴は」
「……煩い、昔の話だ」
 昔々、とはいってもさほど昔ではない二年前。ネーベルが封魔師団長就任の際、アドレーからこれで同格、 今までつけていた「様付け」を捨てろといってみた所、
「ふっ……お前ときたら、顔を真っ赤にしてなぁ?」
「……うるさい、もうお前の呼び捨てには、慣れた」
 そして今も、顔を真っ赤にしていてるのだから、つくづくからかいがいのある忍だ、とアドレーは一人ほくそえむ。
「……とっとと行くぞ、今日は文官達と話し合いだ」
「おう、解っている」

 この時、定王13年。 まだアーリグリフとの戦争の予兆も見えず、世は平和と見えた。

 ……。
 墓前に一人座し、アドレーは一人涙を流した。
 その墓に刻まれた名を見ているだけで、己のうちに沸々と湧き出るものがある。 今でも、あの時ネーベルの元に自分がいればと考える時がないわけではない。 怨みがないといえば嘘になる。
 でも、時は金也。多少は風化した。でも、友への想いは何も変わらない。
 最初は年下で、甘く見ていた節もあるが、頭角を現してからは、同格であった。
 よき、友であり、よき相棒よ。
 一度だけ、涙を拭った。それでも涙は流れる。
「泣き言は言わん、だがお前の墓前に来る度に、ワシは昔を思い出す。ネーベルよ。ワシらの時代は、もはや終わったと見るべきであろう。 ネルやクレア、そしてフェイト殿、いや、若い世代は次々に登って来るだろう。 若さは力だ。オレも、お前も、駆け上ったように。次々に新たな者達が姿を見せる。 力強い芽が次々と萌え息吹くのだ。そして駆け上った者達もまた、老いが来る。 必ず、いつかは知らんがワシの墓も、ここに並ぶ日がくるだろう、だが、 ワシは、易々とお前に会いに行こうとは思わんぞ。しぶといからな」
 瓶に口付け、残りを全て飲み干す。 雫が口元より、髭に触れた。
「ふん。ネーベルよ、今しばらくはそこで待っておれ。いつか必ず、クレアとフェイト殿の可愛い孫について話を聞かせてやるからな」
 わっはっは! と声だかに笑いながら、膝に手をあて、立ち上がり、改めて墓を見やった。
「また来る、今度はお主の死んだ日に来るとでもしよう」
 気軽に、じゃあな。とでも言うかのように、アドレーはその場を後にした。
もしも、彼が生きているとしたら、“うむ。待っているぞ。”と普段から仏頂面の割りに、 相棒に対しては気を許した男の言葉が、心に沁みたに違いない。


 墓場からアドレーが去り、気付けば朝日が昇り始めていた。
 ちなみに“朝帰りの上に、こんなにお酒臭いとは何事ですか!?”と、愛娘に。ばごーん! と吹き飛ばされたのは、お約束だ。
 アドレー・ラーズバード。老いて益々健勝のこととあいもうす。


−Fin−


執筆者:汀