光と闇と刻


「たった一人で私に当たろうとは、全く、貴方の気は知れないな」
 陣営の幕舎を出たところで、男は左手に鞘に納めた刀を持ち、影のような者と対峙した。 夜に映る影は、ふっと地面に消え入るような声で笑いを洩らした。
「その言葉、そっくり貴様に返してやろうか? いや、失礼にあたるのかな。ラーズバード卿、とでもお呼びしたほうがよろしいか?」
 厭味を僅かに含ませたような言葉に、影に対峙する男は眉を顰める。
「そんな顔をするな。どうせもう残り短い命となろう。俺を敵としたからには、な」
 影は自信をその体と言葉にに漲らせる。さわさわと冬の樹の葉が擦れる。 夜風の泳ぐ大気が、ぴりぴりと振動をして緊張をはじめたようであった。
「その言葉、何度目です?」
「五度目……そう、五度だ。それだけに渡って、お前に俺の刃は届かなかった」
 ――が、それも最後だ。そう風に乗せて呟き、影は白刃を月光に煌めかせる。
「お前の命を奪えば、反勢力は瓦解する。マーリアとお前、二つの柱の片方が倒れれば、最早支えることはかなうまい」
 一々影の講釈を聞くまでもなく、それはわかりきったことである。シランドにまで届くであろう我が軍の刃。 が、その刃は両刃の剣ほどに薄い。ラーズバードと呼ばれた男は、銀髪を月夜になびかせる。 年齢の割に渋味がかかったその面貌を影にはっきりと向ける。
「何故、それほどまでに私の命を狙うのです?」
「決まっている。それが俺の使命だから――否、我が家のあるべき道だから、以外に何がある?  陛下の心痛の種を排除することは臣下の務めだろう?」
「それほどまでに、仕え涯のある君主だとは到底思えませんが? 余人は兎も角貴方にとっては、ね」
 ふん、と影は小さく鼻を鳴らす。見澄ましたような銀髪の男に対して、皮肉を交えたように。
「君主の出来不出来は関係あるまい。俺は陛下の、否、聖王国シーハーツの騎士なのだから」
「たとえそれが国の余命を短くするものでも?」
 影はまるで応えた様子はない。
「そんなことは俺の知ったことか……逆に返すぞ? 貴様は何故そこにいる? ラーズバード。伝統ある家を絶やさぬ為か?  マーリアがそれほどすぐれた君主といえるか? シーハーツの未来を託せる人物と言えるのか?  シルヴィアT世に勝る器というのか?」
 銀髪の男は目を細めて、瑠璃色の瞳に影の姿を映し出した。小さく頭を振ったその男は、瞳に明確な意思を示していた。
「まさか。解放女王には遠く及ばない。が、今の女王ほど悪くもあるまい」
「ほう、ましなほうを選んだ、ということか?」
「いや、別にマーリアが正しくて、女王が間違っているから私はマーリアを選んだのではない」
「真逆、惚れたか?」
「ええ」
 やけに清々しい笑みを浮かべられると、影のほうとしては毒気を抜かれてしまう。銀髪の男は刀の柄に手をかける。
「私だけじゃない。マーリアの傍にいるものは、皆、彼女に惚れている。そして、私がそれに気付けたのは、貴方の御蔭でもある。 そのことについては感謝しますよ」
 影の姿が銀髪の男に一歩、二歩近づく。
「ほう、では、礼に命をもらっていくとしようか」
「はいどうぞ、というわけには行きませんね――」
 銀髪の男もまた一歩踏み出す。砂塵が舞い、月光に照らされる互いの姿が見えなくなる。刹那。
「「はぁあああああああ!!」」
 剣と剣がぶつかる音は、二人の気の大きさにかき消された。


***


「負けた、な――」
 影は力を喪い、地面に倒れこむ。男は刀を鞘に納める。肩で息をしている。
「哀れだな。この俺が、実力差をこうも見誤っていたとは――」
 自嘲する影。男はそれに対して、答えを返す。
「いや、危なかった。でも、私は負けるわけにはいかなかった。私はマーリアの牙なのだから」
 男は影を見下ろして、自らのあり方をそこに示した。この国を照らすべき光。それになれるのは彼女しかいない。 王となる女の牙。そこに男は自分を見出した。
「何故だ? 何故――止めを刺さない?」
 刀を納め、その場から立ち去ろうとする銀髪の男に向かって、地面に伏した影はうめく声で問いかける。
「何故?」
 ぴたりと歩みを止めた銀髪の男。影は憎まれ口を一つ叩く。
「今殺しておかねば、また貴様やマーリアの命を狙う。俺は貴様の大切なマーリアに仇なすものなのだぞ?」
 銀髪の男は、背を向けたまま、その問いに答える。靡く髪は、男にしてはずいぶん綺麗ではあった。――仇、なす?  ふふ、と男は微笑を含ませた。
「とんでもない。マーリアはそうは思っていないようですよ」
「何? ……」
 影は顔をゆがめる。それは肉体的な苦痛だけではなく、男の意外な回答に対するものかも知れなかった。
「あの方は国に忠誠のある方、殺してはならぬ。そう仰っていました」
「馬鹿な? ……」
「威勢のみを頼りに、右往左往する佞臣と違って頼りにすべき方だと」
 男は軽妙なのか、重々しいのか判断がつきにくい口調で、かつ淡々とそう述べる。
「――ならば裏切りは期待できまい? それは理解していよう。なのになぜ生かす?」
 それは影の純粋な問いであった。男は簡単ですよ、と指を立てる。
「国に忠誠を誓う者なら、私が女王に正式に即位すれば、頼りにすべき方となる――ということだそうです」
「なっ――ば、馬鹿なのか?」
「ええ、大馬鹿者ではあるでしょう」
 男はその次の言葉を飲み込んだ。影にはその悲しい顔を悟られぬようにして。マーリアは、大馬鹿者にならねばならなかった。 それだけのことであった、と。
 影は胸の奥がぽっかり空いたような感覚に陥った。
「マーリアは次を見ています。貴方は、どうなのです?」
 影は何も答えない。銀髪の男はようやく振り返ったが、敢えてその手を取ろうとはしなかった。 影を一瞥すると、一言を残してその場から去って行った。
「因果なものですね。私と貴方、ラーズバードとゼルファーというものは」
 影の耳に彼の声が木霊する。唇の端を歪める影はその目に、空の欠けた三日月をくっきりと残した。 大地を吹き抜ける風に冷える躯の感覚を覚えながら、瞼を閉じる。その裏には、影の幽かな過去の記憶が映し出されていた。
「ラーズバード、か……」
 その呟きは、誰にも聞かれることなく硬い大地に落ちて行った。


***


 邂逅の時に格別因縁めいたことを感じたわけではない。只それでも、影にとっては少々その男――当時は少年――の 存在はやや特異なものであったことは否めぬ。

 宴の場は好かぬ。それがその時抱いていた偽らざる感情である。 立場故に父に従い出席せねばならぬとはいえ、阿諛追従しか知らぬ者たちと合わせたくもない顔をあわせ、 隠れて正義を標榜しつつ女王を非難しつつも、自らは何も変えることはできぬ者たちが女王に仮初の笑貌を見せるのも滑稽ではあったが、 しかし快い光景とは到底言えなかった。
「これはこれは、ゼルファー卿」
 低い声である男が父に声を掛ける。白髪のその男は笑顔を浮かべてはいるが、しかしながらその裏に疲労と、 それ以外の何かを隠しているようであり、上っ面が歩いているようにすら幼かった自分に感じさせた。 老いを皺として刻んだ顔は、老獪さをも刻んでいるかのように映った。尤もそれは男に家格に準じて尊大に応対している 自分の父とて同じかもしれぬが。
 男は自らをラーズバード、と名乗った。ラーズバードと言えば建国の功臣を輩出した名家中の名家にも関わらず、 衰亡の一途を辿り今やその見る影もない小家である。男の卑屈さを感じさせる腰の低さはそこから来ているのだろう。
 その男の隣で素知らぬ顔をして賑やかな宴席からは目を背けていた少年が居た。 その少年は目で礼を返してこちらを一瞥したが、ただそれだけである。ただ目の覚めるような銀髪は燭の光を含んでいて艶があった。 気がついた男が慌ててこちらに媚を振る。みっともない。
「申し訳ありませんな。愚息が無礼を」
 この少年が息子ということは、白髪に見えた男のほうも同じ髪色であり、見かけよりは存外若年なのかも知れぬ、と思いなおした。 それがいかに労苦を体に刻んでいるかを実は示している、ということまでは年若い身では思い至りはしなかったが。
 愚息と呼ばれた少年はしれっとした態度で頭を深々と下げる。少年らしい少々高い声で、耳障りは無い。
「未だ礼のならざる者故、ゼルファー家のご子息に対して失礼を致しました。衰頽零落した家の者としては分不相応ではありました」
「こ、こら」
 やや慇懃に見える態度に、少年の父がそれを窘める。こういう場であるから声を張り上げるわけにもいかず、 また、父親の態度から普段から少年のことを少々持て余しているようにも見えた。そうした二人に向けてくっくっと笑いを押し殺す。 「『子息』……か。そうか。そう見える、か」
 その言葉に対して少年は怪訝な顔をしたが、しかしながらそれすらも対して興味を持たぬようであった。 ただその反応は、少年に言葉をかけた者の稚心には多少苛立ちを与えたらしい。
「ルシール・ゼルファー、俺の名だ」
 ぶっきらぼうにそう言い放つ。貴族としては随分と口が悪い。 が、少年はそうですか、と一つ頷くだけでさして興味を示さない様子である。
「いい度胸だな」
「何が、です?」
 冷えた語調のルシールに対してどこか少年は飄々としている。
「何も知らぬのだな」
「未だ幼く至らざる身です。ご容赦を」
「気がつかないのか? 鈍いな。それなら構わん。が、俺は名を名乗った。にも関わらず俺は貴様の名を聞いていない」
 少年はふむと納得したように一つ頭を下げ、儀礼的に一歩下がる。
「申し遅れました。私はアーサー、アーサー・ラーズバード」
 さらっとした声色である。それを聞くとふっとルシールは底意地の悪さを表情の裏に潜めた。
「そうか、覚えたくもないが記憶の片隅には留めておこう。が、お前は一つな、勘違いをしている」
 右の眉を僅かに上げてアーサーは表情を変える。それを見るとルシールは隠していた意地の悪さを頬のあたりに出す。
「いいか、俺はな――」
 その言葉は、アーサーにほんの少し小さな驚きを与えた。


***


ゼルファーがラーズバードに敗北を喫してから更に半年後――

 聖なる都シランド。白亜の王城の玉座に君臨するものの姿は代わっていた。 永い戦は新女王の即位という形で一旦の結末を見せたのである。マーリア・エミュリールがシーハート24世に即位することによって。
 左右に並ぶ功臣達は一様に晴れがましい顔をしていた。それは自分もきっと同じなのだろう、 と玉座に坐すマーリアを見上げる男は感じていた。
 マーリアが女王になれば全てが解決するというわけではない。絶大な施力を持つが故にアペリスの巫女でもある彼女だが、 その天与の才に地位を与えたアペリスがたとい神であれ、マーリア自身はどうあがこうと所詮は人である。 感慨に耽りたい気持ちは山々であるが、気を抜くことが許されるほど現状は甘くない。
 国外において、南方と北方は豺狼の如き眼を我が国の豊穣なる土地に対して光らせている。 ぶきみに沈黙する東方にも気は許せぬ。と、なると自然手を携えるべき相手は西方になるが、しかしかの国は難しい、というのは、 もっともサンマイトに身を寄せていたマーリア自身が肌身に感じていることだろう。
 ともあれ、国内を先ずは整えねば話にもなるまい。この儀はその為の新たな第一歩である。

 彼、アーサーにとってマーリアは正しくアペリス、太陽の使いであった。見えにくい御仁だ、と周囲に評されるアーサーも、 人並みの価値観に固執する性はあり、ここへ来てラーズバードの家名が再興する運びとなったことを一種の奇跡と感じている。
 ――アペリスの巫女。尤も強大な施力を持つ者が冠することのできる称号。掘り出した地中の璧が天に昇り、 そして自家を照らしている不思議をアーサーは噛みしめていた。確かにマーリア擁立に大いに貢献した、という自負が自身にはあるが、 然しながらである。果たしてそれは自ら動いたのか、はたまた彼女に動かされたのか。時折その最初の一歩がどうであったか、 と、足許がぐらつく時がある。  ――どちらでもよい。そう心に秘めてアーサーは太陽を見上げる。光が強い。が、それは炎で人を焦がす孟夏の太陽ではなく、 人に温もりを与える冬日の日であろう。
「アーサー」
 そう名を呼ぶ声が聞こえる。それに誘われるように、しかし粛然として声を受け止める。その声は唯一人の君主の声。 幾度自分に掛けられた声だろうか。そこには幼き日の甘えは微塵も含まれていない。正真正銘の女王の声である。
「我が国の支柱にして牙よ――」
「我が身には過分なお言葉――」
 褒詞に対して一歩引き、銀髪の頭を伏す。新たな女王は一つ瞼を閉じて頷くと、静かに腰を上げる。
 ふっ、とその時空気が変わった。アーサーは振り返って通路の側を見つめる。群臣の視線もそちらに一斉に向けられる。 すると、静かに黒衣を纏いし影が足音を立てずに現れた。
「き、貴様…」
 緊張が一気に全員に走る。絶句して声を上ずらせ、懐中の刀を抜こうとする臣すら現れる。 影はそれを一瞥することもなく静かに、只静かに新しき女王に歩み寄る。アーサーもそれと目線を合わせるが、彼は動こうとはしない。 影はらしくない微笑を頬のあたりに浮かべる。銀髪の男は眉を一寸満たないほどにあげる。 女王の傍らの者たちが仕えるものに上ずった声で耳打ちをする。が、女王は厳然とした態度で宥める。
「見苦しい真似はおよしなさい」
 澄んだ女王の声がすっと響く。
「し、しかし……」
「貴方の心配しているようなことは起こりえません……厳粛に」
 女王の命が力を発し、厳然さを皆が取り戻す。影はふっと苦虫をかみつぶしたような、そんな風にすら聞こえる声を発する。
「怖くはないのか? この俺が。貴様の命を狙いに来たかも知れんのだぞ?」
 女王はまるで怯むことはない。
「たいして面白くもない冗談を言うのですね。ゼルファー卿」
「……ふん」
 影は懐中に手を忍ばせ、鞘のついた短刀を取り出す。再びどよめきを取り戻す。アーサーですら頬に冷たい雫を伝わせかけた。 女王はそれでも泰然としている。君主としての威厳を保ったままである。アーサーもそれに落着きを取り戻した。
 ――変わった、か。それにこの上ない喜ばしさを感じるのは当然として、今一つどこか寂寥感が胸の隅のほうに残るのは何故であろうか。 栓のない考えを脇に追いやる。影、ルシールには目を離さない。女王に対して手が届く位置までルシールは近寄る。 手元の刃を煌めかせればいくらアーサーでももう間に合わぬ。が、マーリアに信を置くが故にアーサーは体を動かせぬ。
 ルシールは鞘に入った短刀を左手を添えて差し出すようにする。女王は一言も発せずにその短刀に目を這わせる。
「そうですか、貴方の手元にあったのですね」
「いや、これは最早貴様のものだ。マーリア、いや、陛下……」
 膝をついて、上に捧げるようにして掌に短刀を載せる。輝きを発するその柄と帝王たる竜のあしらいを施した鞘。 宝具と言うにふさわしい重厚を見る者に感じさせるそれこそは、正しくシーハーツの宝である。
「『竜穿』ですね。まぎれもなく」
 アーリグリフに残る魔剣・クリムゾンヘイトと並ぶ古代シーフォートの遺物である。
「姉上が貴方に託されましたか」
 無感動な女王の声。それがいかな悲しみによって生み出された声か理解するものはそうはいない。
「……ああ、俺の手を伝い、そして最後に貴様に託す為に」
「なれば何故、と姉上に問うのは意味無きことなのでしょう」
「死人に口はない。問いたいのなら全て終わらせてからにするのだな。貴様は血縁の屍の上にようやっと立っている女王なのだから」
「理解しています」
 再びルシールは短刀を捧げるようにする。不遜な口調とは裏腹の態度である。マーリアは受け取らぬ。
「恐れをなしたか?」
「真逆。恐れてもらうのは貴方の方です」
「首でも取る気か? その程度の価値を見出してもらえるなら光栄だが?」
 やはりどこまでもルシールは不遜である。
「否、『竜穿』は確かに受け取りました」
「何?」
 短刀は寸分も変わらずルシールの掌の上に乗っている。苦さを目許に表すルシール。女王は前の言葉に続ける。
「その上で、貴方がそれを預かることを命じます。無論、用いて貰って結構です」
「正気か?」
「正気を保ってこの戦を勝ち残ったものがどこにいます?」
 唖然とするルシールに対して、女王は対照的に平然とした態度で冗談を交える。
「先王は然るべきものの手に渡るように俺に命じた。最期の遺志を汲ませない、詰まらぬ意趣返しか?」
「下らない冗談を何度も口にするものではありませんね」
「どちらが、だ」
 吐き捨てるように言って下唇を噛む。
「然るべきもの、貴方の手に渡ったのではありませんか?これで」
 ルシールを指してそう諭すようにするマーリア。
「国の宝だ。女王が納めるべきものだろう。逆族に相応しくはあるまい」
 現にクリムゾン・ヘイトはアーリグリフ王家から動かされたことが一度もない。マーリアは静かに頭を横に振る。
「何が違う?」
 ルシールはそれに食ってかかる。生来の気の強さというものであろうか。檀下のアーサーはただ君主の貌を見つめている。
「確かに古代からの遺物は我が国の宝でありましょう。が、所詮小さなものにすぎません」
「――ほう? では、聞かせてもらおうか、大きな宝とやらを」
 女王は、マーリアはここで幽かに小さく口許を綻ばせて消え入りそうなくらいの、その癖に明瞭な笑みを向けた。 そこにはルシールの心を砕く何かがあった。アーサーは二人を複雑な面持ちで其れを見つめていた。


***


「――あらかじめ、聞かされていたのにな」
「急に何を」
 赤毛の女がぼやくようにする。銀髪の男は聞いているような、聞いていないような曖昧な調子でありながらその言葉に返答を返した。
「いや、昔を思い出していただけだ。気にするな」
「元より気にしてはいませんよ。余りね」
 変わらんな、そう女は目を外に向ける。綺羅星が空を彩る様が薄雲に隠れている。一寸は気にしろ、と消えそうな声で呟くが、 まるで隣の人間には聞こえていないようであった。
「貴方は変わりました? ルシール」
「知るか」
「そうですか」
 女はくすんだ赤の毛を指に巻く。本当に変わらん、と目の前の男を見て改めて思う。黒いドレスが僅かに風を受けて靡く。 一見肌寒そうにも見えるくらいに肩や腕が露出しているが、対して彼女は気にしていない。ああ、と銀髪の男は思いついたように、
「そういう服が似合う位には、まぁ変わったのだと思いますよ。貴方は」
 と軽口を叩く。言われた方は眉根を寄せて不機嫌そうに腕を組む。
「褒めたつもりか? それは俺には褒め言葉にならんし、第一貴様に褒められて喜ぶ程馬鹿ではないぞ」
「やれ、やれ、やりにくい」
 首を竦める銀髪の男に対して、俺の台詞だ、と余程言い返してやろうかと思ったが言葉を喉の奥で止めておいた。
「まさか、貴様と組むことになるとはな」
 ふっとついたため息が冷たい空気の中に消える。目の前の男は元来歯牙にもかけなかった小貴族であった。 それがマーリア王女の元で頭角を現し、終ぞ王女が反旗を翻した時にはその中核となっていたのである。 そして今――こうしてその王女が女王として君臨した今、自分が彼と肩を並べているということに、 ルシールは世のふしぎというものを身をもって感じていた。
 そうした激動の最中にあって、彼と言う存在は対蹠的に変わって無さ過ぎるようにも思える。一体これはどうしたことか。
「ええ、私も貴方のような高家の方と肩を並べることになろうとは、露ぞ思いもしませんでしたよ」
 心の中を見透かしたような台詞を吐くアーサー。矢張りやりにくいというのは此方の台詞ではないか、とむすっと表情を 硬くした女は、一陣吹いた風に短い髪をさらっと揺らす。
「腐れ縁というほどでもないが、そういうものは碌でもない男とは持ちたくないものだな」
「また、厭味を言うのですね」
「貴様に言われたくはない」
 ぴしゃりと言い返すと、彼女は腹を抱えて少し苦しそうにして肩を震わす。
「御腹でも、冷やしました? 言わんことはない。不養生はよろしくない」
「余計な御世話だ。馬鹿」
 毒づく彼女を無視するといった図は珍しいことではない。兎も角、と空を見ながら白衣をまとった男は続ける。
「組みたくなかろうがいい加減愛想が尽きようがなんだろうが、ともあれ私達は陛下を支えなければなりません。 その為の戦力としての貴方には、大変な期待をしているのですよ」
「軍司令として、か?」
 細い目で男の顔を覗きこむ。男は微笑を静かに浮かべる。
「いえ、供に陛下を奉戴する者として、シーハーツの騎士としてです」
「ふん……益々気にくわん」
 ぷいっとそっぽを向いた女は懐中の小刀にふと手を伸ばす。女王に授けられた宝具である。
「とんでもないものをさらっと預けてくれたものだな、あの陛下は」
「それくらい出来なければ、今頃陛下はとうにアペリスの元へ旅立っている頃でしょう」
「貴様と供に、か?」
「語るに及ばず――」
「そうか……貴様は陛下という立場に仕えているわけではないのだものな」
「貴方だって今は同じでしょう」
「いや、俺はどこまでいったって俺だ。変わりはしない。ゼルファーとはそういうものだ」
「……そういうことにしておきましょうか」
「本当に気にくわん奴だな」
「もう言われ慣れましたよ。お互い様です」
 ふっと銀髪の男は赤髪の女が持つ小刀に目を留める。鞘の奥に秘められた冷気と、ここに吹く風の冷たさがイメージとして被る。
「まぁ、何にせよ頼みますよ。あまり先走ったことはしないよう」
「俺を誰だと思っているのだ」
「他ならぬ貴方だと思っているから、そういう余計なところで心配をしたくなるのですよ。 次の戦、勝たずとも負けることは許されません」
 声色が真剣身を帯びる。言われずとも分かることを敢えてこの男が言い直す。珍しく緊張を隠しきれていない。
「そうだろうな。勝算は?」
「五分」
「随分と弱気だな。『光牙』とまで呼ばれた男が。一度退けた相手ではないか」
「状況が違う。私としては百年この国を持たせたい。彼女の為に」
 ほう、と赤毛の女は興味深げに男の様子を見る。まぎれもない本音のようだ。
「欲が随分と出てきたな。もっと気楽にいってはどうだ?」
「それが出来る性分ならいいんでしょうけどね」
「おや、本音が出てきたか」
「本音かどうかの判断は、貴方にお任せしますよ」
 目許に疲れを表す男に、ふとルシールは手許の小刀を鞘に入れたままつきつける。男はきょとんと眼を丸くする。
「今更決着、とか言い出さないで下さいよ。とっくについているのですから」
「それがついているかは別として、そんなつもりはないさ。只な――」
「ただ?」
「変に貴様一人がしょいこもうとするな。貴様が期待とやらをしている俺も、ここにいてやる。光には…闇がつきものだろう?」
 やや目線を床に下げながらルシールは小さな声で呟く。二人の間の空気にかきけされそうな声で。 しかし、アーサーはその声を確実に受け取ったようであった。
「そう、ですね。ですが――アーリグリフの件だけではありません。この国は見かけより随分と脆い。 女王の神性だけではどうしようもない事態に、遠からず何れ直面する。私とて、この国をいつまでも見守っていれるわけではない」
 感情を沈ませるアーサーに対して、ルシールは一顧して鼻を鳴らす。下らない、と。
「当たり前だ。だから皆で支える。俺も、貴様もその為にいる。だからこそ、俺はゼルファー家として国を守る」
「家、として、ですか」
「ああ、貴様とてそうだ。貴様個人で支えていくというのは、ずいぶん安っぽい身のなし方ではないか?」
「……驕っていた、と。私が」
 アーサーは瞼を閉じて表情を静かにする。それは相手の言葉を静かに飲み込んでいるかのようであった。
「俺は誓おう。ゼルファーの頭領として、我が家名が続く限り、我が家はこの国に忠誠を誓い、累代の女王に与力せんことを。 貴様はどうする?」
 アーサーは何も言わず、しかし幽かな笑みを浮かべつつ、くるりとルシールに背を向けた。
「私にはそういった誓いはできません」
「……ほう?」
 ルシールは低い声を少し上ずらせる。アーサーは一歩だけ前に歩みを進めて、彼女の方を振り返らずこうつぶやく。
「しかし、助かりました。貴方ほどの方がそうまで言って下さるなら、きっとこの国は大丈夫でしょう」
 はぁ? と彼女は脱力したような声を出す。矢張りこの男はわからぬ、と小さく諦めたように小首を振る。
「ルシール」
 相変わらずアーサーは彼女の方を見ない。なんだ、とルシールは投げやりである。
「ありがとう……」
 余りに優しい声色に、ルシールは目の前の男が言った台詞だとはすぐには認識できなかった。 素直すぎるその言葉に、顔の色がどうなったかわからない彼女はうつむいて彼の名を呼ぶ。
「アーサー、貴様……」
 しかし名を呼ぶ頃には、彼の姿はその目の前から消えていた。ふっと再び力が抜けた彼女は、 鍛えている割には華奢なはだけた肩を震わせるが、しかしながら彼女の瞳の裏には、彼が振り向いたその顔が浮かぶようであった。
「礼は聞こえるように言え、馬鹿が…」
 その小さな恨み事は、しかし自分以外の誰にも聞かれることなく消えた。


***


「……まぁ、このお二人からかのう。我が家とゼルファー家がこうも親密な仲となったのは」
 銀髪の中年の筋肉質な男が、顎を撫でながら二人の少女に語りかけている。一人はその男と同じ銀髪を長く伸ばしているが、 儚くも見えるその風貌はとても親子とは傍からは思えないであろう。その隣で大人しくこくこくと話を聞いて頷いている少女の髪は赤く、 銀髪の少女よりはるかに熱心に聞いているようであった。
「あ、アドレーおじ様。それで、その二人はどうなったのですか?」
「ふむ、それはじゃな……」
 思わせぶりにためを作った話しぶりに、赤髪の少女は首をのばさんばかりにする。 するとまるでアドレーの話を妨げるようにりん、と来客を知らせるベルが鳴る。 赤髪の少女はふわっと花の綻ぶような顔をしてそれに耳を澄ます。アドレーと呼ばれた男はにかっと笑って膝をぽんと叩く。
「ネルちゃんのパパのお迎えが来たようじゃな」
「お父様……!」
 高い少女の声がさらに一オクターブ高くなったようである。目を爛爛と輝かせたその少女に隣の銀髪の、 年の頃同じほどの少女が声をかける。
「ネルがお迎えにあがれば、きっと喜ばれるわ。ネルのお父様」
 銀髪の少女のほうが落ちついた声である。ネルと呼ばれた少女は、その少女の掌をぐっと握ってとびきりの笑顔を向ける。 それは見る者の顔を思わずほころばせるような、独特の魔力をもっているように少女には覚えた。
「クレアも一緒がいいよ。いこう」
 軽くひっぱる腕に、まるで魔法のように吸い寄せられながら、クレアはほんのりと苦笑を浮かべる。
「ええ」
 とたとた、と軽い足取りで二人は玄関へと駆け急ぐ。
「ほら、ネル、あまりはしたない真似しちゃ……」
「でも、お父様が待って……」
「仕方無いわね。付き合うわ」
 そんな声が廊下に響いた。髭の男は立ち上がり、腰に手を当てる。大きな体躯に見合った豪快な哄笑が館全体を震わせる。
「はっはっは……まぁ、ワシ等も当分安泰、かもな。ご先祖さまよ」
 遠き祖先に玄関のほうから、うるさい、と親友が一喝する声がここまで届く。 アドレーはその体躯に力を漲らせて、親友の待つところまで歩み行く。満腔に空気を吸いこんで。
 窓に差し込む太陽の光は、寧ろ薄雲に支えられているかのようであった。


−Fin−


執筆者:pvo